【先代旧事本紀】巻第三・天神本紀 - 現代語訳
天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 巻第三・天神本紀
「豊葦原の
と仰せになり命じられて、天からお降しになった。
ときに、
このとき、正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が、天照太神に奏して申しあげた。
「私がまさに天降ろうと思い、準備をしているあいだに、生まれた子がいます。これを天降すべきです」
そこで、天照太神は、これを許された。
天神の御祖神は、詔して、天孫の
蛇の
蜂の比礼、一つ
というのがこれである。
天神の御祖神は、次のように教えて仰せられた。
「もし痛むところがあれば、この十種の宝を、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十といってふるわせなさい。ゆらゆらとふるわせよ。このようにするならば、死んだ人は生き返るであろう」
これが“
高皇産霊尊が仰せになった。
「もし、葦原の中国の敵で、神をふせいで待ち受け、戦うものがいるならば、よく方策をたて、計略をもうけ平定せよ」
そして、三十二人に命じて、みな防御の人として天降しお仕えさせた。
また、
五部の造が
天物部ら二十五部の人が、同じく兵杖を帯びて天降り、お仕えした。
船長が同じく、梶をとる人たちを率いて、天降りお仕えした。
船長・
梶取・
船子・
笠縫らの祖
饒速日尊は、天神の御祖神のご命令で、天の磐船にのり、河内国の河上の
天の磐船に乗り、
饒速日尊は
その報告がまだ天上に達しない時に、高皇産霊尊は
「私の神の御子である饒速日尊を、葦原の中国に遣わした。しかし、疑わしく思うところがある。だから、お前は天降って復命するように」
このようにご命命になった。速飄神は勅を受けて天降り、饒速日尊が亡くなっているのを見た。そこで、天に帰りのぼって復命して申しあげた。
「神の御子は、すでに亡くなっています」
高皇産霊尊はあわれと思われて、速飄の神を遣わし、饒速日尊のなきがらを天にのぼらせ、七日七夜葬儀の遊楽をし、悲しまれた。そして天上で葬った。
天照太神は仰せになった。
「豊葦原の千秋長五百秋長の瑞穂の国は、我が御子の正哉吾勝勝速日天押穂耳尊が王となるべき国である」
とご命令されて、天からお降しになったときに、天押穂耳尊は、天の浮橋に立たれ、下を見おろして仰せられた。
「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂の国は、まだひどく騒がしくて、その地は平定されていない。常識はずれな連中のいる国だ」
そこで、再び帰りのぼって、天に上って詳しく天降れない訳を述べられた。
高皇産霊尊は八百万の神々を
「天照太神がみことのりして仰せになるには“この葦原の中国は我が御子の支配すべき国である”というご命令の国だ。それなのに、私が思うに多くの暴威を振るう乱暴な国つ神がいる。また、岩や草木もみなよく物をいう。夜は蛍火のように輝いたり、昼は蠅のように騒がしいよくない神がいる今、葦原の中国の悪しき神を平定しようと思うが、それには誰を遣わしたらよいだろう。どの神を遣わして平定すべきだろうか」
思兼神と八百万の神はみな申しあげた。
「
そこで、みなの言葉のままに、天穂日命を遣わし平定させた。しかし、この神は
高皇産霊尊は、さらに諸神を集めてお尋ねになった。
「どの神を遣わすべきか」
みなは申しあげた。
「
高皇産霊尊は、天稚彦に
しかし、この神もまた忠実ではなかった。
天稚彦は、その国に降り着いて、大国主神の娘の下照姫を妻とし、また、その国を得ようと思って、その国に留っていった。
「私も治めようと思う」
そうして、八年たっても復命申しあげなかった。
天照太神と高皇産霊尊は、諸神たちにお尋ねになった。
