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【所縁の史跡】楯縫神社(兵庫県丹波市)

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  ■ 楯縫神社   [地図] 兵庫県丹波市春日町長王に鎮座する、楯縫神社です。 『延喜式』神名帳の丹波国氷上郡に、「楯縫神社」が見えます。 本殿は左右二殿あり、右手の大きめのもの(楯縫社)に主神の彦狭知命が、左手のもの(子守社)に多紀理比売命を祀ります。 彦狭知命は、出雲国譲の後に作楯者として大己貴神を祀ることになった(神代紀下第九段一書第二)とされる神です。 楯縫氏の祖ともいわれることがあります。 『延喜式』は、大嘗会で用いる神楯四枚を、丹波国の楯縫氏が造ることを定めています。 この楯を、物部氏後裔の石上氏・榎井氏が大嘗宮の南北の門に立てました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 楯縫神社

【所縁の史跡】須波伎部神社(京都府)

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  ■ 須波岐部神社   [地図] 京都府綾部市物部町横椽に鎮座する、須波岐部神社です。 『延喜式』神名帳の丹波国何鹿郡に、「須波伎部神社」が見えます。 神社の創建は、社伝によると大同二(807)年とされています。 鎮座地一帯は、『和名抄』にある丹波国何鹿郡「物部郷」に比定されます。 『三代実録』の貞観十一年十二月八日条には、丹波国の正六位上物部簀掃(すはき)神が、従五位下の神階へ昇叙したことが見えます。 祭神は大日孁貴尊とされています。 物部郷内に物部簀掃神として奉斎されていたものですから、本来は物部氏に縁故の神が祀られていたと考えられます。 『式内社調査報告』は、簀掃を掃部のことと解釈し、宮中とのつながりを想定します。 木造流造の本殿は、社伝によると、元和九(1623)年の建立だそうです。 神社から西400mほどの丘陵上には、全長35.5mの前方後円墳、須波伎東古墳があります。このほか一帯には石塚古墳群など、未調査のものがほとんどながら古墳が多く、早くに開けた地だったことがわかります。 写真は、本社の左隣りにある、摂社の広峯神社です。 兵庫県の広峯神社から勧請されたもので、祭神は素盞鳴尊。 境内摂社の天満宮(菅原道真公)と太田神社(倉稲魂神)。 本社からは一段低いところに位置します。 境内の一角に、神宮寺だった中谷山天慈院の薬師如来坐像が安置されているそうです。 室町時代中期を下らないものかといわれています。 背後の山々の緑も美しい神社は、高台に位置し、集落や田畑を見守るかのような風情がありました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 須波伎部神社

【所縁の史跡】嶋物部神社(京都府)

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  ■ 荒井神社   [地図] 京都府南丹市八木町美里字荒井に鎮座する、荒井神社です。 JR吉富駅から北東へ約1km、園部川と桂川の合流点にほど近いところに位置します。 近くには、メグミルクの大きな工場もありました。 石製の鳥居には、「延享四(丁卯)年」と彫られていました。江戸時代中期に作られたもののようです。 『三代実録』元慶六年十月九日に従五位下へ叙せられたとある、丹波国荒井神にあてられます。 また、『延喜式』神名帳の丹波国船井郡に見える、「嶋物部神社」の論社ともされます。 嶋物部神社の「嶋」は、『和名抄』の丹波国船井郡十一郷のひとつ、志麻郷として見える地名に由来すると考えられています。 祭神は、荒魂神。 物部神社にあてられる関係から、物部氏の祖、宇摩志麻治命のことと解釈されているようです。 現存の本殿は、江戸時代のものですが、室町時代の形式・木材を一部受け継いでいるとも。 京都府の文化財に指定されています。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 嶋物部神社