【先代旧事本紀】巻第一・陰陽本紀 - 現代語訳

天璽瑞宝トップ > 先代旧事本紀 > 現代語訳 > 巻第一・陰陽本紀


陰陽本紀

天の祖神が伊奘諾尊いざなきのみこと伊弉冉尊いざなみのみことに詔して仰せられた。
豊葦原とよあしはらの豊かに稲穂の実る国がある。お前たちが行って治めなさい」
そうして、天瓊矛あめのぬぼこを授けてご委任になった。

伊奘諾尊と伊弉冉尊とが詔を受けて、天浮橋あめのうきはしの上に立って、語り合って仰せになった。
「何か脂のようなものが浮かんでいる。そのなかに国があるだろうか」
そうおっしゃって、天瓊矛で下界を探って海原を得られた。そしてその矛を投げ下ろして海をかき回し、引き上げるとき、矛の先からしたたり落ちる潮が固まって島となった。
これを名づけて磤馭盧島おのころしまという。

そうして、天瓊矛を磤馭盧島の上にさし立てて、これをもって国の天の御柱とした。
伊奘諾尊・伊弉冉尊はその島に天降り、大きな御殿を造られて、共に住まわれた。

伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体は、どのようにできているのか」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体はだんだん成りととのって、成り合わないところが一か所あります」

伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体はだんだん成りととのって、成り余ったところが一か所ある。だから、私の成り余っているところを、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を生み出そうと思うがどうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「それはよろしゅうございます」

そこで伊奘諾尊は仰せになった。
「それでは私とあなたと天の御柱を回って、出会って結婚しよう」
そう約束して仰せられた。
「あなたは左から回って、私は右から回って会おう」
約束どおり天の柱を分かれてめぐって行きあった。
伊弉冉尊が先に唱えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方に出会えたのでしょう」
伊奘諾尊がつぎに答えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめに出会えたのだろう」
伊奘諾尊が伊弉冉尊に告げて仰せられた。
「私は男子だ。順序は男から先にいうべきである。女が先に唱えるはよくないことだ。しかし、共に夫婦となって子を生もう」
こうして陰陽が始めて交合して、夫婦となって子を産んだ。

最初に生まれたのが水蛭子ひるこである。この子は葦船に乗せて流し棄てた。次に淡島あわしまを生んだ。この子もまた御子の数には入れなかった。

伊奘諾尊、伊弉冉尊の二神が相談して仰せられた。
「いま、私たちの生んだ子は不吉だった。天に帰り上って、この様子を申しあげよう」
そこで、二人して天に上り、申し上げた。天の祖神は太占で占って詔された。
「女性が先に声をかけたのが良くなかったのだ。また改めて天降りなさい」
そうしていつがよいかを占って再び降った。

伊奘諾尊が仰せになった。
「私とあなたとで、改めて柱を回ろう。私は左から、お前は右から柱を回ってお互いが会ったところで交わろう」
こう約束されて、二神は約束どおり天の御柱を回り、同じところに出会われた。この時に伊奘諾尊が、まず唱えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめだろう」
伊弉冉尊は後に答えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方でしょう」

伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体はどんなになっているか」
そして、仰せになった。
「私の体は、つくりあげられて成り余った、雄の元という所がある」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体は、つくりあげられて成り合わない、雌の元という所があります」
伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体の成り余ったところで、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を産もうと思うが、どうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「よろしゅうございます」

ここに、はじめて陰陽の神が交合し、国土を産もうとしたが、その方法を知らなかった。
このとき、鶺鴒せきれいが飛んできて、その頭と尻尾を振った。二神はそれを見習われて、交合の方法をお知りになった。

まず、淡路州あわじのしまをお産みになったが、不満足な出来だった。そのため淡路州という。「吾恥(あはじ)」の意である。

次に、伊予いよの二名の州をお生みになった。ある書は「州」をみな「洲」と記している。
次に、筑紫つくし州をお生みになった。
次に、壱岐いき州をお生みになった。
次に、対馬州つしまをお生みになった。
次に、隠岐おき州をお生みになった。
次に、佐渡さど州をお生みになった。
次に、大日本豊秋津州おおやまととよあきつしまをお生みになった。
これによって、以上の生んだ島々を大八州おおやしまという。