「昔、天稚彦を葦原の中国に遣わしたが、いまに至るまで戻らないのは、国つ神のなかに反抗して防いでいる者がいるからだろう。私はまた、どの神を遣わし、天稚彦が留まっている訳を尋ねようか」
思兼神や諸神は答え申しあげた。
「名無しの雉か、または鳩を遣わすべきです」
そこで、名無しの雉と鳩を遣わした。
この雉と鳩は降っていったが、粟の田や豆の田を見て、留まって戻らなかった。これがいわゆる“雉の片道使い”または“豆みて落ち居る鳩”という由来である。
高皇産霊尊が、再びお尋ねになった。
「以前に名無しの雉と鳩を遣わしたが、ついに復命することはなかった。今度はどの神を遣わそうか」
思兼神や諸神は申しあげた。
「雉、名は鳴女を遣わすべきです」
そこでまた、名無しの
高皇産霊尊は仰せになった。
「おまえは行って、天稚彦が八年も戻らず復命しない理由を問いなさい」
そこで、鳴女は天から降って葦原の中国に着いて、天稚彦の門の湯津楓(神聖な桂)の木の梢にとまり、鳴いていった。
「天稚彦よ、どうして八年もの間、いまだに復命しないのですか。」
このとき、国つ神の
「鳴き声の悪い鳥がこの木の梢にいます。射殺してしまいましょう」
天稚彦は天神から賜った弓矢をとって、その雉を射殺した。その矢は雉の胸をとおりぬけて、逆さまに射上げられて、天の安河の河原においでになる天照太神と高皇産霊尊の御前に到った。高皇産霊尊がその矢をとってご覧になると、矢の羽に血がついていた。それで仰せになった。
「この矢は昔、私が天稚彦に与えた矢だ。いま、どういう訳か血がついて戻ってきた。きっと国つ神と闘ったのだろう」
諸神に見せ、まじないしていわれた。
「もし、悪い心で射ったのなら、天稚彦は必ず災難にあうだろう。もし、良い心で射ったのなら、天稚彦には当たらない」
そうしてその矢をとって、穴から衝き返してお下しになったら、その矢は落ち下って、天稚彦の胸に当たり、稚彦は死んでしまった。世の人がいわゆる“返し矢は恐ろしい”ということの由来である。
ときに、天稚彦の妻の下照姫の泣き悲しむ声は、風に響いて天まで届いた。そこで、天にいた天稚彦の父の天津国玉神、また天稚彦の天にいた妻子たちがその声を聞いて、稚彦が亡くなったことを知り、疾風を送って亡がらを天に上げさせた。
そうして、喪屋を造って、河雁を
これより以前、天稚彦が葦原の中国にいたとき、
このとき、天稚彦の父や妻がみな泣いて、
「私の子は死なずにいた」「私の夫は死なずにいらっしゃった」
と、このようにいった。手足に取りすがって泣き悲しんだ。その間違ってしまったのは、高彦根神の姿が天稚彦の生前の姿とよく似ていたためである。そのため天稚彦の親族や妻子はみな「わが君はまだ死なないで居られた」といって、衣の端をつかんで、喜び、また驚いた。しかし、高彦根神は憤然として怒りいった。
「友人の道としてはお弔いすべきだ。私は親友だ。それでけがれるのもいとわず遠くからお悔やみにやってきた。それなのに、死人と私を間違えるとは」
そうして、腰にさしている十握の剣“大葉刈”を抜いて、喪屋を切り倒した。その喪屋が下界に落ちて山になった。
すなわち、今の美濃国の藍見川の河上にある喪山がこれである。
天照太神は仰せられた。
「また、どの神を遣わしたらよいだろうか」
思兼神および諸神がみな申しあげた。
「天の安河の川上の天の岩屋においでになる、
その天尾羽張神は、天の安河の水を逆さまに塞き上げて道を塞いでおります。そのため、他の神は行く事ができません。特別に
そこで、天迦具神を使わして、尾羽張神に尋ねた。
その時答えて申しあげた。
「お仕えしましょう。しかし、この度は、私の子の武雷神を遣わしましょう」
そうして差し上げた。
高皇産霊尊は、さらに諸神を集めて、葦原の中国に遣わすべき者を選ばれた。
みなが申しあげた。
「
その時、天の岩屋に住む神・
「どうして経津主神だけが
その語気が激しかったので、経津主神にそえて武甕槌神を遣わした。
ある説によると、
天照大神と高皇産霊神は、経津主神と武甕槌神を遣わされ、先行して討ち払わせ、葦原の中国を平定させられた。
