【先代旧事本紀】巻第一・陰陽本紀 - 現代語訳
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陰陽本紀
天の祖神が
「
そうして、
伊奘諾尊と伊弉冉尊とが詔を受けて、
「何か脂のようなものが浮かんでいる。そのなかに国があるだろうか」
そうおっしゃって、天瓊矛で下界を探って海原を得られた。そしてその矛を投げ下ろして海をかき回し、引き上げるとき、矛の先からしたたり落ちる潮が固まって島となった。
これを名づけて
そうして、天瓊矛を磤馭盧島の上にさし立てて、これをもって国の天の御柱とした。
伊奘諾尊・伊弉冉尊はその島に天降り、大きな御殿を造られて、共に住まわれた。
伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体は、どのようにできているのか」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体はだんだん成りととのって、成り合わないところが一か所あります」
伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体はだんだん成りととのって、成り余ったところが一か所ある。だから、私の成り余っているところを、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を生み出そうと思うがどうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「それはよろしゅうございます」
そこで伊奘諾尊は仰せになった。
「それでは私とあなたと天の御柱を回って、出会って結婚しよう」
そう約束して仰せられた。
「あなたは左から回って、私は右から回って会おう」
約束どおり天の柱を分かれてめぐって行きあった。
伊弉冉尊が先に唱えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方に出会えたのでしょう」
伊奘諾尊がつぎに答えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめに出会えたのだろう」
伊奘諾尊が伊弉冉尊に告げて仰せられた。
「私は男子だ。順序は男から先にいうべきである。女が先に唱えるはよくないことだ。しかし、共に夫婦となって子を生もう」
こうして陰陽が始めて交合して、夫婦となって子を産んだ。
最初に生まれたのが
伊奘諾尊、伊弉冉尊の二神が相談して仰せられた。
「いま、私たちの生んだ子は不吉だった。天に帰り上って、この様子を申しあげよう」
そこで、二人して天に上り、申し上げた。天の祖神は太占で占って詔された。
「女性が先に声をかけたのが良くなかったのだ。また改めて天降りなさい」
そうしていつがよいかを占って再び降った。
伊奘諾尊が仰せになった。
「私とあなたとで、改めて柱を回ろう。私は左から、お前は右から柱を回ってお互いが会ったところで交わろう」
こう約束されて、二神は約束どおり天の御柱を回り、同じところに出会われた。この時に伊奘諾尊が、まず唱えて仰せられた。
「おお、何とすばらしいおとめだろう」
伊弉冉尊は後に答えて仰せられた。
「まぁ、何とすばらしい男の方でしょう」
伊奘諾尊が伊弉冉尊に尋ねて仰せられた。
「あなたの体はどんなになっているか」
そして、仰せになった。
「私の体は、つくりあげられて成り余った、雄の元という所がある」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「私の体は、つくりあげられて成り合わない、雌の元という所があります」
伊奘諾尊は仰せになった。
「私の体の成り余ったところで、お前の成り合わないところにさしふさいで、国土を産もうと思うが、どうだろう」
伊弉冉尊は答えて仰せられた。
「よろしゅうございます」
ここに、はじめて陰陽の神が交合し、国土を産もうとしたが、その方法を知らなかった。
このとき、
まず、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
これによって、以上の生んだ島々を
その後、大八州を生んで帰られるときに、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
あわせて六島になる。
合計十四の島をお生みになった。その他の所々にある小島は、すべて元は水の泡の潮が固まってできたものである。
まず、大八州をお生みになった。
兄として淡路の州をお生みになった。
次に、伊予の二名島、この島は身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
伊予国を
讃岐国を
阿波国を
土佐国を
次に、隠岐の三つ子の島を
次に、筑紫の島、この島も身体は一つで顔が四つあるという。それぞれの顔に名前がある。
筑紫国を
豊国を
肥国を
日向国を
次に、熊襲の国を建日別という。[一説には佐渡島を建日別という]