その後、大八州を生んで帰られるときに、吉備きび児島こじまをお生みになった。
次に、小豆島あづきしまをお生みになった。
次に、大島おおしまをお生みになった。
次に、姫島ひめしまをお生みになった。
次に、血鹿島ちかのしまをお生みになった。
次に、両児島ふたこしまをお生みになった。
あわせて六島になる。

合計十四の島をお生みになった。その他の所々にある小島は、すべて元は水の泡の潮が固まってできたものである。

まず、大八州をお生みになった。
兄として淡路の州をお生みになった。淡道の穂の狭別島あわじのほのさわけのしまという。
次に、伊予の二名島、この島は身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
 伊予国を愛比売えひめという。[西南の隅]
 讃岐国を飯依比古いいよりひこという。[西北の隅]
 阿波国を大宜都比売おおげつひめという。[東北の隅]
 土佐国を速依別はやよりわけという。[南東の隅]
次に、隠岐の三つ子の島を天の忍許呂別あめのおしころわけという。
次に、筑紫の島、この島も身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
 筑紫国を白日別しらひわけという。
 豊国を豊日別とよひわけという。
 肥国を建日別たけひわけという。
 日向国を豊久士比泥別とよくしひねわけという。
次に、熊襲の国を建日別という。[一説には佐渡島を建日別という]
次に、壱岐島を天比登都柱あまひとつはしらという。
次に、津島を天の狭手依比売あめのさてよりひめという。
次に、大倭豊秋津島を天御虚空豊秋津根折別あめのみそらとよあきつねわけといいう。

次に、六つの小島をお生みになった。
兄の吉備の児島を建日方別たけひかたわけという。
次に、小豆島を大野手比売おおのてひめという。
次に、大島を大多麻流別おおたまるわけという。
次に、姫島を天一根あまひとつねという。
次に、血鹿島を天の忍男あめのおしおという。
次に、両児島を天両屋あめのふたやという。

大八島すべてをお産みになった。続けて生まれた六つの小島と合わせて十四の島になる。その所々にある小島は、すべて水の泡の潮が固まってできたものである。



伊奘諾・伊弉冉の二神は、国を生み終えられて、さらに十柱の神をお生みになった。
まず大事忍男神おおことおしおのかみをお生みになった。
次に、石土毘古神いわつちひこのかみをお生みになった。
次に、石巣比売神いわすひめのかみをお生みになった。
次に、大戸日別神おおとひわけのかみをお生みになった。
次に、天の吹上男神あめのふきかみおのかみをお生みになった。
次に、大屋比古神おおやひこのかみをお生みになった。
次に、風木津別の忍男神かざもつわけのおしおのかみをお生みになった。
次に、海神、名は大綿津見神おおわたつみのかみ[またの名を小童命わたつみのみこと]をお生みになった。
次に、水戸神みなとのかみ、名は速秋津彦神はやあきつひこのかみ[またの名を速秋田命はやあきたのみこと]をお生みになった。
次に、妹・速秋津姫神はやあきつひめのかみをお生みになった。

また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神をお生みになった。
まず、沫那芸神あわなぎのかみをお生みになった。
次に、泡那美神あわなみのかみをお生みになった。
次に、頬那芸神つらなぎのかみをお生みになった。
次に、頬那美神つらなみのかみをお生みになった。
次に、天の水分神あめのみくまりのかみをお生みになった。
次に、国の水分神くにのみくまりのかみをお生みになった。
次に、天の久比奢母道神あめのくひざもちのかみをお生みになった。
次に、国の久比奢母道神くにのくひざもちのかみをお生みになった。
次に、山神、名は大山津見神おおやまつみのかみ[一説には大山祇神おおやまつみのかみという]をお生みになった。
次に、野神、名は鹿屋姫神かやのひめのかみ[またの名を野推神のつちのかみという]をお生みになった。

また、この大山祇神と野稚神のつちのかみが山と野を分担して八柱の神をお生みになった。
まず、天の狭土神あめのさづちのかみをお生みになった。
次に、国の狭土神くにのさづちのかみをお生みになった。
次に、天の狭霧神あめのさぎりのかみをお生みになった。
次に、国の狭霧神くにのさぎりのかみをお生みになった。
次に、天の闇戸神あめのくらとのかみをお生みになった。
次に、国の闇戸神くにのくらとのかみをお生みになった。
次に、大戸或子神おおとまといこのかみをお生みになった。
次に、大戸或女神おおとまといめのかみをお生みになった。

