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【関連資料】『新撰姓氏録』物部氏族条

■ 左京神別上 石上朝臣 (いそのかみのあそみ) 。 神饒速日命 (かむにぎはやひのみこと) の後なり。 穂積朝臣 (ほづみのあそみ) 。 石上と同じき祖。神饒速日命の五世孫、伊香色雄命 (いかがしこをのみこと) の後なり。 阿刀宿祢 (あとのすくね) 。 石上と同じき祖。   [逸文:太子伝玉林抄より] 新撰姓氏録第十一巻に云はく、金村連 (かなむらのむらじ) 、これ大和国城上郡椿市村 (やまとのくにしきのかみのこおりつばきいちむら) の阿刀連らの祖なり。 若湯坐宿祢 (わかゆゑのすくね) 。 石上と同じき祖。 舂米宿祢 (つきしねのすくね) 。 石上と同じき祖。 小治田宿祢 (をはりたのすくね) 。 石上と同じき祖。欽明天皇の御代に、小治田の鮎田を墾開けるに依りて、小治田大連を賜ふ。 弓削宿祢 (ゆげのすくね) 。 石上と同じき祖。 氷宿祢 (ひのすくね) 。 石上と同じき祖。 穂積臣 (ほづみのおみ) 。 伊香賀色雄 (いかがしこを) の男、大水口宿祢 (おほみなくちのすくね) の後なり。 矢田部連 (やたべのむらじ) 。 伊香我色乎命 (いかがしこをのみこと) の後なり。 矢集連 (やつめのむらじ) 。 上に同じ。 物部肩野連 (もののべのかたののむらじ) 。 上に同じ。 柏原連 (かしははらのむらじ) 。 上に同じ。 依羅連 (よさみのむらじ) 。 饒速日命の十二世孫、懐大連 (ふつくるおほむらじ) の後なり。 柴垣連 (しばかきのむらじ) 。 上に同じ。 佐為連 (さゐのむらじ) 。 速日命の六世孫、伊香我色乎命の後なり。 葛野連 (かづぬのむらじ) 。 上に同じ。 登美連 (とみのむらじ) 。 上に同じ。 水取連 (もひとりのむらじ) 。 上に同じ。 大貞連 (おほさだのむらじ) 。 速日命 (はやひのみこと) の十五世孫、弥加利大連 (みかりのおほむらじ) の後なり。上宮太子 (かみつみやのひつぎのみこ) 、摂政の年に、大椋官 (おほくらのつかさ) に任けられぬ。時

【関連資料】采女氏塋域碑

■ 采女氏塋域碑(うねめしえいいきひ)文 飛鳥浄原大朝廷大弁 官直大貳采女竹良卿所 請造墓所形浦山地四千 代他人莫上毀木犯穢 傍地也  己丑年十二月廿五日 [書き下し] 飛鳥浄原大朝廷の大弁官、直大弐采女竹良卿が請ひて造る所の墓所、形浦山の地の四千代なり。他の人が上りて木をこぼち、傍の地を犯し穢すことなかれ。 己丑年十二月二十五日。 采女臣竹羅の墓所について公認を得て示した碑。現在は所在不明で、拓本のみ伝わります。 己丑年=持統三年と見られます。采女竹良卿(采女臣竹羅)については『日本書紀』にその活動が見え、天武十年に小錦下冠で遣新羅大使、天武十三年に信濃の地勢検査へ遣わされ、同年臣姓から朝臣姓を賜り、天武十四年に大安殿にて博戯が催された際は天皇の衣袴を賜り、朱鳥元年天武天皇崩御に際しては内命婦の事を誄したことがわかります。 形浦山は大阪府南河内郡太子町春日の現「片原山」( 地図 )。   狩谷望之編『古京遺文』を基に作成。 参考: 竹内理三編『寧楽遺文』下巻、近江昌司「采女氏塋域碑について」 日本歴史学会『日本歴史』431、同「妙見寺と采女氏塋域碑」 古代学協会『古代文化』464 天璽瑞宝トップ > 関連資料 > 采女氏塋域碑

