【所縁の史跡】石上布都之魂神社(岡山県)

 

石上布都之魂神社 [地図]


岡山県赤磐市石上に鎮座する、石上布都魂神社です。
岡山市の吉備津彦神社と並び備前国一の宮と称され、崇敬を集める古社です。

『延喜式』神名帳の備前国赤坂郡に「石上布都之魂神社」がみえ、備前国神名帳には「従四位下 布津明神」がみえます。

『日本書紀』の巻第一第八段の第二の一書は、素盞嗚命が八岐大蛇を斬ったという剣「蛇の麁正」について、「此は今石上に在す」といい、同じく第三の一書はこの剣を「韓鋤の剣」と呼び、「其の素盞嗚尊の蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り」とします。

これらの記述を、当社と関係していると見る説が有力です。

祭神は素盞嗚尊です。

『特撰神名帳』は布都之魂神、『神社明細帳』は十握剣をあてています。明治の郷社列格のころ、本来の剣神を祭神とすることがタブー視され、素盞嗚尊へ変更されたともいいます。

奈良県の石上神宮に祀られる武甕槌神の佩剣・布都御魂神と、素盞嗚命の断蛇の剣とは混同されることも多いようです。
よく似た性格を持つせいでしょうか。

『新撰姓氏録』大和国皇別の布留宿禰条には、米餅搗大使主の孫の市川臣が、仁徳朝に布都努斯神を大和国の石上の布瑠高庭の地へ持ち込み、祀ったことが見えます。
どこから、ということが問題になりますが、やはりこの神社からというのが妥当ではないでしょうか。

姓氏録の所伝は、石上神宮に布都御魂神・布瑠御魂神とともに祀られる布都斯魂神の鎮座伝承であり、また和珥氏族布留宿禰(物部首)の祖先伝承でもあります。
一書に載せる異伝とはいえ日本書紀が「今(書紀編纂時?)」も剣が吉備にあるとすることと合わせて、断蛇の剣と石上布都之魂神社の存在は、強い影響力と知名度を持っていたといえそうです。

社殿の左側から大松山山頂方面へ向かって登ったところに、本宮と呼ばれる奥院があります。
小祠の背後の岩塊が、磐座として祀られています。


社殿はもと本宮の位置にありました。寛文九年に、池田綱政によって造営されたものと伝えます。
明治四十三年に火災で焼失し、大正四年に現在の場所で再建されています。
  

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