また神をお生みになった。名を鳥の石楠船神とりのいわくすふねのかみという。[または天鳥船神あめのとりふねのかみという]。
また、大宜都比女神おおげつひめのかみをお生みになった。

伊奘諾尊が仰せられた。
「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」
そうして霧を吹き払われると、その息が神になった。これを風神という。
風神を名づけて級長津彦命しなつひこのみことという。
次に、級長戸辺神しなとべのかみ
次に、飢えて力のない時にお生みになった御子を、稲倉魂命うかのみたまのみことと名づけた。
次に、草の祖をお生みになって、名づけて草姫かやのひめという[またの名を野槌のつちという]。
次に、海峡の神たちをお生みになった。速秋日命はやあきひのみことと名づけた。
次に、木の神たちをお生みになった。名づけて句々廼馳神くくのちのかみという。
次に、土の神をお生みになった。名づけて埴山姫神はにやまひめのかみという[また、埴安姫神はにやすひめのかみともいう]。
その後、ことごとくの万物をお生みになった。

伊奘諾尊・伊弉冉尊の二神は、共に相談して仰せになった。
「私たちはもう、大八州や山川草木を生んだ。どうして天下の主たる者を生まないでよかろうか」

そこでまず、日の神をお生みになった。
大日孁貴おおひるめむちという。または天照太神あまてらすおおみかみといい、大日孁尊という。
この御子は、華やか光りうるわしくて、国中に照りわたった。それで、二柱の神は喜んで仰せられた。
「わが子たちは沢山いるが、いまだこんなにあやしく不思議な子はなかった。長くこの国に留めておくのはよくない。早く天に送り、天上の仕事をしてもらおう」
この時、天と地とはまだそれほど離れていなかった。そのため、天の御柱をたどって、天上に送り上げた。

次に、月の神をお生みになった。
名づけて月読尊つくよみのみことという。または月夜見つくよみ月弓つくゆみという。
その光りうるわしいことは、太陽に次いでいた。それで日に副えて治めさせるのがよいと、天に送り上げた。

次に、素戔烏尊すさのおのみことをお生みになった。
このかたは天下を治められるべきだったが、勇ましく荒々しくて、残忍なことも平気だった。
また、常に泣きわめくことがあった。そこで、国内の人々が若死にさせられた。また、青々とした山を枯れた山に変え、川や海の水をすっかり泣き乾してしまうほどだった。
そのために、禍いをおこす悪神のさわぐ声は、むらがる蠅のように充満し、あらゆる禍いが吹く風のごとく一斉に発生した。

次に、蛭児ひるこをお生みになった。
三歳になっても脚が立たなかった。はじめ伊奘諾尊・伊弉冉尊が柱を回られた時に、女神が先に喜びの声をあげられた。それが陰陽の道理にかなっていなかった。そのため、終わりにこの御子が生まれた。
次に、鳥磐櫲樟船とりのいわくすふねをお生みになり、この船に蛭児を乗せて放流し棄てた。



 

伊弉冉尊が、火産霊迦具突智ほのむすひかぐつち[または火焼男命神ほのやけおのみことのかみ、または火々焼炭神ほほやけずみのかみという]を生もうとされたとき、この子を生んだために、陰部が焼けて病の床にお伏しになった。

そうしてお亡くなりになろうとされるときに、熱に苦しめられた。そのため嘔吐し、これが神となった。名を金山彦神かなやまひこのかみ、次に金山姫神かなやまひめという。
次に小便をされ、それが尿神となった。名を罔象女神みつはのめのかみという。
次に大便をされ、それがまた屎神となった。名を埴安彦はにやすひこと、埴安姫はにやすひめという。
次に、天吉葛あめのよさつらをお生みになった。
次に、稚産霊神わかむすひのかみをお生みになった。この稚産霊神の子を、豊宇気比女神とようけひめのかみという。

火の神の軻遇突智かぐつちは土の神の埴安姫をめとって、稚皇産霊神わかむすひのかみをお生みになった。この神の頭の上に蚕と桑が生じた。臍の中に五穀が生まれた。

伊弉冉尊は、火の神を生むときに、身体を焼かれてお亡くなりになった。
伊奘諾・伊弉冉の二神が共にお生みになった島は十四。神は四十五柱になる。ただし、磤馭盧島はお生みになったものではない。また、水蛭子ひること淡島は子の数には入れない。