【関連資料】『懐風藻』物部氏族関連詩

  正五位上近江守釆女朝臣比良夫。一首。 [年五十。] ■ 五言。春日宴に侍す、応詔。 論道與唐儕。語德共虞隣。 冠周埋尸愛。駕殷解網仁。 淑景蒼天麗。嘉氣碧空陳。 葉綠園柳月。花紅山櫻春。 雲間頌皇澤。日下沐芳塵。 宜獻南山壽。千秋衛北辰。 道を 論 ( い ) へば唐と 儕 ( ひと ) しく、徳を語れば虞と 隣 ( なら ) ぶ。 周が 尸 ( かばね ) を埋めし愛に 冠 ( ひ ) で、殷が網を解きし仁を 駕 ( しの ) ぎたまふ。 淑景蒼天 ( しゅくけいさうてん ) に麗しく、 嘉気碧空 ( かきへきくう ) に 陳 ( つらら ) く。 葉は緑なり 園柳 ( ゑんりう ) の月、花は 紅 ( くれなゐ ) なり山桜の春。 雲間皇澤 ( うんかんくわうたく ) を 頌 ( ほ ) め、 日下芳塵 ( じつかはうぢん ) に沐す。 宜しく南山の 壽 ( よごと ) を獻りて、 千秋 ( とこしへ ) の北辰を衛るべし。   従五位下刑部少輔兼大学博士越智直広江。一絶。 ■ 五言。懷を述ぶ。 文藻我所難。莊老我所好。 行年已過半。今更為何勞。 文藻 ( ぶんさう ) は我が 難 ( かた ) みする所、荘老は我が好む所。 行年已に半ばを過ぎぬ、今更に何の為にか 労 ( いたつ ) む。   外従五位下大学頭箭集宿祢虫麻呂。二首。 ■ 五言。讌(うたげ)に侍す。一首。 聖豫開芳序。皇恩施品生。 流霞酒處泛。薰吹曲中輕。 紫殿連珠絡。丹墀蓂草榮。 即此乘槎客。倶欣天上情。 聖豫芳序 ( せいよほうじよ ) に開き、 皇恩品生 ( くわうおんひんせい ) に施したまふ。 流霞酒處 ( りうかしゆしよ ) に 泛 ( う ) かび、 薰吹曲中 ( くんすゐきよくちゆう ) に軽し。 紫殿連珠 ( しでんれんしゆ ) 絡 ( まと ) ひ、 丹墀蓂草 ( たんちめいさう ) 栄ゆ。 即ち此れ 槎 ( いかだ ) に乗れる客、倶に 欣 ( よろこ ) ぶ天上の 情 ( こころ ) 。   ■ 五言。左僕射長王が宅にして宴す。一首。 靈臺披廣宴。寶斝歡琴書。 趙發青鸞舞。夏踊赤鱗魚。 柳條未吐綠。梅蕊已芳裾。 即是忘歸地。芳辰賞叵舒。 霊台広宴 ( れいだいくわうえん

【関連資料】『高橋氏文』

『高橋氏文』逸文 目次 1.書き下し   1−1.『本朝月令』所引   1−2.『政事要略』所引 2.現代語訳   2−1.『本朝月令』所引   2−2.『政事要略』所引 3.略説 書き下し ■ 『 本朝月令 』 所引 高橋氏文に云はく、 挂けまくも畏き巻向日代宮 (まきむくのひしろのみや) に御宇 (あめのしたしろ) しめしし大足彦忍代別天皇 (おほたらしひこおしろわけのすめらみこと) の五十三年癸亥八月、群卿に詔りて曰く、「朕愛し子を顧ぶこと何日にか止む、小碓王 (をうすのみこ) [又の名は倭武王 (やまとたけるのみこ) ]の平之国 (ことむけしくに) を巡狩むと欲ふ」と。是の月、伊勢に行幸し、転りて東国に入りたまふ。冬十月、上総国安房の浮島宮に到ります。その時磐鹿六獦命 (いはかむつかりのみこと) 従駕に仕へ奉りき。 天皇葛餝野 (かつしかのの) に行幸して御獦したまひき。大后八坂媛 (やさかひめ) は借宮 (かりみや) に御坐しまし、磐鹿六獦命もまた留り侍りき。 此の時大后、磐鹿六獦命に詔りたまはく、「此の浦に異しき鳥の音聞ゆ。其れ駕我久久と鳴けり。其の形を見まく欲す」とのりたまふ。即ち磐鹿六獦命、船に乗りて鳥の許に到れば、鳥驚きて他浦に飛びき。猶し追ひ行けども遂にえ捕へず。是に磐鹿六獦命詛曰く、「汝鳥、其の音を恋ひてかたちを見まく欲するに他浦に飛び遷りて其の形を見しめず。今より後、陸にえ登らざれ。若し大地の下に居らば必ず死 (まか) りなむ。海中を以て住処とせよ」といひき。 還る時に舳を顧みすれば魚多く追ひ来。即ち磐鹿六獦命、角弭の弓を以て遊べる魚の中に当てしかば、即ち弭に著きて出でて忽ちに数隻を獲つ。仍ち号づけて頑魚 (かたうを) と曰ふ。此を今の諺に堅魚 (かつを) と曰ふ。[今、角を以て釣柄を作り堅魚を釣るは此の由なり。] 船潮の涸るるに遇ひて渚の上に居ぬ。掘り出さむとするに、八尺の白蛤一具を得つ。磐鹿六獦命件の二種の物を捧げて太后に献りき。 かれ、太后誉め給ひ悦び給ひて詔りたまはく、「甚味く清く造りて御食に供へまつらむ」と。その時磐鹿六獦命申さく、「六獦料理 (つくら) せて仕へ奉らむ」とまをして、 無邪志国造 (むさしのくにのみやつこ) の上祖大多毛比 (おほたもひ) 、知々夫国造 (ちちぶのくにのみや

