【先代旧事本紀】巻第四・地祇本紀 - 現代語訳

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素戔烏尊すさのおのみことが、天照太神あまてらすおおみかみと共に誓約うけいをして、生じた三柱の神は、瀛津嶋姫命おきつしまひめのみこと湍津嶋姫命たぎつしまひめのみこと市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと

素戔烏尊の行いはいいようがないほどで、八十万の諸神は、千座の置戸の罰を科して追放した。
素戔烏尊は、その子である五十猛神いたけるのかみを率いて、新羅の曽尸茂梨そしもりのところに天降られた。そこで不満の言葉をいわれた。
「この地には、私は居たくないのだ」

ついに土で船を造り、それに乗って東へ渡り、出雲国の川の川上で安芸国の可愛川えのかわの川上にある、鳥上の峰についた。
素戔烏尊が出雲国の簸川の川上の、鳥髪というところにおいでになったとき、その川上から箸が流れ下ってきた。素戔烏尊は、人がその川上に住んでいるとお思いになって、たずね捜して上って行くと、川上から泣き声が聞こえてきた。そこで、声の主を探して行き上ると、一人の翁と媼が真中にひとりの少女をおいて泣いていた。

素戔烏尊が尋ねて仰せられた。
「お前たちは誰だ。どうしてこのように泣いているのか」
翁は答えて申しあげた。
「私は国つ神です。名は脚摩乳あしなづち、妻は手摩乳てなづちといいます。この童女は私の子で、名を奇稲田姫くしなだひめといいます。泣いているわけは、以前私どもには八人の娘がおりましたが、高志の八岐やまた大蛇おろちが毎年襲ってきて、娘を喰ってしまいました。今、残ったこの娘が呑まれようとしています。それで悲しんでいるのです」
素戔烏尊はお尋ねになった。
「その大蛇はどんな形をしているのか」
答えて申しあげた。
「大蛇は、一つの胴体に八つの頭と尾がそれぞれ八つに分かれてあります。眼は赤酸漿あかほおずきのようで、その体には、蔦や松、柏、杉、檜が背中に生え、長さは八つの谷と八つの山にわたっておりました。その腹を見ると、一面にいつも血がにじんで爛れています」

素戔烏尊はその老夫に仰せられた。
「そのお前の娘を、私に献じぬか」
答えて申しあげた。
「恐れ入ります。しかしお名前を存じません」
素戔烏尊が仰せになった。
「私は天照太神の弟である。今、天から降ってきたところだ」
そこで答えて申しあげた。
「仰せのままにいたします。どうかまず、あの大蛇を殺して、それから召されたらよいでしょう」

素戔烏尊は、たちまちに奇稲田姫を湯津爪櫛へと変えて、御髻みずらにお挿しになった。
そして、脚摩乳と手摩乳によく醸した酒を八つの甕に用意させ、また垣を作り廻らせて、その垣に八つの門を作り、八つの桟敷を作った。それぞれに槽ひとつを置き、酒を盛らせた。

そのように、ご命令のままに準備をして待ち受けているとき、八岐の大蛇が脚摩乳の言うとおり八つの丘、八つの谷の間を這ってやって来た。
素戔烏尊は、大蛇に仰せられた。
「あなたは恐れ多い神です。おもてなし申しあげよう」
そこで八つの甕の酒を、八つの頭ごとに得て、大蛇は酔って眠り伏してしまった。
素戔烏尊は、腰に帯びていた十握とつかの剣を抜いて、その蛇をずたずたに斬った。蛇は八つに斬られ、斬られた部分ごとに雷となった。その全ての八つの雷は飛び上がって天に昇った。これは神異のはなはだしいものである。