伊奘諾尊が深く恨んで仰せられた。
「愛しい私の妻は。ただ一人の子のために、愛しい私の妻を犠牲にしてしまった」
そして頭のあたりや、脚のあたりを這いずって、泣き悲しみ涙を流された。
涙は落ちて神となった。これが香山かぐやま畝尾うねおの丘の樹の下にいらっしゃる神で、名を綺沢女神なきさわのめのかみという。

伊奘諾尊はついに、腰に帯びた十握とつかの剣を抜いて軻遇突智の頸を斬り、三つに断たれた。また、五つに断たれた。また、八つに断たれた。

三つそれぞれが神になった。
そのひとつは雷神いかつちのかみとなった。
ひとつは大山祇おおやまつみとなった。
ひとつは高寵たかおかみとなった。

五つそれぞれが五つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。
第二は胴体で、中山祇なかやまつみとなった。
第三は手で、麓山祇はやまつみとなった。
第四は腰で、正勝山祇まさかやまつみとなった。
第五は足で、雜山祇しぎやまつみとなった。

八つそれぞれが八つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。[または正鹿山津見神まさかやまつみのかみという]
第二は胴体で、中山祇となった。[または胸に生じた神で、瀬勝山津見神せかつやまつみのかみという]
第三は腹で、奥山祇おくやまつみとなった。[または奥山上津見神おくやまかみつみのかみという]
第四は腰で、正勝山祇となった。[または陰部に生じた神で、闇山津見神くらやまつみのかみという]
第五は左手で、麓山祇となった。[または志芸山津見神しぎやまつみのかみという]
第六は右手で、羽山祇はやまつみとなった。[または羽山津見神はやまつみのかみという]
第七は左足で、原山祇はらやまつみとなった。[または原山津見神はらやまつみのかみという]
第八は右足で、戸山祇へやまつみとなった。[または戸山津見神へやまつみのかみという]

また、剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。湯津石村(神聖な岩の群れ)に飛び散って成り出た神を、天尾羽張神あめのおはばりのかみという。[またの名を稜威雄走神いつのおはしりのかみ、または甕速日神みかはやひのかみ、または熯速日神、または槌速日神つちはやひのかみという]
今、天安河あめのやすかわの上流にいらっしゃる、天窟之神あめのいわとのかみである。

天尾羽張神の子が建甕槌之男神たけみかつちのおのかみである。[またの名を建布都神たけふつのかみ、または豊布都神とよふつのかみ]
今、常陸国ひたちのくにの鹿島にいらっしゃる大神で、すなわち石上いそのかみ布都大神ふつのおおかみがこれである。

また、剣の先からしたたる血がそそいで神となった。血が湯津石村に飛び散って、成り出た神を、磐裂根裂神いわさくねさくのかみという。

磐裂根裂神の子の、磐筒男いわつつお磐筒女いわつつめの二神が共に生んだ神の子が、経津主神ふつぬしのかみである。
今、下総国しもつふさのくにの香取にいらっしゃる大神がこれである。

また、剣の柄頭からしたたる血がそそいで三柱の神となった。
名を、闇寵くらおかみ、次に闇山祇くらやまつみ、次に闇罔象くらみつはという。

このとき斬られた血がそそいで、石や砂や草木が染まった。これが砂や石自体が燃えることのある由来である。



伊奘諾尊いざなきのみことは、妻の伊弉冉尊いざなみのみことに会いたいと思われて、後を追って黄泉の国に行かれ、殯斂もがりのところにおいでになった。
伊弉冉尊は御殿の戸を上げ出で向かい、生きていたときのように出迎えられて共に語りあわれた。

伊奘諾尊は仰せられた。
「あなたが愛しくてやってきた。愛しいわが妻のみことよ、私とあなたとで造った国は、まだ造り終えていない。だから私のもとへ帰ってきておくれ」
伊弉冉尊が答えて仰せになった。
「残念なことです、わが夫のみこと。いらっしゃるのが何とも遅すぎました。私はもう、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。そして私はもう眠ろうとするところです。けれども愛しいあなたが、わざわざ訪ねてきてくださったことは恐れいります。ですから帰りたいと思いますので、しばらく黄泉の神と相談してみましょう。私を見ないでください」
こうおっしゃって女神は、その御殿の中に入っていかれたが、その間が大変長く、男神は待ちきれなくなってしまった。