ときに、二神が申しあげた。
「天に悪い神がいます。名を天津甕星といいます。またの名を天香々背男です。どうか、まずこの神を除いて、その後、葦原の中国に降って平定させていただきたい」
このとき、甕星を征する斎主をする神を、斎の大人といった。この神は、いま東国の
経津主神・武甕槌神の二神は、出雲の国の
「天つ神・高皇産霊尊は、“天照大神は詔して、葦原の中国は我が御子の治めるべき国である、といわれている”とおっしゃっています。あなたはこの国を天神に奉るかどうか、いかに」
大己貴命は答えていった。
「あなたがいうことは、どうも怪しい。あなたがた二神は、私が元から居るところにやってきたではないか。これは何かの間違いではないのか」
二神はそこで、十握の剣を抜き、地に逆さまに突き立て、その切っ先に坐って大己貴神に問いかけられた。
「皇孫を天降したてまつって、この地の王に戴こうというのだ。そこでまず、我ら二神を遣わし、平定させる。あなたの心はどうだ。去るか、どうか」
大己貴命は答えていった。
「私の子の事代主神にこのことを尋ね、しかる後ご返事しよう」
このとき、その子の事代主神は、出雲国の三穂の岬に遊びにいっていた。魚釣りや鳥を捕るのを楽しみとしていた。そこで、熊野の諸手船を使い、使者の稲背脚を乗せて、天鳥船神を遣わし、八重事代主神を召還して、ご返事する言葉を尋ねた。
ときに、事代主神がその父に仰せられた。
「今回の天つ神の仰せごとには、我が父はすみやかに去るべきです。私もまた、逆らうことはいたしません」
そのため、海の中に八重蒼柴籬をつくって、船のへりを踏んで、逆さまに手を打って、青柴垣を打って隠れた。
そうしてさらに、大己貴神に尋ねて仰せられた。
「今、あなたの子の事代主神は、このように申してきた。まだ申すべき子はいるか」
答えていった。
「必ずお答えする者に、我が子・建御名方神がある。これ以外にはおりません」
このように申している間に、建御名方神は千引の大石を手の上にさし上げ来て、いった。
「誰だ。我が国にやって来て、こそこそいっている奴は。それなら、力くらべをしよう。私がまず、その手を取ろう」
そこで、その手を取らせると、立っている氷のようになり、また剣のようになった。そのため恐れて退いた。
今度は建御名方神の手を取ろうとしてこれを取ると、若い葦をつかむようにつかみひしいで、投げうたれたので、逃げ去っていった。
それを追って
「私を殺しなさいますな。この地以外には、他の土地には参りません。また、我が父・大国主神の命に背きません。兄の八重事代主神の言葉にもそむきません。この葦原の中国は、天神の御子の仰せのままに献上いたしましょう」
そこで、更に帰ってきて、大国主神に尋ねていった。
「あなたの子達、事代主神、建御名方神は、天神の御子の仰せに背かないと申した。あなたの心はどうか」
答えていった。
「私の子供の二神が申したとおりに、私も違いません。この葦原の中国は仰せのとおり献上いたします。ただ、私の住む所を、天神の御子の皇位にお登りになる壮大な御殿のように、大磐石に柱を太く立てて、大空に棟木を高くあげておつくりくださるならば、私はずっと隠れておりましょう。また、私の子達の多くの神は、事代主神を導きとしてお仕えいたしましたら、背く神はございますまい」
大己貴神、および、子の事代主神は、みな去ることになった。
「もし、私が抵抗したら、国内の諸神も必ず同じく抵抗するでしょう。私が身を引けば、誰もあえて反抗する者はいないでしょう」
そこで、国を平らげたとき用いた広矛を、二神に授けて仰せられた。
「私はこの矛を使ってことを成し遂げました。天孫がもしこの矛を用いて国を治められたら、必ず平安になるでしょう。今から私は、かの幽界へ去ります」
いい終わるとついに隠れてしまった。
二神は、諸々の従わない鬼神達を誅せられた。
そうして出雲国の
「この、私のつくる火は、大空高く
そうして、経津主神と武甕槌神は天上に帰り上って、復命した。