【関連資料】『住吉大社神代記』膽駒神南備山本記

膽駒 (いこま) 神南備山 (かむなびやま) の本記 四至 [東を限る、膽駒川 (いこまかは) ・龍田の公田。南を限る、賀志支利坂 (かしきりさか) ・山門川 (やまとかは) ・白木坂・江比須墓 (えひすのはか) 。西を限る、母木里 (おものきのさと) の公田・鳥坂 (とりさか) に至る。北を限る、饒速日山 (にぎはやひやま) 。] 右、山の本記は、昔、大神の本誓 (みうけひ) に依り、寄さし奉る所、巻向の玉木宮 (たまきのみや) に御宇 (あまのしたしろしめ) しし天皇・橿日宮 (かしひのみや) に御宇しし天皇なり。 熊襲国・新羅国・辛嶋 (からしま) を服はしめ賜ひ、長柄泊 (ながらのとまり) より膽駒嶺 (いこまのみね) に登り賜ひて宣り賜はく、「我が山の木の実・土毛土産 (くにつもの) 等をもて斎祀 (いつきまつ) らば、天皇が天の下を平らけく守り奉つらむ。若し荒振 (あらぶ) る梟者あらば、刃に血ぬらずして挙足誅 (けころし) てむ」と宣り賜ふ。 大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは、船木の遠祖、大田田神 (おほたたのかみ) なり。此の神の造作 (つく) れる船二艘[一艘は木作り、一艘は石作り。]を以て、後代の験 (しるし) の為に、膽駒山の長屋墓 (ながやのはか) に石船、白木坂の三枝墓 (さきくさのはか) に木船を納め置く。 唐国に大神の通ひ渡り賜ふ時、乎理波足尼命 (をりはのすくねのみこと) 、この山の坂木を以て、迹驚岡 (とどろきのをか) の神を岡に降し坐して斎祀る。時に恩智神 (おむちのかみ) 、参り坐在す。かれ、毎年の春秋に墨江 (すみのえ) に通ひ参ります。之に因り、猿の往来絶えざるは、此れ其の験なり。 [母木里と高安国との堺に諍石 (いさめのいし) 在置 (あ) り。大神、此の山に久く誓ひ賜ひて、「草焼く火あり、木は朽ちるとも、石は久遠 (とは) に期 (ちぎ) らむ。」とのたまひき。]     『住吉大社神代記』は、摂津国住吉郡の住吉大社の鎮座縁起や神宝・神領などについて記された文献です。天平三年七月に神祇官へ提出された解文で、編纂者は津守宿祢嶋麻呂、津守宿祢客人とされます。成立年代については、坂本太郎氏の元慶三年以降の造作と見る説や、それを批判する田中卓氏の天平三年原撰・延暦初年書写説があります。 その一部分であ

【関連資料】『因幡国伊福部臣古志』 伊福部氏の系図

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因幡国伊福部臣古志 并せて序 散位従六位下伊福部臣冨成 (いふきべのおみとみなり) 撰す それ前條を観て、はるかに玄古を稽ふるに、国常立尊より以降、素盞嗚尊までは、国史を披き閲して知りぬべし。故、降りて大己貴神を以て、始祖と為す。昔、先考邑美郡の大領外正七位下、諱は公持臣 (きみもちのおみ) 、右馬少允正六位下佐美麻呂臣 (さみまろのおみ) と宴飲し、酒たけなはに常に古志を論ず。蒙、常に隅に座して、膚に鏤め骨に銘す。恐くは末裔聞かざるが故に、伝を転して之を示す。但し道聞衢説は、蒙の取らざる所なり。時に延暦三年歳次甲子なり。 第一 大己貴命 [此れを於保奈无知命と云ふ。] [地神五代の内、第二の天忍穂耳尊と申すは、国造の始なり。] 一名は大国主神。亦の名は国作大己貴命。亦の名は葦原醜男[此れを志己乎と云ふ。]神。 亦の名は八千戈神。亦の名は顕[此れを宇都志と云ふ。]国玉神。亦の名は大国玉神。亦の名は大物主神。 惣て八つの名有る神なり。 父は素盞嗚神と曰ひ、母は脚摩乳神の女、奇稲田姫と曰ふ。或る書に曰はく国神足名槌の女、櫛名田媛命は、是れ同じきなり。今、国の是之に祭る所の国主神稲葉の杖社等の類は、是れ大己貴の霊魂なり。 第二 五十研丹穂命 (いきしにほのみこと) 父は大穴牟遅命と曰ふ。 母は天照大神尊の弟、忍小媛命 (おしをひめのみこと) と曰ふ。 第三 建耳丹穂命 (たけみみにほのみこと) 父は伊伎志尓冨命と曰ふ。 第四 伊瀬丹穂命 (いせにほのみこと) 或る書に曰はく、天丹戈命 (あまのにほこのみこと) 。一書に曰はく、荒田磯丹穂命 (あらたいそにほのみこと) 。 一書に曰はく、天日椅乃命 (あまのひはしのみこと) 。 第五 天沼名桙命 (あまのぬなほこのみこと) 一書に曰はく、天蕤戈命 (あまのぬほこのみこと) 。 第六 天御桙命 (あまのみほこのみこと) 第七 荒木臣命 (あらきのおみのみこと) 一書に曰はく、荒根使主命 (あらねのおみのみこと) 。 第八 櫛玉饒速日命 (くしたま