伊奘諾尊は見てはならないという願いを聞かれなかった。そのとき暗かったので、左の御髻みずらに挿していた湯津爪櫛の、太い歯の一本を折り取って、手灯として一片の火をともしてご覧になった。
今の世の人が、夜ひとつの火をともすことを忌み、また夜、櫛を投げることを忌むのは、これがその由来である。

伊弉冉尊は、死体がふくれ上がって蛆がたかっていた。
その上に八種類の雷があった。
頭には大雷おおいかずち、胸には火雷ほのいかずちがおり、腹には黒雷くろいかずちがおり、陰部には列雷さくいかずちがおり、左手には稚雷わかいかずちがおり、右手には土雷つちいかずちがおり、左足には鳴雷なきいかずちがおり、右足には伏雷ふしいかずちがいた。

伊奘諾尊はたいへん驚いて仰せられた。
「私は思いがけないひどく汚い国にやってきた」
そうして、急いで逃げ帰られました。
伊弉冉尊は恨んで仰せられた。
「約束を守らず、私を辱しめましたね。あなたは私の本当の姿を見てしまわれた。私もまた、あなたの本当の心を見ました」
伊奘諾尊は恥じられて、出て帰ろうとするとき、ただ黙って帰らないで誓って仰せになった。
「縁を切ろう」

伊弉冉尊は泉津醜女よもつしこめを遣わして、追いかけさせて留めようとした。
伊奘諾尊は剣を抜いて後ろを振り払いながら逃げた。そして髪に巻いていた鬘草かつらの飾りを投げられると、これは葡萄になった。醜女はこれを見て、採って食べた。食べ終わると、また追いかけてきた。

伊奘諾尊はまた、右の髪に挿していた湯津爪櫛を投げた。これはたけのこになった。醜女はそれを抜いて食べた。食べ終わるとまた追いかけてきた。

伊奘諾尊はそこから逃げられたが、その後には、八種の雷神が千五百の黄泉の兵を率いて追跡してきた。そこで帯びている十握の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げ走られた。

伊奘諾尊は、大樹にむかって放尿された。これが大きな川となった。泉津日狭女よもつひさめがこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾尊は逃げて黄泉平坂よもつひらさかに着かれた。
そこに生っていた桃の木の陰に隠れて、その実を三つ取って待ちうけ、投げつけたところ、黄泉の雷の兵はことごとく退散した。これが、桃を使って鬼を防ぐ由来である。

伊奘諾尊は、桃の実に詔して仰せられた。
「お前が私を助けたように、葦原の中国に生きるあらゆる現世の人々がつらい目にあって、憂い苦しんでいるときに助けてやるように」
そういわれて、意富迦牟都美命おおかむつみのみことという名前をお与えになった。

最後に、伊弉冉尊自身が、泉津平坂よもつひらさかへ追いかけて来たときに、伊奘諾尊はその杖を投げて仰せられた。
「ここからこちらへは、雷の兵は来ることができない」
伊奘諾尊はまた、泉津平坂に千人引きの岩で、その坂道をふさぎ、岩を間に置いて伊弉冉尊と向かい合って、ついに離婚の誓いを立てられた。

その離別の言葉を交わされるとき、伊弉冉尊は誓って仰せられた。
「あなたには負けません」
そして唾をはかれた。そのとき生じた神を、名づけて日速玉之男神ひはやたまのおのかみという。次に、掃きはらって生まれた神を泉津事解之男神よもつことさかのおのかみと名づけた。

伊弉冉尊が仰せられた。
「愛しいわが夫のみこと、あなたがそのように別れの誓いをいわれるのならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ絞め殺しましょう」
伊奘諾尊は答えて仰せられた。
「愛しいわが妻よ、そのようにいうのならば、私は一日に千五百人ずつ生ませることにしよう」
こういうわけで、一日に千人の人が必ず死ぬ一方、一日に千五百人の人が必ず生まれるのである。

伊奘諾尊がこれによって仰せられた。
「これより入ってはならぬ」
そうして、三柱の神をお生みになった。その杖を投げられた。これを岐神ふなとのかみという。名づけて来名戸神くなとのかみという。
また、その帯を投げられた。これを長道磐神ながちいわのかみという。
また、そのくつを投げられた。これを道敷神ちしきのかみという[または煩神わずらいのかみといい、または開歯神あきくいのかみという]。