簸川の水は赤い血となって流れた。
その大蛇の尾を斬ったとき、剣の刃が少し欠けた。そこで、その尾を割いてご覧になると、中に一つの剣があった。名を天叢雲剣あめのむらくものつるぎという。大蛇がいる上には常に雲があったので、そう名づけられた。
素戔烏尊は仰せられた。
「これは不思議な剣だ。私はどうして私物にできようか」
そうして、五世孫の天葺根神あめのふきねのかみを遣わして、天上に献上された。
のちに、日本武尊やまとたけるのみことが東征をされたとき、その剣を名づけて草薙剣くさなぎのつるぎといった。今、尾張国の吾湯市村あゆちのむらにある。すなわち、熱田神社でお祀りしている神である。

また、その蛇を斬った剣は今、吉備の神部のところにある。出雲の簸川の川上にやって来て、大蛇を斬った剣はこれである。
または、蛇を斬った剣の名は、蛇の麁正あらまさという。今、石上神宮にある。

素戔烏尊は先に行かれ、結婚によい所をお探しになり、ついに出雲のすがの地に着かれた。また、須賀須賀斯すがすがしともいう。そうして仰せになった。
「私の心はすがすがしい」
そこで宮を建てられた。
このとき、その地から盛んに雲が立ちのぼったので、御歌を作られた。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣は」
(盛んに湧きおこる雲が、八重の垣をめぐらす。新妻をこもらせるために、八重の垣をめぐらすことよ、あの八重垣は)

そうして結婚して妃とされた。生まれた子が大己貴神おおなむちのかみである。
大己貴神のまたの名を八嶋士奴美神やしましぬみのかみ、またの名を大国主神おおくにぬしのかみ、またの名を清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠すがのゆやまぬしみなさろひこやしましの、またの名を清之繋名坂軽彦八嶋手命すがのかけなさかかるひこやしまでのみこと、またの名を清之湯山主三名狭漏彦八嶋野すがのゆやまぬしみなさろひこやしまぬという。
素戔烏尊が仰せになった。
「わが子の宮の首長は、脚摩乳と手摩乳である」
そして、名をこの二神に与えた。稲田宮主神いなだのみやぬしのかみという。
出雲国にいらっしゃる神がこれである。

また、大山祇神おおやまつみのかみの娘の神大市姫かむおおいちひめを娶って、二柱の神をお生みになった。子は大年神おおとしのかみ、次に稲倉魂神うかのみたまのかみである。

素戔烏尊は仰せられた。
「韓国の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう」
そこで、髭を抜いて放つと松の木になった。
また、胸毛を抜いて放つと檜になった。
また、眉毛を抜いて放つと樟の木になった。
また、尻の毛を抜いて放つと槙の木になった。
また、その用途を決められていわれた。
「杉と樟、この二つの木は舟をつくるのがよい。また、檜は宮殿を造る木にするのがよい。また、槙は現世の人民の寝棺を作るのによい。そのための沢山の木の種子を皆蒔こう」

素戔烏尊は、熊成峯くまなりのみねにおいでになって、ついに根の国にお入りになった。

子の五十猛神は天降られるときに、沢山の樹の種や、子供たちが食べるための種を、韓国には植えないで、すべて持ち帰り、筑紫からはじめて大八州の国中に蒔き増やして、青山にならないところはなかった。
このため五十猛命は有功の神とされる。紀伊国にいらっしゃる大神がこれである。
ある説には、素戔烏尊の子の名は五十猛命という。妹は大屋姫命おおやひめのみこと、次に抓津姫命つまつひめのみことである。この三神がよく沢山の種を蒔いた。そして紀伊国に渡られた。この国にお祀りしている神がこれである。



大己貴神は国を平らげ、出雲国の御大みほの御崎に行かれて、食事をされようとした。このとき、海上ににわかに人の声がして、驚いて探したが、まったく見えるものがなかった。
このとき、波頭の上から天の羅摩船かがみのふねに乗った、一人の小人がいた。蘿藦ががいも、の皮で船をつくり、鷦鷯みそさざいの羽を衣にし、また鵞の皮を剥いて衣服として、潮水にゆられて、大己貴命のところへ漂ってきた。
大己貴命が拾って手のひらにのせ、これをもてあそんでいると、跳ねて頬に噛みついた。

