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【所縁の史跡】石上布都之魂神社(岡山県)

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  ■ 石上布都之魂神社   [地図] 岡山県赤磐市石上に鎮座する、石上布都魂神社です。 岡山市の吉備津彦神社と並び備前国一の宮と称され、崇敬を集める古社です。 『延喜式』神名帳の備前国赤坂郡に「石上布都之魂神社」がみえ、備前国神名帳には「従四位下 布津明神」がみえます。 『日本書紀』の巻第一第八段の第二の一書は、素盞嗚命が八岐大蛇を斬ったという剣「蛇の麁正」について、「此は今石上に在す」といい、同じく第三の一書はこの剣を「韓鋤の剣」と呼び、「其の素盞嗚尊の蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り」とします。 これらの記述を、当社と関係していると見る説が有力です。 祭神は素盞嗚尊です。 『特撰神名帳』は布都之魂神、『神社明細帳』は十握剣をあてています。明治の郷社列格のころ、本来の剣神を祭神とすることがタブー視され、素盞嗚尊へ変更されたともいいます。 奈良県の石上神宮に祀られる武甕槌神の佩剣・布都御魂神と、素盞嗚命の断蛇の剣とは混同されることも多いようです。 よく似た性格を持つせいでしょうか。 『新撰姓氏録』大和国皇別の布留宿禰条には、米餅搗大使主の孫の市川臣が、仁徳朝に布都努斯神を大和国の石上の布瑠高庭の地へ持ち込み、祀ったことが見えます。 どこから、ということが問題になりますが、やはりこの神社からというのが妥当ではないでしょうか。 姓氏録の所伝は、石上神宮に布都御魂神・布瑠御魂神とともに祀られる布都斯魂神の鎮座伝承であり、また和珥氏族布留宿禰(物部首)の祖先伝承でもあります。 一書に載せる異伝とはいえ日本書紀が「今(書紀編纂時?)」も剣が吉備にあるとすることと合わせて、断蛇の剣と石上布都之魂神社の存在は、強い影響力と知名度を持っていたといえそうです。 社殿の左側から大松山山頂方面へ向かって登ったところに、本宮と呼ばれる奥院があります。 小祠の背後の岩塊が、磐座として祀られています。 社殿はもと本宮の位置にありました。寛文九年に、池田綱政によって造営されたものと伝えます。 明治四十三年に火災で焼失し、大正四年に現在の場所で再建されています。    天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 石上布都之魂神社