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【所縁の史跡】小坂駒形古墳(静岡県)

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■ 小坂駒形古墳  [地図] 静岡県伊豆の国市小坂にある、駒形古墳です。 狩野川の左岸、葛城山の北東に位置します。 墳丘が残っているのはこの古墳だけですが、他に5基が確認され、未確認や消滅したものも合わせて、群を形成していたようです。 現状では直径27m程度の円墳のように見えますが、明治5年に前方部を切り崩された前方後円墳ともいわれます。 そのとき人物埴輪が出土したといい、前方後円墳とすれば伊豆で唯一の例になります。 築造時期は、古墳時代後期と推定されるようです。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 小坂駒形古墳

【所縁の史跡】布刀主若玉命神社(静岡県)

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  ■ 神明神社  [地図] 静岡県賀茂郡西伊豆町浮島に鎮座する神明神社です。 『延喜式』神名帳の伊豆国那賀郡にみえる、「布刀主若玉命神社」にあてられます。 社名の「布刀主」には、「ふとぬし」「ふつぬし」の読みがされた写本があります。 経津主神との関係は不明。 鎮座地名の浮島(ふと)に拠るとするのが通説のようです。 祭神は、布刀主若玉命。 伊豆国神階帳の「従四位上二浦谷玉姫の明神」が当社祭神にあてられます。 境内には大きな瘤の面白い木がありました。 西へ150mほど行くと、静かな入り江です。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 布刀主若玉命神社

【所縁の史跡】 伊豆の国魂神(静岡県)

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  ■ 諸口神社  [地図] 静岡県沼津市戸田に鎮座する諸口神社です。 戸田港と駿河湾を隔てる砂州状の半島に位置します。 『延喜式』神名帳の伊豆国那賀郡には「国玉命神社」が二社あり、その論社となっています。 社殿の正面は上写真の鳥居のとおり、港湾側を向いており、船を使うのが表参道のようです。下は半島側の道を通る裏参道の鳥居です。 祭神は、弟橘姫命。 弁天社ともいわれ、海の恵みをもたらす女神と見られてきたようです。 弟橘姫命は日本武尊の妃で、荒らぶる海の神を鎮めるため入水したことが記紀にはみえます。 国玉命神社にあてられることから、祭神は国玉命とする説もあります。 また、伊豆国神階帳の「もろき姫の明神」が当社の祭神とされています。 ■ 国玉神社  [地図] 静岡県伊豆市小土肥に鎮座する国玉神社です。 こちらも伊豆国那賀郡の式内「国玉命神社」の論社。 境内にはかつて「子宝の松」と呼ばれる樹齢選数百年の大松があったそうですが、昭和の半ばには枯死し、現在の松は二代目なのだそうです。 祭神は大国主命。 社名から、国玉命や、伊豆国神階帳にみえる「国玉姫の明神」とも見られています。 ■ 国柱命神社  [地図] 静岡県賀茂郡松崎町岩科に鎮座する国柱命神社です。 神明宮とも通称されているようです。 『延喜式』神名帳の伊豆国那賀郡に、「国柱命神社」があります。 祭神は国柱姫命。 伊豆国神階帳の「国原姫の明神」と同一視されます。 新野直吉氏は、伊豆国造について田方郡での在地性や律令時代における三島神社への関与を認めつつも、 「むしろ、『延喜式』などでは那賀郡内になっているが、もとはこの国造の支配下にあったはずの国玉命・国玉姫・国柱命神社などの方が、氏姓伊豆国造と関係深いものであろう。」 として、国玉命神社や国柱命神社は、国造が職掌のひとつとして行っていた、伊豆の国魂神の祭祀と繋がると見ているようです。 伊豆国造は『旧事本紀』国造本紀に物部氏同族とされますが、平城京で、物部の部民の末裔らしい那賀郡の人たちの名を記した木簡が、多数見つかっていることと関係するでしょうか。 境内社には、小鷹神社、茂山神社、琴平神社があります。 下写真は茂山神社です。 参考:新野直吉「国造の世界」 大場磐雄・下出積与編『古代...

【所縁の史跡】 北江間横穴墓群(静岡県)

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■ 北江間横穴墓群  大師山支群  [地図] 静岡県伊豆の国市北江間にある北江間横穴墓群。 その大師山支群です。 1号墓には、くり抜き式の家型石棺があります。 かなり大きな横穴です。 石棺の内部。 ↓2号墓には、奥壁と平行するように、作りつけの石棺があります。 身は作りつけですが、蓋はもちろん別パーツです。近世のものらしい文字が彫られています。 10基から成る横穴墓群ですが、埋まっているのかよくわからないものもあります。 7世紀中頃から8世紀中頃にかけて造られた、当地の有力者の奥津城と見られています。 8号墓。 左右の側壁に沿うように、ふたつの作りつけ石棺があります。 ■ 北江間横穴墓群  大北支群   [地図] 同じく北江間横穴群から、大北支群です。 40数基から成り、下写真のような小さなものは、火葬骨を納めるためのもののようです。 「若舎人」と彫られた石櫃で有名です。 ここが舎人として上番した豪族の墓域であったことを示すと見られています。 静岡県最古の金石文でもあるそうです。 現地の石櫃は、他には五個くらい適当に横穴中に詰めて転がしてあったりしたので、これらはレプリカでしょうか。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 北江間横穴墓群

【所縁の史跡】 柏谷百穴(静岡県)

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■ 柏谷百穴  [地図] 静岡県田方郡函南町柏谷にある、柏谷横穴墓群です。柏谷百穴とも呼ばれています。 きれいに公園化され、見学しやすくなっています。 全体で300基以上の横穴墓が、東西600m、南北250mの範囲にわたって造られた、規模の大きな横穴墓群。 6世紀末ころから造墓がはじまり、追葬も含めて8世紀末ころまで使用されたらしいです。 カマボコ形に穿たれたものが多かったように思います。 龕状の掘り込みのあるものには、仏教との関係を想定する見方もあるようです。 120号墓・122号墓からは、閉塞石が確認されています。 隣りの125号墓・127号墓が、横穴群中で最も古く、6世紀代のものとみられているそうです。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 柏谷百穴