伊弉冉尊を、黄泉津大神という。また、伊奘諾尊に追いついてきたので、道敷大神ちしきのおおかみと呼ぶ。
また、その黄泉の坂を塞ぐ岩を、道反大神ちがえしのおおかみと呼ぶ。また、塞いでいる岩を、泉門塞之大神よみどもさやりますおおかみという。また、塞坐黄泉戸大神さやりますよみどのおおかみという。

伊奘諾・伊弉冉の二神が、また、その妻と泉津平坂で相争ったとき、伊奘諾尊が仰せになった。
「はじめあなたのことを悲しみ慕ったのは、私の気が弱かったからだ」
このとき泉守道者よもつちもりびとが申しあげていった。
「伊弉冉尊からのご伝言があります。“私はあなたと既に国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私は、この国にとどまって、ご一緒には参りません”といわれました」
このとき、菊理媛神くくりひめのかみもまた、申しあげることがあった。
伊奘諾尊は、これをお聞きになり、ほめられた。そうして去られた。
今の人が忌むことに、先に妻が死んだとき、夫がもがりのところを避けるのは、これが始まりであろうか。

そのいわゆる泉津平坂というのは、また別のところにあるのではない。ただ死に臨んで息絶えそうなときをこういうのであろうか。出雲国の伊賊夜坂いふやさかであるともいう。

伊弉冉尊は、出雲国と伯耆国との境にある、比婆の山ひばのやまに葬った。
伊弉冉尊は、紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神の御魂を祀るのには、花の時期に花をもってお祀りし、鼓・笛・旗を使って歌舞してお祀りする。



伊奘諾尊いざなきのみことは、みずから黄泉の国をご覧になった。これは不祥であった。帰って悔いて仰せられた。
「私はさきに、ひどく穢れたところへ行ってきた。だから、私の体についた汚れたものを洗い捨て、すすぎ除こう」
出かけられて粟門あわのと速吸名門はやすいなとをご覧になった。ところが、この二つの海峡は潮の流れがとても急だった。
そこで、日向の橘の小戸の、檍原あわぎはらに帰られて祓ぎはらわれた。

身体の汚いところをすすごうとして、言葉に出していわれて男神は黄泉の穢れを祓おうとした。日向の橘の小戸の、檍原に行かれて、身体を祓ぎはらわれた。
このとき、十二柱の神が生まれた。
まず、投げ捨てた杖から成った神の名は、衝立船戸神つきたてふなとのかみ
次に、投げ捨てた帯から成った神の名は、道長乳歯神ちのながちはのかみ
次に、投げ捨てた裳から成った神の名は、時置師神ときおかしのかみ
次に、投げ捨てた衣から成った神の名は、和内良比能宇斯能神わづらひのうしのかみ
次に、投げ捨てた袴から成った神の名は、道股神ちまたのかみ
次に、投げ捨てた御冠から成った神の名は、飽咋の宇斯能神あきぐいのうしのかみ
次に、投げ捨てた左の御手の腕輪から成った神の名は、奥疎神おきざかるのかみ
名づけて奥津那芸佐彦神おきつなぎさひこのかみという。
次に、奥甲斐弁羅神おきつかひべらのかみ
次に、投げ捨てた右の御手の腕輪から成った神の名は、辺疎神へざかるのかみ
名づけて辺津那芸佐彦神へつなぎさひこのかみという。
次に、辺津甲斐弁羅神へつかひべらのかみ

伊奘諾尊が仰せになった。
「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」
はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清められたときに、二柱の神が成り出た。
その神の名は、八十禍津日神やそまがつひのかみ
次に、大禍津日神おおまがつひのかみ
また、その禍を直そうとして三柱の神が成り出た。
その神の名は、神直日神かむなおびのかみ
次に、大直日神おおなおびのかみ
次に、伊豆能売神いづのめのかみ

また、水に入って磐土命いわつつのみことを吹き出された。
次に、水から出て大直日命おおなおびのみことを吹き出された。
また入って、底土命そこつつのみことを吹き出された。
次に出て、大綾津日神おおあやつひのかみを吹き出された。
また入って、赤土命あかつつのみことを吹き出された。
次に出て、大地と海原の諸々の神を吹き出された。

また、海の底にもぐってすすいだときに、それによって二柱の神が生まれた。
名づけて、底津少童命そこつわたつみのみことという。
次に、底筒男命そこつつおのみことという。
また、潮の中にもぐってすすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、中津少童命なかつわたつみのみことという。
次に、中筒男命なかつつおのみことという。
また、潮の上に浮かんですすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、表津少童命うわつわたつみのみことという。
次に、表筒男命うわつつおのみことという。
あわせて六柱の神がいらっしゃる。

