【先代旧事本紀】巻第二・神祇本紀 - 現代語訳
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「私は今、ご命令にしたがって、根の国に参ろうとします。そこで高天原に参って、姉のみことにお目にかかった後にお別れしたいと思います」
「許す」
そこで、天に昇られた。
素戔烏尊が天に昇ろうとする時、一柱の神がいた。名を
素戔烏尊がその玉を持って天に昇られる時、大海はとどろき渡り、山岳も鳴りひびいた。これはその性格が猛々しいからである。
天に昇られる時に、
「我が弟がやってくるのは、きっと善い心ではないだろう。きっと我が
そうして、御髪を解いて
「どういうわけで上って来たのか」
素戔烏尊は答えて仰せられた。
「私にははじめから汚い心はありません。ただすでに父のみことの厳命があって、永く根の国に去ろうとするのに、もし姉のみことにお目にかかれなければ、私はどうしてよくおいとまできましょう。また、珍しい宝である八坂瓊の勾玉を献上したいと思うだけです。あえて別の心はありません。そのため雲霧を踏み渡って、遠くからやって来たのです。思いがけないことです、姉のみことの厳しいお顔に会おうとは」
すると天照太神がまた尋ねて仰せられた。
「もしそうなら、何をもってお前の清く明るい心を証明するのか。お前のいうことが嘘か本当か、何をもって証拠とするのか」
素戔烏尊が答えて仰せられた。
「どうか私と姉のみこととで、ともに
そして天の
「お前にもし悪い心があるのならば、お前の生む子はきっと女だろう。もし男を生んだならば、私の子として、高天原を治めさせよう」
天照太神は、素戔烏尊と誓約して仰せられた。
「私が身につけている玉をお前に授けよう。お前が帯びている剣を私に授けなさい」
このように約束してお互いに取り替えられた。
天照太神が、素戔烏尊の帯びていた三ふりの剣を[また
十握剣から生まれた神の名を、
素戔烏尊が、天照太神の御手と
すなわち、左の
また、右の御鬘の玉を含んで右の手のひらの中に生まれた神の名を、
また、左の
また、右の御髻の玉を含んで右の肘につけて生まれた神の名を、
また、左の御手の玉を含んで左足の中に生まれた神の名を、
また、右の御手の玉を含んで右足の中に生まれた神の名を、
天照太神が仰せられた。
「その元を尋ねれば、玉は私の物である。だから、この成り出た六柱の男神は全部私の子である。よって引き取って、子として養い、高天原を治めさせよう。その剣はお前の物である。だから、私が生んだ三柱の女神はお前の子である」
素戔烏尊に三柱の女神たちを授けて、
そして教えて仰せられた。
「天孫を助け申しあげ、天孫のために祀られなさい」
これがすなわち、
瀛津嶋姫命は、遠沖にいらっしゃる田心姫命のことである。
稚皇産霊命の頭には桑と蚕が生じ、臍の中には五種類の穀物が生じた。この神が、
「葦原の
月読尊は、詔を受けて保食神のもとへお降りになった。
保食神が、首を回して陸に向かわれると、口から飯が出てきた。
また海に向かわれると、大小の魚が口から出てきた。
また山に向かわれると、毛皮の動物たちが口から出てきた。
そのいろいろな物をすべて揃えて、沢山の机にのせておもてなしした。
このとき、月読尊は憤然として色をなして仰せられた。
「けがらわしいことだ。いやらしいことだ。口から吐き出した物を、私に食べさせようとするのか」
そして剣を抜いて、保食神を撃ち殺された。
その後に復命して、詳しくそのことを申しあげられた。
天照太神は、非常にお怒りになって仰せられた。
「お前は悪い神だ。もうお前とは会いたくない」
そこで、月読尊とは、昼と夜とに分かれて、離れてお住まいになった。
この後、天照太神はまた、
保食神の頭には桑と蚕が生じ、目には馬と牛が生じ、胸には
そこで天熊人は、それをすべて取って持ち帰り献上した。
このとき、天照太神は喜んで仰せられた。
「この物は人民が生きていくのに必要な食べ物だ」