次に、壱岐島を
次に、津島を
次に、大倭豊秋津島を
次に、六つの小島をお生みになった。
兄の吉備の児島を
次に、小豆島を
次に、大島を
次に、姫島を
次に、血鹿島を
次に、両児島を
大八島すべてをお産みになった。続けて生まれた六つの小島と合わせて十四の島になる。その所々にある小島は、すべて水の泡の潮が固まってできたものである。
伊奘諾・伊弉冉の二神は、国を生み終えられて、さらに十柱の神をお生みになった。
まず
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、海神、名は
次に、
次に、妹・
また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神をお生みになった。
まず、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、山神、名は
次に、野神、名は
また、この大山祇神と
まず、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
次に、
また神をお生みになった。名を
また、
伊奘諾尊が仰せられた。
「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」
そうして霧を吹き払われると、その息が神になった。これを風神という。
風神を名づけて
次に、
次に、飢えて力のない時にお生みになった御子を、
次に、草の祖をお生みになって、名づけて
次に、海峡の神たちをお生みになった。
次に、木の神たちをお生みになった。名づけて
次に、土の神をお生みになった。名づけて
その後、ことごとくの万物をお生みになった。
伊奘諾尊・伊弉冉尊の二神は、共に相談して仰せになった。
「私たちはもう、大八州や山川草木を生んだ。どうして天下の主たる者を生まないでよかろうか」
そこでまず、日の神をお生みになった。
この御子は、華やか光りうるわしくて、国中に照りわたった。それで、二柱の神は喜んで仰せられた。
「わが子たちは沢山いるが、いまだこんなにあやしく不思議な子はなかった。長くこの国に留めておくのはよくない。早く天に送り、天上の仕事をしてもらおう」
この時、天と地とはまだそれほど離れていなかった。そのため、天の御柱をたどって、天上に送り上げた。
次に、月の神をお生みになった。
名づけて
その光りうるわしいことは、太陽に次いでいた。それで日に副えて治めさせるのがよいと、天に送り上げた。
次に、
このかたは天下を治められるべきだったが、勇ましく荒々しくて、残忍なことも平気だった。
また、常に泣きわめくことがあった。そこで、国内の人々が若死にさせられた。また、青々とした山を枯れた山に変え、川や海の水をすっかり泣き乾してしまうほどだった。
そのために、禍いをおこす悪神のさわぐ声は、むらがる蠅のように充満し、あらゆる禍いが吹く風のごとく一斉に発生した。
次に、
三歳になっても脚が立たなかった。はじめ伊奘諾尊・伊弉冉尊が柱を回られた時に、女神が先に喜びの声をあげられた。それが陰陽の道理にかなっていなかった。そのため、終わりにこの御子が生まれた。
次に、
伊弉冉尊が、
そうしてお亡くなりになろうとされるときに、熱に苦しめられた。そのため嘔吐し、これが神となった。名を
次に小便をされ、それが尿神となった。名を
次に大便をされ、それがまた屎神となった。名を
次に、
次に、
火の神の
伊弉冉尊は、火の神を生むときに、身体を焼かれてお亡くなりになった。
伊奘諾・伊弉冉の二神が共にお生みになった島は十四。神は四十五柱になる。ただし、磤馭盧島はお生みになったものではない。また、
伊奘諾尊が深く恨んで仰せられた。
「愛しい私の妻は。ただ一人の子のために、愛しい私の妻を犠牲にしてしまった」
そして頭のあたりや、脚のあたりを這いずって、泣き悲しみ涙を流された。
涙は落ちて神となった。これが
伊奘諾尊はついに、腰に帯びた
三つそれぞれが神になった。
そのひとつは
ひとつは
ひとつは
五つそれぞれが五つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。
第二は胴体で、
第三は手で、
第四は腰で、
第五は足で、
八つそれぞれが八つの山の神になった。
第一は首で、大山祇となった。[または
第二は胴体で、中山祇となった。[または胸に生じた神で、
第三は腹で、
第四は腰で、正勝山祇となった。[または陰部に生じた神で、
第五は左手で、麓山祇となった。[または
第六は右手で、
第七は左足で、
第八は右足で、
また、剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。湯津石村(神聖な岩の群れ)に飛び散って成り出た神を、
今、
天尾羽張神の子が
今、
また、剣の先からしたたる血がそそいで神となった。血が湯津石村に飛び散って、成り出た神を、
磐裂根裂神の子の、
今、
また、剣の柄頭からしたたる血がそそいで三柱の神となった。
名を、
