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【所縁の史跡】風速神社(福井県)

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    ■ 風速神社  [地図] 福井県大野市大矢戸に鎮座する、風速神社です。 『延喜式』神名帳の越前国大野郡に、「風速神社」がみえます。 祭神は、住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)。 『越前国官社考』は、三韓征伐のおり手向かう兵船を転覆させた神徳により、風速と称し奉ったとします。 住吉神を祀る神社を、式内風速神社に比定した後の解釈でしょうか。 国内神名帳には、正五位風速神としてみえています。 『神名帳考證』は、伊予国風早直の祖神かとします。 北西1kmほどのところに横穴式石室の開口する大矢戸古墳があり、祭神が賊を平定したとき、陣を構えた場所であるといいます。 その後、祭神は河内の野田の庄へ去るにあたり、村人へ神像を与えたとされます。大阪府堺市東区の野田と、なんらかのつながりがあったのでしょうか。 往古は現在地よりも50mほど高台にあったが、中世に至り、遷座したともいいます。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 風速神社

【所縁の史跡】麻気神社(福井県)

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  ■ 麻気神社   [地図] 福井県南条郡南越前町牧谷に鎮座する麻気神社です。 『延喜式』神名帳の越前国丹生郡に、「麻気神社」がみえます。 ほかには、越前市牧町の酒列神社や丹生郡越前町の麻気神社が論社と見られているようです。 祭神は、奇玉饒速日命、大御気津姫命、菅原道真公。 越前国内神名帳に見える「従五位 目開神」がこの神社の神と考えられています。 社伝に、継体天皇が諸臣の請いに応じて帝位につこうとしたとき、妃の麻績娘子を、故あって当地に残すことになったといいます。 しかし妃は長く病床に臥し、療薬は効果なく、天皇はこれを憂いて快癒を櫛玉饒速日命に祈念したところ、たちまち病は全快。 よって社堂等も新営され、勅使の代参もあったとされます。 社号「麻気」は、麻績娘子の病気快癒を祝い、妃の名から「麻」と、病気の「気」を取って、継体天皇が贈ったものといいます。 鎮座地名の牧谷も、社号と関連づけられて見られているようです。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 麻気神社

【所縁の史跡】荒嶋神社(福井県)

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  ■ 荒嶋神社   [地図] 福井県大野市佐開に鎮座する荒嶋神社です。大野市街から南東へ約六kmほど、荒島岳の西麓に位置します。 『延喜式』神名帳の越前国大野郡に、「荒嶋神社」が見えます。 祭神は、 物部大連の霊、 天津児屋根命。 「物部大連」は、具体的には「荒島山大権現略縁記」「深山木」などが、天孫本紀に見える物部荒山連公をあてます。 雄略(清寧)朝の目の子で、欽明朝の尾輿の父。物部氏屈指の有名人ふたりに挟まれ、本人は何の事績もないため地味な印象を受けますが、ここで神として崇められていたんですね… 荒嶋神社はかつて荒島岳の山上にあったといい、明治元年とも明治四十三年ともいわれるとき、春日神社のあった現在地へ遷座したと伝えられます。 拝殿の背後は一段高くなっていて、春日神社があります。 春日神社の左右には境内社が並びます。 右から、八幡神社(誉田別尊)、神明神社(天照皇大神)、村上神社(少名彦命)、白山神社(伊邪那美命)、天満神社(菅原大神)です。 もとは佐開区内の各所にそれぞれ奉仕されていたのを遷したもので、各別に氏子を持っていたのだとか。 拝殿の左側、少し離れた位置に荒嶋神社の社殿があります。「嵐嶌宮」の額がかかっていました。 神社の名称は荒嶋神社で、主祭神を物部大連、相殿神を天児屋根命と書かれたものもありますが、鳥居・拝殿との位置関係では明らかに春日社が本殿の扱いを受けています。荒嶋神社は後からやって来て間借りしているような印象です。 荒山連を祭神とすることは、荒島岳との名称の類似によるものと思われますが、荒島岳の西北のふもとには蕨生(わらひふ)の地名があり、これを荒山連の弟の物部麻作連の後裔・笑原(わらひはら)連に縁故のものと見る説も根拠になっているようです。 天保の頃に書かれた「荒島山大権現略縁記」によると、 越前国大野郡神明九社の第一座であって、むかし物部荒山連公に勲功があって、その恩賞としてこの山を賜り領地とした。連公が没してより里の人が崇めまつって荒山大権現と仰ぎ奉った。よってこの山を「あら山」といい、また「あらし山」ともいう。いま荒島山というのは後世の呼び方である。 人皇四十五代聖武天皇の御宇、天平七年行基は浄定とともに飯降山において仏像二百七十体を作り、そのなかの丈六の聖観音菩薩の像を