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【所縁の史跡】飯綱山古墳群(新潟県)

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  ■ 飯綱山古墳群   [地図] 新潟県南魚沼市余川にある、飯綱山古墳群です。 近くに飯綱考古博物館があって、ここの駐車場を利用できます。博物館には古墳群からの出土物が一部展示されているようですが、私が訪ねた11月の日曜日には開館していなくて残念でした。 古墳時代中期中葉から後期にかけて営まれ、かつては100基を越す数の古墳があったといいますが、現存は30基程度だそうです。 下写真は飯綱山10号墳です。女塚とも大塚とも呼ばれているようです。 集濠がめぐる様子が確認できます。 墳頂付近。窪んでいます。 石碑のようなものには、「古墳若井神社」と掘られており、墳丘裾には「諸塚之碑」なるものもあって、古墳たち自体が祀られています。 川原石がいくつもあったのは、葺石だったものでしょうか。 短甲2領のほか、馬具、鏡、玉類などが出土しています。 錆びて朽ちかけた案内板があって、「県文化財指定第一号」云々と書かれていました。 30号墳。 32号墳…だと思います。 27号墳です。男塚とも呼ばれているようです。直径約36mの円墳。 主体部は発掘された(明治期?)後に埋め戻しされなかったのか、大きく掘り下げられたまま、ブルーシートに覆われていました。 集濠もよく残っていて、とても立派な古墳に見えます。 35号墳です。周囲が畑だったりするので、あまり古墳な雰囲気ではありません。 剣形石製模造品が出土しているそうです。 古墳群に至る道の途中から見た坂戸山です。 地名「坂戸」の存在のため、戦前からこの古墳群を坂戸物部による築造と見る説が広く行われています。 上で紹介した、10号墳の朽ちた案内板にも、『新撰姓氏録』からそれっぽく引用されていました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 飯綱山古墳群

【所縁の史跡】石船神社(新潟県)

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  ■ 石船神社   [地図] 新潟県村上市岩船三日市に鎮座する、石船神社です。 『延喜式』神名帳の越後国磐船郡に、「石船神社」が見えます。 祭神は、饒速日命、水波女命、高靇神、闇靇神。 饒速日命は石船に乗って当地に上陸し、各種技術を伝えた地域振興の神とされます。 『特撰神名牒』は、「其御船海底にありと云るも由あり 姑附て考に備ふ」とします。祭神の乗っていた石船が、日本海に沈んでいるという伝説でもあったのでしょうか。 『日本書紀』は大化四年に蝦夷に備えて岩舟柵を設けたことを記しますが、社伝によると、このときすでに石の小祠があったとされています。 その後、大同二年に秋篠朝臣安人が北陸道観察使として下向した際に、貴船神社の祭神を勧請し、水波女命・高靇神・闇靇神も祀られることになったといいます。 祭神を饒速日命とすることについて、地名・社名の磐舟(石船)から、単純に付会させたとの見方もできますが、『式内社調査報告』のように、征夷の軍事的意義から軍神武神を祀るようになったとする、城柵の設置と神社の成立を関連づける見解もあります。 拝殿の前にある遥拝所です。 岩船港を一望できます。 私が参拝したときには、ちょうど粟島からのフェリーが入港するところでした。 境内社が多いです。 明神権現社は、本社の左手(西側)に階段があります。 そのほか、古峯大神、大己貴神、大山祇神などが祀られます。 若山神社の社殿は、寛政八年の建立らしいです。金毘羅社を合祀しています。 屋台倉庫(下写真)。祭礼の岩船まつりは、神輿と御舟をはじめとする屋台(しゃぎり)の絢爛華麗な行列で知られます。県の無形民俗文化財にも指定されています。 磐船招魂社です。境内地にありますが、駐車場の右手、本社へ至る参道を通らないところにあります。 招魂社の隣りに、「磐船柵址」の碑があります。磐舟柵の具体的位置は明らかではありませんが、当社北方の丘陵地帯かともいわれています。 社叢は県の天然記念物に指定されています。 ヤブツバキの群生地として貴重だそうです。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 石船神社

【所縁の史跡】五十君神社(新潟県)

