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【所縁の史跡】岩津一号墳と中ノ坂古墳群(愛知県)

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■ 岩津一号墳  [地図] 愛知県岡崎市岩津町の岩津一号墳です。 謁播神社から北に二キロメートルほど、北野廃寺からは矢作川をはさんで北東に三キロメートルほどの位置にあります。 岩津古墳群は、1960年代の調査で六基の古墳が確認されましたが、宅地化等のため、一号墳を残して消滅しています。 石室全長が約一〇メートルと規模が大きく、飛禽鏡・環頭大刀柄頭・水晶製切子玉や多数の須恵器など、副葬品の量・質が優れていることから、矢作川流域でも卓越した首長によって築かれたと考えられます。 六世紀後半の築造で、七世紀前半まで追葬が行われていました。 岩津、阿知和、真福寺の付近一帯は、現在は数を減らしたとはいえ、三河でも有数の群集墳地帯でした。この地域が大化以前の西三河の中心地だったことを推察させます。   ■ 中ノ坂一号墳  [地図] 岡崎市真福寺町中ノ坂に、中ノ坂古墳群があります。 九基の古墳が確認されていますが、現存は三基のみのようです。 いずれも、六世紀後半から七世紀前半ころに築かれたものと見られます。 中ノ坂一号墳は、そのうちの一基です。 県立岩津高校のグラウンドの、北側に位置します。 封土が流出して、奥のほうの天井石が一部崩れかけてはいますが、石室の保存状態はまずまず良好です。   ■ 中ノ坂四号墳  [地図] 東名高速道の東側にある中ノ坂四号墳です。 墳丘の大半と天井石を失っていますが、そのおかげで胴張り状の玄室をよく観察することができます。 板石が立ててあります。石棺状の施設が設けられていたのでしょうか。   ■ 中ノ坂九号墳  [地図] 四号墳の北にある、中ノ坂九号墳です。 開口部の目の前が東名高速道です。 直径約二〇メートルの墳丘に、全長約一〇メートルの横穴式石室を持ちます。   ■ 蔵前古墳  [地図] 岡崎市西蔵前町峠の蔵前古墳です。 近くには、「本田平八郎忠勝誕生地」の碑もあります。 新興宗教の施設に転用されているようですが、街中で見学は容易でした。   ■ 石田一号墳  [地図] 岡崎市細川町石田の石田一号墳です。 市立細川小学校の南側に位置します。 直径約二〇メートルの円墳で、南に全長約八メートルの横穴式石室が開口しています。

【所縁の史跡】謁播神社(愛知県)

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  ■ 謁播神社  [地図] 愛知県岡崎市東阿知和町の謁播神社です。 『延喜式』神名帳の参河国額田郡に、「謁播神社」があります。 参河国内神名帳には、額田郡に「正三位 謁磐大明神」のあったことが知られます。 また、『文徳実録』仁寿元年十月七日には、参河国の謁磐神が従五位下の神階に叙せられたことが見えます。 祭神は、知波夜命。 春日大神を配祀するといいます。 境内の由緒書(ふたつあったが拝殿のほう)には、当社の創祀について、産子の家に伝える古文書にある話として、 白鳳年間に弘文天皇が参河に行幸し、そのとき大変な悪天候に襲われたものの、突如紫雲が空中にたなびき、妙音が放たれると暗雲はたちまちに消え去って天皇の危難が救われたといいます。この奇跡を起したのが謁播明神で、天皇は侍臣のひとりを当地に残してこの神を祀らせるようになった…とされています。 この侍臣の後裔が旧社家の安藤氏なのですが、「藤原の末裔なるも神との同姓を恐れ、安藤に改めたり」ともあるので、主祭神の知波夜命ではなく、春日大神との関わりの中で生まれた伝えなのかもしれません。 知波夜(ちはや)命は『旧事本紀』国造本紀に見え、物部連の祖・出雲色大臣命の五世孫であり、成務朝に参河国造に任じられたとされます。 矢作川流域に勢力を持った参河国造は物部氏族だったようです。 『大同類聚方』は「穴加差薬、三河国額田郡謁播神社之宮造額田部連長之薬方」…云々と記します。 古くは額田部連氏が当社の祭祀に携わっていたようです。額田部氏は、その名称から、額田郡地域ではかなり有力な氏だったことが想像されますが、これも物部氏同族だったのでしょうか。 ところで、『姓氏録』大和国神別に長谷部造は、神饒速日命の十二世孫、千速見(ちはやみ)命の後裔とあります。同氏族の伝承で、名称が類似する知波夜命と千速見命。もしかしたら同一人物から世代数などの点で異伝が生じたものかもしれませんね。 社殿は、矢作川の支流、青木川のほうを向いています。 近くの於新造古墳(牛下山古墳)が祭神の墳墓ともいわれるらしいです。 西阿知和町於新造の丘陵上にある帆立貝形前方後円墳で、全長42mあります。 出土の円筒埴輪は矢作川流域では最古に位置づけられるもので、四世紀後半の築造と見られています

【所縁の史跡】 桜井古墳群(愛知県)

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  ■ 桜井二子古墳  [地図] 愛知県安城市桜井町の桜井二子古墳です。 すぐ北に東海道新幹線、西に県道44号線が通りますが、保存状態は良好。その威容を見ることが出来ます。 墳丘全長は69m、後方部幅35m、前方部幅28mの前方後方墳です。 矢作川流域では吉良町の正法寺古墳に次ぎ、第2位の規模をもちます。 墳形と、葺石・埴輪をもたないことなどから、西三河でも比較的古い時期、4世紀前半ころの古墳と見られています。 墳頂には、桜井天神社古址の碑が立っています。 古墳の東側に接しているのが、古井遺跡群の一部を成す二タ子遺跡・桜林遺跡です。   ■ 桜井神社  [地図] 二子古墳の南200m程のところに鎮座する、桜井神社です。 『延喜式』神名帳の碧海郡にある「比蘇神社」の論社のひとつです。三河国内神名帳には、「従五位下櫻井天神」が見えます。 参道の黒松並木は、市の天然記念物に指定されているようです。 社殿の建っているあたりが比蘇山古墳です。 全長40mほどの前方後方墳といわれますが、現状ではまったくわかりません。 南東200mの桜林小学校のあたりが中狭間遺跡で、杭を打って護岸した幅約13mの水路が見つかっています。 ■ 碧海山古墳  [地図] 桜井神社の西300m程のところに位置する、碧海山古墳です。 直径約25mの円墳と推定されています。 築造は古墳時代前期と見られます。 主体部があったらしき部分も、削りとられてしまっています。 ■ 堀内古墳  [地図] 名鉄西尾線の堀内公園駅から東へ100mほどのところにある、堀内古墳です。 東西21.5m、南北23.6mの円墳で、築造は後期と見られています。 墳丘上には天神社が建てられており、天満山古墳とも呼ばれます。 ■ 百塚古墳  [地図] 桜井町の百塚古墳です。碧海山古墳からは南西に400m程の位置です。 現在は八幡宮が建っています。 詳細不明。 ■ 獅子塚古墳  [地図] 桜井駅から東に800mほどに位置する、獅子塚古墳です。 もとは南南西に前方部を向けた前方後円墳でしたが、鹿乗川の堤防工事のため前方部は削平されてしまったそうです。 墳長は約55mと推定され、後円部径は23mあります。 墳丘上には秋葉神社が祀られています。 ■