そこでそのかたちをあやしんで、名を尋ねたが、答えなかった。また、お伴に従っている神々に尋ねても、みな「知りません」といった。
そのとき、多迩具久たにぐぐ:ひきがえるが申しあげていった。
「これは久延彦くえびこがきっと知っているでしょう」
すぐさま久延彦を呼んでお尋ねになると、答えていった。
「これは、神皇産霊神かみむすひのかみの御子の少彦名神です」

そこで、その天神にこのことを申しあげると、神皇産霊尊はこれをお聞きになっていわれた。
「私が生んだ子は合わせて千五百ほどある。そのなかの一人の子で、もっとも悪く教えに従わない子がいた。指の間からもれ落ちたのは、きっと彼だろう。だから、あなた葦原色男あしはらのしこおの兄弟として可愛がってくれ」
これが少彦名命である。

その少彦名神であることを顕し申しあげた、いわゆる久延彦は、今では山田の曽富騰そほどという神である。この神は、自分で赴くことはないけれども、ことごとく天下のことを知っている神である。

大己貴神と少彦名神とは、力を合わせ、心を一つにして天下を造られた。
また、現世の人民と家畜のためには、病気治療の方法を定めた。また、鳥獣や昆虫の災いを除くために、まじないの法を定めた。
このため人民は、今に至るまでその恵みを受けている。

大己貴神が少彦名神に語って仰せられた。
「われらが造った国は、よく出来たといえるだろうか」
少彦名命は答えていった。
「あるいはよく出来たところもあるけれど、あるいは不出来のところもある」
この会話は、思うに深いわけがあるようである。

その後、少彦名命は熊野の御崎に行かれて、ついに常世の国へ去られた。また、淡嶋に行って粟茎によじのぼり、弾かれて常世の郷に行かれたともいう。

大己貴命は、はじめは少彦名命と二柱で葦原の中国にいらっしゃった。国は水母くらげのように浮き漂っていたが、造り名づけることをついに終わらせた。
少彦名命が常世に行かれて後、国の中でまだ出来あがらないところを、大己貴命は一人でよく巡り造られた。

ついに出雲国の五十狭々の小浜に至って、揚言ことあげして仰せられた。
「そもそも葦原の中国は、もとから荒れて広いところだった。岩石や草木に至るまで、すべて強かった。けれども私が皆くだき伏せて、今は従わない者はいない」
そして、これによって仰せになった。
「今この国を治めるものは、ただ私一人のみである。その私と、共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか」

そのとき、不思議な光が海を照らし、忽然と波の上におどり出て、白装束に天の蕤槍を持ち、やって来ていった。
「もし私がいなかったら、あなたはどうしてこの国を平らげることができたでしょうか。もし私が無ければ、どうして国を造り堅めることができて、大きな国を造る功績を立てることができたでしょうか」

大己貴命は尋ねて仰せられた。
「あなたは何者ですか。名を何というのですか」
答えていった。
「私はあなたの幸魂さきみたま奇魂くしみたま術魂じゅつみたまの神です」
大己貴命は仰せになった。
「わかりました。あなたは私の幸魂・奇魂です。今どこに住みたいと思われますか」
答えていった。
日本やまと国の青垣の三諸山みもろやまに住みたいと思います」

大倭国の城上郡に鎮座される神がこれである。そのため、神の願いのままに、青垣の三諸山にお祀りしました。そして宮をそこに造って、行き住まわせた。
これが大三輪おおみわの大神である。
その神の子孫は、甘茂君かものきみ、大三輪君らである。

大己貴神は、天の羽車である大鷲に乗って、妻となる人を探し求めた。茅渟県ちぬのあがたに降って行き、大陶祇おおすえつみの娘の活玉依姫いくたまよりひめを妻として、かよった。
人に知られずに通っているうちに、娘は身ごもった。このとき娘の父母は疑いあやしんで尋ねた。
「誰が来ているのか」
娘は答えていった。
「不思議な人の姿で来られます。家の上から降りて入っていらっしゃって、床をいっしょにするだけです」