高皇産霊尊は、経津主神と武甕槌神の二神を再び遣わして、大己貴神に詔して仰せられた。
「いま、お前がいうことを聞くと、深く理にかなっている。そこで、詳しく条件を申そう。お前の治めている現世の事は、わが子孫が治めよう。お前は幽界の事を受け持つように。
また、お前の住むべき宮居をいま造ろう。そのために、千尋もある栲の縄でゆわえて、しっかりと結び、また、その宮を造るきまりは、柱は高く太く、板は広く厚くしよう。
また、豊かな供田をつくり、祭りのお供えとして実り多きことを祈ろう。
また、お前が行き来して海に遊べるために、高い橋や浮き橋、鳥のように速くはしる船を造り供えよう。
また、天の安河にかけ外しのできる橋を造ろう。
また、いく重にも縫い合わせた白楯を造ろう。
また、お前の祭祀を掌るものは、天穂日命である」
大己貴神が答えて仰せられた。
「天つ神のおっしゃることは、こんなに行き届いている。どうして仰せに従わないことがありましょうか。
私が治めるこの世のことは、皇孫がまさに治められるべきです。私は退いて、幽界の神事を担当しましょう」
そこで、
「これが私に代わってお仕えするでしょう。私はこれから退去します」
そうして、体に八坂瓊の大きな玉をつけて、永久に隠れてしまった。
そのため、経津主神は、岐神を先導役として、方々をめぐって平定した。命令に従わない者がいれば、斬り殺した。
帰順した者には褒美を与えた。このときに帰順していた首長は、大物主神と事代主神である。
そこで、八十万の神を、天の高市に集めて、この神々を率いて天に上って、その誠の心を披歴した。
高皇産霊尊が大物主神にみことのりして仰せられた。
「お前がもし、国つ神を妻とするならば、私はお前がなお心を許していないと考える。それで、いま私の娘の
そうして還り降らされました。
紀伊の国の忌部の遠祖・
また、
高皇産霊尊が仰せになった。
「私は
そうして、
このときに、天照太神は、手に宝鏡を持って、天忍穂耳尊に授け、ことほいでいわれた。
「わが子がこの宝鏡を見るのに、ちょうど私を見るようにすべきである。共に床を同じくし、部屋をひとつにして、つつしみ祭る鏡とせよ。天つ日嗣の隆盛は、天地が無窮であるのと同様である」
すなわち、
天児屋命と天太玉命に仰せられた。
「お前たち二神は、共に同じ建物の中に侍って、よくお守りの役をせよ」
「この鏡は、ひたすらに私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祀りしなさい。そして、思金神は私の祭りに関することをとり扱って、政事を行いなさい」
この二神は、
次に
次に天石戸別神は、またの名を
次に手力雄神は、
次に天児屋命は、
次に天太玉命は、
次に天鈿売命は、
次に
次に玉祖屋命は、玉作氏の遠祖である。
以上の五部の伴を率いた神々をそえ侍らせた。
次に、
高皇産霊尊は仰せになった。
「私は天津神籬と天津磐境をつくりあげて、わが子孫のためにつつしみ祭ろう」
「お前たち、天児屋命と天太玉命の二神は、よろしく天津神籬を持って葦原の中国に降り、また、わが孫のためにつつしみ祭りなさい」
また仰せられた。
「どうぞ、お前たち二神は、共に御殿の中に侍って、よく皇孫を防ぎ守りなさい。わが高天原にある、神聖な田の稲穂を、稲の種とし、わが子孫に食べさせなさい。天太玉命は部下の諸々の神を率いて、その職に仕えて、天上での慣例のとおりにしなさい」
そこで、諸神に命じて、また一緒に降臨に随行させた。
「よろしく八十万の神々を率いて、永く皇孫のために守り申しあげなさい」
天児屋命、天太玉命、および諸々の部の神たちを、すべてお伴として授けられた。またそのお召し物は、前例のごとく授けられた。その後、天忍穂耳尊は、また天上にお帰りになった。
太子・正哉吾勝々速日天押穂耳尊は、高皇産霊尊の娘の万幡豊秋津師姫命、またの名を栲幡千々姫命を妃として、二柱の男児をお生みになった。
兄は、
弟は、天饒石国饒石天津彦火瓊々杵尊。