そこで粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。天の
その秋の垂穂は、八握りもあるほどしなって、とても気持ちよく実った。
また、口の中に蚕の繭を含んで糸をひく方法を得た。これによって養蚕が出来るようになり、絹織の業が起こった。
天照太神は、天の垣田を御田とされた。
また、御田は三ヶ所あり、名づけて天の安田・天の平田・天の
素戔烏尊にも三ヶ所の田があった。
名づけて天の樴田・天の川依田・天の
素戔烏尊の行いは、とてもいいようがないほどで、妬んで姉神の田に害を与えた。
春には種を重ね蒔きしたり、畔を壊したり、串をさしたり、樋を放ったり、用水路を壊したり、溝を埋めたりした。秋には天の斑馬を放って、田の中を荒した。
何度も
また、天照太神が神嘗・大嘗、または新嘗の祭りをされるときに現れて、新宮のお席の下に放尿脱糞された。日の神はそれを知らずに席に着かれた。
これらいろいろの仕業は、一日も止むことはなく、いいようのないほどであった。しかし日の神は、親身な気持ちでとがめられず恨まれず、すべてお赦しになった。
天照太神が神衣を織るために斎服殿(神聖な機殿)へおいでになった。そこへ素戔烏尊は、天の斑馬を生きたまま皮を逆に剥いで、御殿の屋根に穴をあけてその皮を投げ入れた。
このときに天照太神はたいへん驚いて、機織の梭で身体をそこなわれた。
一説には、織女の
天照太神は素戔烏尊に仰せになった。
「お前はやはり悪い心がある。もうお前と会いたいとは思わない」
そうして、天の岩屋に入り、磐戸を閉じ隠れられた。
そのため、高天原はすっかり暗くなり、また葦原の中国も真っ暗になって、昼夜の区別も分からなくなった。
そのため、あらゆる邪神の騒ぐ声は、夏の蠅のように世に満ち、あらゆる禍いがいっせいに起こることは、常世の国に居るようだった。諸神は憂い迷って、手も足もうち広げて、諸々のことを灯りをともしておこなった。
「常世の
そして集めて鳴き合わせた。
また、日の神のかたちを作って、招き出す祈りをすることにした。
また、鏡作の祖、
このとき作った鏡は多少不出来だった。紀伊国にいらっしゃる、
また、鏡作の祖の
この鏡が伊勢にお祀りする大神である。いわゆる
また、玉作の祖の
櫛明玉神は、伊奘諾尊の子である。
また、
また、麻積の祖の
また、
どちらも一晩で生い茂った。
また、阿波の忌部の祖の
また、
また、
また、紀伊の忌部の遠祖の
[ともに職業とした]
また、
また、玉作部の遠祖の
また、
また、
また、手置帆負と彦狭知の二神に、天の
また、大小の谷の材木を伐って、瑞殿を造らせた[古語にミヅノミアラカという]。
また、山雷の神に、天の香山の枝葉のよく茂った賢木を堀りとらせた[掘り取ることを古語にサネコジノネコジという]。
賢木の上の枝には八咫鏡を掛けた[またの名を真経津の鏡という]。中ほどの枝には八坂瓊の五百箇の御統の玉を掛けた。下の枝には青和幣・白和幣を掛けた。
およそ、その様々な諸物を設け備えることは、打ち合わせどおりにいった。
また、中臣の祖の
また、
また、天太玉命にささげ持たせて、天照太神の徳をたたえる詞を申しあげさせた。また、天児屋命と共に祈らせた。
天太玉命が広く厚く徳をたたえる詞を申しあげていった。
「私が持っている宝鏡の明るく麗しいことは、あたかもあなた様のようです。戸をあけてご覧ください」
そこで、天太玉命と天児屋命は、共にその祈祷をした。
このとき、
火を焚いて、桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神がかりになったように喋り、胸乳をかき出だし裳の紐を陰部まで押し下げると、高天原が鳴りとどろくばかりに八百万の神々がいっせいに笑った。
天照太神はふしぎに思われ仰せられた。
「私がここに籠っているから、天下は全て暗闇になり、葦原の中国はきっと長い夜だろう。それなのに、どうして天鈿売命はこんなに喜び笑い、八百万の神々もみな笑っているのだろう」
