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【所縁の史跡】浅間大社(静岡県)

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  ■ 浅間大社  [地図] 静岡県富士宮市宮町に鎮座する、富士山本宮浅間大社です。 『延喜式』神名帳の駿河国富士郡に、「浅間神社」がみえます。 祭神は、木花之佐久夜毘売命。 瓊々杵尊と大山祇神を配祀します。 孝霊朝の富士山噴火を受け、垂仁朝に富士の神霊を鎮祭したことを創祀と称します。 景行朝に、東征途中の日本武尊が山宮の地(現社地の北方6キロ)に祀り、大同元年に坂上田村麻呂が勅命により、現在地へ遷し奉ったといいます。 社殿や楼門など、丹塗りの建物が美しいです。 本殿は二階建ての浅間造で、国の重要文化財に指定されています。 下写真は本殿左手にある、摂社の三之宮浅間神社です。 祭神は、浅間第三御子神。 駿河国駿河郡と富士郡は、かつて珠流河国造の勢力下にあった地域です。 新野直吉氏は、 「不二(尽)嶺という景勝を背景にする以上、この地の古代豪族が栄えなかったなどとは、古代人の山岳信仰心からいって考えられないことである」 といい、 「おそらくこの国造氏は富士山を祭る神社に関係があったにちがいない」 として、浅間社と珠流河国造の関係を推測します。 本殿右手にある、七之宮浅間神社です。 祭神は浅間第七御子神。 また、『和名抄』等にみえる富士郡の久弐(くに)郷は、国造にゆかりの地だった可能性があるといいます。 楼門前の鉾立石。 「その昔、四月・十一月の初申日、大祭に山宮と本宮の間を神さまがおわたりになりました、そのご神幸の際、鉾を立てた石です」 とありました。 ↓末社の水屋神社です。祭神は御井神と鳴雷神。 湧玉池は、富士の雪解け水が湧き出たものといわれ、富士道者はこの池で身を清めて登山するならわしだったといいます。 参考 新野直吉「国造の世界」 大場磐雄・下出積与編『古代の日本』第6巻中部 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 浅間大社

【所縁の史跡】久佐奈岐神社(静岡県)

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  ■ 久佐奈岐神社  [地図] 静岡県静岡市清水区山切に鎮座する久佐奈岐神社です。 『延喜式』神名帳の駿河国廬原郡に「久佐奈岐神社」があります。 有度郡の草薙神社と区別するため、東久佐奈岐神社とも呼ばれます。 また、九万八千の御社とも呼ばれるそうです。 日本武尊の東征に供奉した多数の人々を祀ることに拠るといい、現在は境内社に九万八千霊社があります。 祭神は、日本武尊と、吉備武彦命、大伴武日命、膳夫七掬脛、弟橘姫命。 日本武尊が東征の途中に本宮を設けたとされる、旧蹟の地に鎮座するとの社伝を持ちます。 一帯が『和名抄』にみえる庵原郡庵原郷に比定されます。 『姓氏録』右京皇別の廬原公、『旧事本紀』国造本紀の廬原国造は当地に興った豪族で、吉備武彦の後裔を称しました。 ヤマトタケル伝承に武彦が登場するのも、この氏の伝承が取り入れられたものでしょう。 境内は東久佐奈岐古墳群のあった場所です。 現在、古墳は消滅しましたが、6世紀代には何らかの集団と繋がりの深い場所だったことがわかります。 下写真の境内社には、雨之宮、金刀比羅社、津島社、稲荷社、白髭社、今宮社、九万八千霊社、天満宮などがありました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 久佐奈岐神社

【所縁の史跡】浅間古墳・琴平古墳(静岡県)

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■ 浅間古墳  [地図] 静岡県富士市増川にある、浅間古墳です。増川I古墳群1号墳ともいうようです。 墳丘上に、名称の由来である浅間神社が建ちます。 愛鷹山の南西麓の高台から、南の平野と駿河湾を見おろすような立地にあります。 前方後方墳で、墳長103m、後方部幅61m、前方部幅40mの規模。 周濠の痕跡があり、葺石・円筒埴輪の存在が認められるそうです。 前方部は比較的未発達で、前期形式の墳丘。 4世紀後半ころに築かれたと見られます。 原秀三郎氏は、「浅間古墳は珠流河国造初代の物部片堅石連公の墳墓とみるべきと考える」として、「旧事本紀」の天孫本紀に駿河国造の祖としてみえる物部片堅石連公、国造本紀に珠流河国造の祖としてみえる片堅石命を、この古墳の被葬者に想定しています。 ■ 琴平古墳  [地図] 富士市中里にある琴平古墳です。浅間古墳からは、北西に1kmほどのところにあります。 ここも南方に駿河湾を望む斜面に立地するのですが、振り返ると富士山も奇麗に見えます。 訪ねた当時の現地案内板によると、直径31mの円墳とされていました。 その後、平成31年に発掘調査が行われ、直径は29.7m。幅8.7mの周溝を持つことが明らかにされました。 墳丘上には、名称の由来となった琴平社があります。 また、かつては5世紀中葉ころに築かれたと見られていましたが、調査により周溝の最下層から富士山の火山活動で噴出した「大淵スリコア」が確認され、6世紀代に降る時期が確実になりました。近隣の他の古墳との比較で古墳時代後期の中ごろが考えられています。 参考 原秀三郎『地域と王権の古代史学』 静岡県編『静岡県史 資料編2 考古二』 辰巳和弘『日本の古代遺跡 1静岡』 石野博信『全国古墳編年集成』 近藤義郎編『前方後円墳集成 中部編』 富士市教育委員会『富士市埋蔵文化財調査報告第67集 富士市内遺跡発掘調査報告書平成30年度』 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 浅間古墳・琴平古墳