このとき斬られた血がそそいで、石や砂や草木が染まった。これが砂や石自体が燃えることのある由来である。
伊弉冉尊は御殿の戸を上げ出で向かい、生きていたときのように出迎えられて共に語りあわれた。
伊奘諾尊は仰せられた。
「あなたが愛しくてやってきた。愛しいわが妻のみことよ、私とあなたとで造った国は、まだ造り終えていない。だから私のもとへ帰ってきておくれ」
伊弉冉尊が答えて仰せになった。
「残念なことです、わが夫のみこと。いらっしゃるのが何とも遅すぎました。私はもう、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。そして私はもう眠ろうとするところです。けれども愛しいあなたが、わざわざ訪ねてきてくださったことは恐れいります。ですから帰りたいと思いますので、しばらく黄泉の神と相談してみましょう。私を見ないでください」
こうおっしゃって女神は、その御殿の中に入っていかれたが、その間が大変長く、男神は待ちきれなくなってしまった。
伊奘諾尊は見てはならないという願いを聞かれなかった。そのとき暗かったので、左の
今の世の人が、夜ひとつの火をともすことを忌み、また夜、櫛を投げることを忌むのは、これがその由来である。
伊弉冉尊は、死体がふくれ上がって蛆がたかっていた。
その上に八種類の雷があった。
頭には
伊奘諾尊はたいへん驚いて仰せられた。
「私は思いがけないひどく汚い国にやってきた」
そうして、急いで逃げ帰られました。
伊弉冉尊は恨んで仰せられた。
「約束を守らず、私を辱しめましたね。あなたは私の本当の姿を見てしまわれた。私もまた、あなたの本当の心を見ました」
伊奘諾尊は恥じられて、出て帰ろうとするとき、ただ黙って帰らないで誓って仰せになった。
「縁を切ろう」
伊弉冉尊は
伊奘諾尊は剣を抜いて後ろを振り払いながら逃げた。そして髪に巻いていた
伊奘諾尊はまた、右の髪に挿していた湯津爪櫛を投げた。これは
伊奘諾尊はそこから逃げられたが、その後には、八種の雷神が千五百の黄泉の兵を率いて追跡してきた。そこで帯びている十握の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げ走られた。
伊奘諾尊は、大樹にむかって放尿された。これが大きな川となった。
そこに生っていた桃の木の陰に隠れて、その実を三つ取って待ちうけ、投げつけたところ、黄泉の雷の兵はことごとく退散した。これが、桃を使って鬼を防ぐ由来である。
伊奘諾尊は、桃の実に詔して仰せられた。
「お前が私を助けたように、葦原の中国に生きるあらゆる現世の人々がつらい目にあって、憂い苦しんでいるときに助けてやるように」
そういわれて、
最後に、伊弉冉尊自身が、
「ここからこちらへは、雷の兵は来ることができない」
伊奘諾尊はまた、泉津平坂に千人引きの岩で、その坂道をふさぎ、岩を間に置いて伊弉冉尊と向かい合って、ついに離婚の誓いを立てられた。
その離別の言葉を交わされるとき、伊弉冉尊は誓って仰せられた。
「あなたには負けません」
そして唾をはかれた。そのとき生じた神を、名づけて
伊弉冉尊が仰せられた。
「愛しいわが夫のみこと、あなたがそのように別れの誓いをいわれるのならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ絞め殺しましょう」
伊奘諾尊は答えて仰せられた。
「愛しいわが妻よ、そのようにいうのならば、私は一日に千五百人ずつ生ませることにしよう」
こういうわけで、一日に千人の人が必ず死ぬ一方、一日に千五百人の人が必ず生まれるのである。
伊奘諾尊がこれによって仰せられた。
「これより入ってはならぬ」
そうして、三柱の神をお生みになった。その杖を投げられた。これを
また、その帯を投げられた。これを
また、その
伊弉冉尊を、黄泉津大神という。また、伊奘諾尊に追いついてきたので、
また、その黄泉の坂を塞ぐ岩を、
伊奘諾・伊弉冉の二神が、また、その妻と泉津平坂で相争ったとき、伊奘諾尊が仰せになった。
「はじめあなたのことを悲しみ慕ったのは、私の気が弱かったからだ」
このとき
「伊弉冉尊からのご伝言があります。“私はあなたと既に国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私は、この国にとどまって、ご一緒には参りません”といわれました」
このとき、
伊奘諾尊は、これをお聞きになり、ほめられた。そうして去られた。
今の人が忌むことに、先に妻が死んだとき、夫が
そのいわゆる泉津平坂というのは、また別のところにあるのではない。ただ死に臨んで息絶えそうなときをこういうのであろうか。出雲国の
伊弉冉尊は、出雲国と伯耆国との境にある、
伊弉冉尊は、紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神の御魂を祀るのには、花の時期に花をもってお祀りし、鼓・笛・旗を使って歌舞してお祀りする。
「私はさきに、ひどく穢れたところへ行ってきた。だから、私の体についた汚れたものを洗い捨て、すすぎ除こう」