そしてあやしまれて、岩戸をわずかに開いて、このようにしているわけを問われた。
天鈿売命が答えて申しあげた。
「あなた様よりも、素晴らしく尊い神がおいでになっているので、喜び笑っているのです」
天太玉命と天児屋命がその鏡をそっと差し出して、天照太神にお見せすると、天照太神はいよいよふしぎに思われ、少し細めに岩戸をあけて、これをご覧になった。
そのとき手力雄神に、天照太神の御手をとって引き出させ、その扉を引きあけ、新殿にお移し申しあげた。
そこで、天児屋命と天太玉命は、日の
また、
現代の宮中の女官内侍が優美な言葉や端麗な言葉を用いて、君主と臣との間をやわらげて、天皇の御心を喜ばせ申しあげるようなものである。
また、
天照太神が天の岩屋から出られたために、高天原と葦原の中国は、自然と日が照り明るくなることができた。
そのときになって、天ははじめて晴れた。
「あはれ」といったその意味は、天が晴れるということである。
「あなおもしろ」は、古語に事態が最高潮に達したことを、すべて「あな」といい、神々の顔が明るく白くなったため「おもしろ」というのである。
「あなたのし」は、手を伸ばして舞うことである。今、楽しいことを指して、「たのし」というのはこの意味である。
「あなさやけ」は、笹の葉の「ささ」と鳴る音がその由来である。
「おけ」は、木の名前か。その葉を揺り動かすときの言葉である。
そうしてすぐさま、天太玉命と天児屋命の二神は申しあげていった。
「もう、天の岩屋にはお戻りになりませんように」
八百万の神々は、一同相談して素戔烏尊の罪を追求し、その罪を負わせるために、千座の置戸にたくさんの捧げ物で賠償させた。そして、髭を抜き、爪を抜いてその罪のあがないをさせた。また、手の先の爪、足の先の爪を出させ、唾を
そうして
今の世の人が、自分の切った爪を他人に渡らないようにするのは、これがその由来である。
諸神は、素戔烏尊を責めていった。
「あなたの行いは、たいへん無頼です。だから、天上に留まって住むべきではありません。また、葦原の中国にも居てはいけません。すみやかに根の国へ行ってください」
そうして、皆で追いやった。
追いやられて去るとき、食べ物を
大御食都姫神が鼻や口、尻から様々な美味しい食べ物を取り出して、いろいろに調理して差し上げるときに、素戔烏尊はそのしわざを立ち伺って、汚らわしいものを差し出すのだと思った。そのため、大御食都姫神を殺してしまった。
その殺された神の体から生まれ出た物は、頭には蚕が生じ、二つの目には稲種が生じ、二つの耳には粟が生じ、鼻には小豆が生じ、陰部には麦が生じ、尻には大豆が生じた。そこで、
素戔烏尊は、青草を編んで笠蓑として身につけ、神々に宿を借りたいと乞うた。神々はいった。
「あなたは自分の行いが悪くて追われ責められているのです。どうして宿を我々に乞うことが許されましょう」
皆で宿を断った。
それで風雨がはなはだしいものの、留まり休むことができず、苦労して降っていかれた。
これ以後、世に笠蓑を着たままで、他人の家の中に入るのを忌むようになった。また、束ねた草を背負って、他人の家の中に入るのを忌むようになった。もしこれを犯す者があると、必ず罪のつぐないを負わされる。これは大昔からの遺法である。
素戔烏尊が日の神に申しあげて仰せになった。
「私がまたやって来ましたのは、諸神が私の根の国行きを決めたので、今から行こうとするのです。もし姉のみことにお目にかからなかったら、こらえ別れることもできないでしょう。本当に清い心をもってまた参上したのです。もうお目にかかる最後です。神々の意のままに、今から永く根の国に参ります。どうか姉のみことよ、天上を治められて、平安であられますように。また私が清い心で生んだ子供たちを、姉のみことに奉ります」
また帰り降っていかれた。
日の神に副えて天上の世界を治められている。また、青海原の潮の八百重を治められている。また、夜の世界を治められている。
青海の原を治められている。また青海の原を治められ、天下を治められている。