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   ■ 五十君神社   [地図] 新潟県上越市三和区所山田に鎮座する、五十君神社です。 『延喜式』神名帳の越後国頚城郡に、「五十君(いきみ ) 神社」 があります。 『和名抄』に見える越後国頚城郡の「五公( 以木美 いきみ )郷」は、この一帯に比定されます。 祭神は、五十日帯日子命。 垂仁天皇の皇子です。 相殿神として、剣大明神(日本武尊か白鳥大明神)、飯縄大明神(倉稲魂命)が祀られています。 「延喜式内 村社五十君神社」の社号標が立ちます。 祭神については、いくつかの説があります。 『特選神名牒(大正十四年)』は、 「旧事紀物部印岐美連公あり本郡に物部神社あり和名抄物部郷あるも由ありて聞ゆれば物部印岐美連を祭れるならん」 として、天孫本紀に遠江国造らの祖として見える物部印岐美連(いきみのむらじ)をあてます。 祭神の五十日帯日子王について、『古事記』には春日山君、高志池君、春日部君の祖であることが見えます。 頚城郡内には、上杉謙信の居城があったことでも名高い春日山があり、旧社家の池氏は、高志(越)池氏の末裔を称していたようです。 社蔵の金銅虚空蔵菩薩懸仏は、県の文化財に指定されています。神仏習合時代、中世の作だそうです。 下写真は境内の切り株。かなりの巨木があったんですね。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 五十君神社

【所縁の史跡】物部神社(新潟県上越市)

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  ■ 物部神社  [地図] 新潟県上越市清里区南田中に鎮座する、物部神社です。 周辺は広い田圃で、のどかな農村、といった雰囲気です。 『延喜式』神名帳の越後国頸城郡に、「物部神社」がみえます。 祭神は、宇摩志麻治命とされます。 『和名抄』の越後国頸城郡物部郷も、この一帯に比定されます。 北西には「武士(もののふ)」の地名が残ります。 拝殿等は無く、石祠のみ祀られています。 伴信友の『延喜式神名帳註釈』(文化四年)によると、当時の地元の人たちには、もとは「宮殿ありしに、非人・乞食等止宿し汚けるにつき、社地残らす田地に開発」したという説があったようです。 昭和四十六年に、圃地整備のため、近くの山王北屋敷より現在地へ遷座しました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 物部神社

【所縁の史跡】弥彦神社(新潟県)

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  ■ 弥彦神社   [地図] 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦に鎮座する、弥彦神社です。 『延喜式』神名帳の越後国蒲原郡に、「伊夜比古神社」が見えます。 創祀の年代は不明ですが、社記には和銅四年に社殿を増築し、神域を広げたと伝えられ、それ以前から人々の崇敬を集めていたことがうかがえます。 祭神の伊夜比古神は、尾張氏族の祖神・天香山命と同一視されています。 天香山命は『先代旧事本紀』では、高倉下命と同一とされ、その影響も見られるようです。 手水舎の向かい側に、石柵を回らせた椎の大木があります。 祭神が杖を地に挿し、「もしこの地が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ」といったところ、芽を出し根を生じて、大木となったと伝えられるそうです。 旧本殿跡です。(下写真) 明治四十五年に火災に遭い、本殿は現在地に再建されました。 「玉の橋」と呼ばれる御神橋です。 奈良時代の文献にも、すでにその名が見えるそうです。明治二十九年に改築されたもののようです。 参道を右手に入ったところに、摂末社がずらりと並びます。 末社十柱神社の社殿は、室町時代の手法を伝える元禄年間の建物で、重要文化財に指定されています。 摂社「武呉神社」です。 天五田根命(天香山命の子)を祀ります。 摂社「船山神社」です。 天忍人命(天香山命の孫)を祀ります。 摂社「草薙神社」です。 天戸国命(天香山命の三世孫)を祀ります。 摂社「今山神社」です。 建筒草命(天香山命の四世孫)を祀ります。 摂社「勝神社」です。 建田背命(天香山命の五世孫)を祀ります。 摂社「乙子神社」です。 建諸隅命(天香山命の六世孫)を祀ります。 鹿苑の鹿です。 弥彦山と弥彦神は、万葉集にも歌われています。 「弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ裘着て角付きながら(弥彦の神山の麓に、今日も鹿が伏しているだろうか。皮の衣を着て、角を付けたままで。)」 弥彦山へは徒歩のほか、ロープウェイでも登ることができます。「うみひこ号」「やまひこ号」というネーミングが可愛らしいです。 山頂には、奥院として「御神廟」が祀られています。 鳥居の額には「天香語山命」とありました。 石柵の中に、天香山命のものと、妃神の熟穂屋媛命のものの、二つの石塔が立っています。 弥彦山の主峰は、別名「神剣峰」ともいい、そ