【所縁の史跡】 那閇神社(静岡県)

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  ■ 那閉神社  [地図] 静岡県焼津市浜当目3丁目に鎮座する、那閉神社です。 虚空蔵山の南西麓に位置します。 『延喜式』神名帳の駿河国益頭郡に、「那閇神社」が見えます。 また、『駿河国神名帳』には、益頭郡に正五位下「奈閉天神」が見えます。 当地一帯には、『和名抄』の駿河国益頭郡十郷のうち、「物部郷」にあてる説があります。 『全国神社名鑑』や、境内の玉垣建設記念碑によると、継体天皇三年に物部氏の勧請により創祀されたものと伝えられているそうです。 境内参道には合計三つの鳥居があり、一番古いものには「文化十三年丙子九月十八日」と彫られていました。 江戸期には、鍋嶋大明神とも鍋崎明神とも称しました。 祭神は事代主神。相殿に大国主神を祀ります。 本殿は、覆屋の中です。 ↓本社左手の稲荷神社です。 本社右手の青木神社と津島神社。 青木神社は、武田氏家臣の須藤左門を祀るといいます。天正六年~九年ころ、この地域は武田氏と徳川氏の抗争の最前線でした。 津島神社のさらに右手にある山ノ神。 虚空蔵山は別名を当目山ともいい、当目は遠目とも表記されることがありました。 これを海上の遠方から目印になった山の意味とする見解もあります。 当社と海との関係は深いようで、社殿の脇には、奉納された碇もありました。 狛犬。この左手の吽像の台座には「祈大漁満足」、右手の阿像には「祈海上安全」と彫られていました。 狛犬同様に、拝殿前の左右には、祭神の事代主神(恵比寿様)と大国主神(大黒様)の像が置かれています。 詳細不明ですが境内社。『式内社調査報告』には石神社があるとされているので、これでしょうか。 境内に入って左手にある常夜燈です。 「文政五年十一月」と記され、高さは約350cm。焼津市内の現存する燈籠では、最も大きく、市指定の文化財にもなっているようです。 神社の周辺の道は狭く、初めて訪れる人が車で乗りつけるのは、少し面倒かもしれません。 西側(瀬戸川当目大橋側)から海岸方面へ入り、浜当目海水浴場の駐車場に停めて参拝されるのがいいと思います。 南側から虚空蔵山の全景です。 海上100m先には神岩があり、山の東の海岸には御座穴があるそうです。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 那閇神社

【所縁の史跡】 愛鷹山南麓の古墳(静岡県)

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旧駿河国のうち、薩埵峠もしくは富士川以東が珠流河国です。 『旧事本紀』国造本紀によると、当地の国造は物部氏の同族を称していたとされます。 珠流河国の中心地は、のちの駿河国駿河郡駿河郷に比定される、現在の沼津市街地一帯と推定されますが、6世紀には、ここに近接して長塚古墳・子ノ神古墳という首長墳が築かれます。 その造営時期は、奈良県の石上地域周縁で杣之内古墳群・石上豊田古墳群に大型古墳があいついで築かれた時期、すなわち物部大連の全盛期に重なります。 当地の国造が、国造本紀のとおり物部氏族であるならば、長塚古墳・子ノ神古墳の被葬者たちこそ、それに相応しいと思います。 ■ 長塚古墳  [地図] 静岡県沼津市東沢田の長塚古墳です。JR沼津駅から北に約3kmほどのところに位置します。 前方部を西に向ける前方後円墳です。 墳丘全長は現状で51m。後円部径22.5m、前方部幅17mになりますが、発掘調査の結果からは、全長55m、後円部径32mになるそうです。 幅7m~8mの周堀を持っていたことがわかっています。周堀の外形は、墳丘の形にあわせてくびれ、前方後円形をしていたそうです。 埴輪の破片が出土しており、築造当初は墳丘の上に円筒埴輪がめぐっていました。 墳丘南側くびれ部の周堀内からは、高坏・坩など土師器と須恵器が出土しています。6世紀の初頭ころのもののようです。 主体部は盗掘を受けていますが、出土した板状の安山岩片から、組合せ箱形石棺だったと推定されています。 ■ 子ノ神古墳  [地図] 静岡県沼津市西沢田の、子ノ神古墳です。 長塚古墳からは南西に800mほどの場所で、その名のとおり、子の神神社の境内にあります。 前方部を西に向ける前方後円墳です。 前方部の南側が、神社の社殿で削られてしまっています。 墳丘全長は48m、後円部径27m、前方部幅は14mあります。 未調査のため主体部についても不明ですが、第二次大戦中に、防空壕用として後円部に穴を掘ったところ、石室と遺物の一部を発見したので埋め戻したという伝えがあり、横穴式石室の可能性があるようです。 築造時期は、6世紀中ごろかと推測されています。 ■ 山ノ神古墳群  [地図] 静岡県沼津市西椎路の山ノ神古墳群です。 東西に2基の円墳が並んでいます。どちらも墳丘上に祠が建っている