出かけられて
そこで、日向の橘の小戸の、
身体の汚いところをすすごうとして、言葉に出していわれて男神は黄泉の穢れを祓おうとした。日向の橘の小戸の、檍原に行かれて、身体を祓ぎはらわれた。
このとき、十二柱の神が生まれた。
まず、投げ捨てた杖から成った神の名は、
次に、投げ捨てた帯から成った神の名は、
次に、投げ捨てた裳から成った神の名は、
次に、投げ捨てた衣から成った神の名は、
次に、投げ捨てた袴から成った神の名は、
次に、投げ捨てた御冠から成った神の名は、
次に、投げ捨てた左の御手の腕輪から成った神の名は、
名づけて
次に、
次に、投げ捨てた右の御手の腕輪から成った神の名は、
名づけて
次に、
伊奘諾尊が仰せになった。
「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」
はじめ、中ほどの瀬で穢れを洗い清められたときに、二柱の神が成り出た。
その神の名は、
次に、
また、その禍を直そうとして三柱の神が成り出た。
その神の名は、
次に、
次に、
また、水に入って
次に、水から出て
また入って、
次に出て、
また入って、
次に出て、大地と海原の諸々の神を吹き出された。
また、海の底にもぐってすすいだときに、それによって二柱の神が生まれた。
名づけて、
次に、
また、潮の中にもぐってすすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、
次に、
また、潮の上に浮かんですすいだことによって二柱の神が生まれた。
名づけて、
次に、
あわせて六柱の神がいらっしゃる。
この底津少童命、中津少童命、表津少童命の三神は、
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神は、
伊奘諾尊が身体をすすがれたときに三柱の神が生まれた。
左の御目を洗われたときに成った神の名は、
右の御目を洗われたときに成った神の名は、
この二柱の神は、並びに五十鈴川の河上にいらっしゃる。伊勢にお祀りする大神という。
御鼻を洗われたときに成った神の名は、
出雲国の熊野神宮と
伊奘諾尊はたいそう喜ばれて仰せになった。
「私が生んだ子を生み終わるときに、三柱の尊い子を得た」
その御首の首飾りの玉の緒を、ゆらゆらと揺り鳴らしてお授けになった。その御首飾りの珠に詔して名を授け、
伊奘諾尊が天照大御神に詔して、
「あなたは高天原を治めなさい」
とご委任になった。
次に、月読命に詔して、
「あなたは夜の世界を治めなさい」
とご委任になった。
次に、素戔烏尊に詔して、
「あなたは海原を治めなさい」
とご委任になった。
こうして、それぞれご委任になられたお言葉にしたがってお治めになったが、その中で速素戔烏尊だけは、委任された国を治めずに、長い顎髭が胸元にとどくようになるまで、ずっと泣きわめいていた。
伊奘諾尊は仰せになった。
「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」
そうして三柱の神が成り出た。
左手で白銅鏡をお取りになったときに、生まれた神を大日孁尊という。
右手で白道鏡をお取りになったときに、生まれた神を
首を回して後ろをご覧になったときに、生まれた神を素戔烏尊という。
このうち、大日孁尊と月弓尊は共にひととなりが麗しいのに対して、素戔烏尊は性質が物をそこない壊すのを好むところがあった。そこで、くだして根の国を治めさせた。
伊奘諾尊は三柱の子に任じて仰せられた。
「天照太神は高天原を治めなさい。月読尊は青海原の潮流を治めなさい」
月読尊は後に、日の神に副えて天のことを掌り、夜の世界を治めさせた。
素戔烏尊には、天下および青海原を治めさせた。
素戔烏尊は歳もたけ、また、長い髭が伸びていた。けれども、統治を委任された天下を治めず、いつも泣き恨んでいた。
伊奘諾尊がそのわけを尋ねて仰せられた。
「お前はなぜ、いつもこんなに泣いているのか」
素戔烏尊は答えて申しあげられた。
「私は母のいる根の国に従いたいと思って、ただ泣くのです」
伊奘諾尊は、これを憎んで仰せられた。
「勝手にしろ」
そうして素戔烏尊は親神のもとを退いた。
伊奘諾尊が、素戔烏尊に詔して仰せられた。
「どういうわけで、私の委任した国を治めないで、泣きわめいているのか」
素戔烏尊は申しあげた。
「私は亡き母のいる根の堅州国に参りたいと思うので、泣いているのです」
伊奘諾尊は、ひどく怒って仰せになった。
「お前はたいへん無道だ。だから天下に君臨することはできない。この国に住んではならない。必ず遠い根の国に行きなさい」
そしてついに追いやられた。
素戔烏尊が請い申しあげて仰せになった。
「私はいま、ご命令に従って、根の国に参ろうとします。そこで高天原に参って、姉のみことにお目にかかり、その後お別れしようと思います」
伊奘諾尊が「許す」と仰せになったので、天に昇られた。
伊奘諾尊は、お仕事をすでに終えられ、徳も大きかった。神としての仕事を終えられて、天に帰られてご報告され、日の
また、あの世に赴こうとされた。そこで、