この底津少童命、中津少童命、表津少童命の三神は、阿曇連あずみのむらじらがお祀りする、筑紫の斯香神しかのかみである。
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神は、津守連つもりのむらじがお祀りする、住吉の三社の神である。

伊奘諾尊が身体をすすがれたときに三柱の神が生まれた。
左の御目を洗われたときに成った神の名は、天照大御神あまてらすおおみかみ
右の御目を洗われたときに成った神の名は、月読命つくよみのみこと
この二柱の神は、並びに五十鈴川の河上にいらっしゃる。伊勢にお祀りする大神という。
御鼻を洗われたときに成った神の名は、建速素戔烏尊たけはやすさのおのみこと
出雲国の熊野神宮と杵築きつき神宮にいらっしゃる。

伊奘諾尊はたいそう喜ばれて仰せになった。
「私が生んだ子を生み終わるときに、三柱の尊い子を得た」
その御首の首飾りの玉の緒を、ゆらゆらと揺り鳴らしてお授けになった。その御首飾りの珠に詔して名を授け、御倉板挙神みくらたなあげのかみという。

伊奘諾尊が天照大御神に詔して、
「あなたは高天原を治めなさい」
とご委任になった。
次に、月読命に詔して、
「あなたは夜の世界を治めなさい」
とご委任になった。
次に、素戔烏尊に詔して、
「あなたは海原を治めなさい」
とご委任になった。

こうして、それぞれご委任になられたお言葉にしたがってお治めになったが、その中で速素戔烏尊だけは、委任された国を治めずに、長い顎髭が胸元にとどくようになるまで、ずっと泣きわめいていた。

伊奘諾尊は仰せになった。
「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」
そうして三柱の神が成り出た。
左手で白銅鏡をお取りになったときに、生まれた神を大日孁尊という。
右手で白道鏡をお取りになったときに、生まれた神を月弓尊つくゆみのみことという。
首を回して後ろをご覧になったときに、生まれた神を素戔烏尊という。
このうち、大日孁尊と月弓尊は共にひととなりが麗しいのに対して、素戔烏尊は性質が物をそこない壊すのを好むところがあった。そこで、くだして根の国を治めさせた。

伊奘諾尊は三柱の子に任じて仰せられた。
「天照太神は高天原を治めなさい。月読尊は青海原の潮流を治めなさい」
月読尊は後に、日の神に副えて天のことを掌り、夜の世界を治めさせた。
素戔烏尊には、天下および青海原を治めさせた。

素戔烏尊は歳もたけ、また、長い髭が伸びていた。けれども、統治を委任された天下を治めず、いつも泣き恨んでいた。
伊奘諾尊がそのわけを尋ねて仰せられた。
「お前はなぜ、いつもこんなに泣いているのか」
素戔烏尊は答えて申しあげられた。
「私は母のいる根の国に従いたいと思って、ただ泣くのです」
伊奘諾尊は、これを憎んで仰せられた。
「勝手にしろ」
そうして素戔烏尊は親神のもとを退いた。

伊奘諾尊が、素戔烏尊に詔して仰せられた。
「どういうわけで、私の委任した国を治めないで、泣きわめいているのか」
素戔烏尊は申しあげた。
「私は亡き母のいる根の堅州国に参りたいと思うので、泣いているのです」
伊奘諾尊は、ひどく怒って仰せになった。
「お前はたいへん無道だ。だから天下に君臨することはできない。この国に住んではならない。必ず遠い根の国に行きなさい」
そしてついに追いやられた。

素戔烏尊が請い申しあげて仰せになった。
「私はいま、ご命令に従って、根の国に参ろうとします。そこで高天原に参って、姉のみことにお目にかかり、その後お別れしようと思います」
伊奘諾尊が「許す」と仰せになったので、天に昇られた。

伊奘諾尊は、お仕事をすでに終えられ、徳も大きかった。神としての仕事を終えられて、天に帰られてご報告され、日の少宮わかみやに留まりお住みになられた。
また、あの世に赴こうとされた。そこで、幽宮かくれのみやを淡路の地に造って、静かに永く隠れられた。また、淡路の多賀たがにいらっしゃるともいう。