父母は、その神人が何者なのかを明らかにしようと思い、麻をつむいで糸をつくり、針で神人の衣の裾につけた。
そうして翌朝、糸にしたがって求めて行ったところ、鍵穴をこえて、茅渟山を経て吉野山に入り、三諸山に留った。そのため、神人が三輪山の大神であることがわかった。
その糸の残りを見ると、ただ三つの輪だけ残っていた。そこで、三諸山を三輪山と名づけて、大三輪神社という。



大己貴神おおなむじのかみの兄には、事八十神ことやそがみがおられた。その八十神が、この国を大己貴神に譲ったわけは、兄弟二神がそれぞれ稲羽の八上姫やがみひめに求婚しようと思う心があった。共に稲羽に出かけたとき、大己貴神には袋を背負わせて、従者として連れて行った。

ところが気多けたの岬にやってきたときに、丸裸になった兎が横たわっていた。
兄の事八十神がその兎にいった。
「お前がその体を直すには、この海の潮水を浴びて、風の吹くのにあたって、高い山の上で寝ていなさい」
兎は八十神の教えのままに、山の上で横になった。すると浴びた海水が乾くにつれて、兎の体の皮膚はすっかり風に吹かれて裂けてしまった。

そのため、兎は痛み苦しんで、泣き伏していると、神の最後にやってきた大穴牟遅神[大己貴神]が、兎を見て仰せられた。
「どういうわけで、お前は泣き伏しているのか」

兎は答えていった。
「私は於岐おきの嶋にいて、この地に渡りたいと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海にいるわにをだまして、“私とお前とくらべて、どちらの同族が多いかを数えたいと思う。だからお前はその同族を、ありったけ全部連れてきて、この島から気多の岬まで、みな一列に並んで伏せていてくれ。そうしたら、私がその上を踏んで、走りながら数えて渡って、私の同族とどちらが多いかを知ることにしよう”と、このようにいいました。そして鰐がだまされて並んで伏しているとき、私はその上を踏んで、数えながら渡って来て、今まさに地上におりようとするとき、私が、“お前は私にだまされたんだよ”といい終わるやいなや、一番端に伏していた鰐が私を捕らえて、私の着物をすっかり剥ぎ取りました。そのために泣き悲しんでいたところ、先に行った事八十神がおっしゃるには、“潮水を浴びて、風にあたって寝ていろ”とお教えになりました。それで教えのとおりにしましたら、私の体は全身傷だらけになりました」

大己貴神はその兎に教えて仰せになった。
「今すぐに、この河口に行って、真水でお前の体を洗って、その河口のがまの穂を取って敷き散らし、その上に寝ころがれば、お前の体はもとの膚のようにきっと治るだろう」
それで教えのとおりにしたところ、兎の体は元どおりになった。この兎を今、稲羽の素兎しろうさぎという。今の兎神がこれである。

このときその兎は、大己貴神に申しあげていった。
「八十神は、きっと八上姫を娶ることができないでしょう。袋を背負ってはおられますが、あなた様が娶られるでしょう」

求婚を受けた八上姫は八十神に答えていった。
「私はあなた達の言うことは聞きません。大己貴神と結婚します」

これを聞いた事八十神は、大己貴神を殺そうと思い、みなで相談して伯耆国の手向山たむきやまのふもとにやって来ていった。
「赤い猪がこの山にいる。我らがいっせいに追いおろしたら、お前は下で待ち受けて捕らえなさい。もし待ち受けて捕らえなかったら、きっとお前を殺すぞ」
こういって、火を使い猪に似た大石を焼いてころがし落した。そこで、追いおろしたのを捕らえようとしたので、大己貴神はその石に焼きつかれて、死んでしまった。

これを知った大己貴神の御親神は、泣き憂いて天に上り、神皇産霊尊かみむすひのみことに救いを請うた。神皇産霊尊は、黒貝姫くろがいひめ蛤貝姫命うむがいひめのみこととを遣わして、蘇生させた。
すなわち、黒貝姫は貝を削って粉にして集めて、蛤貝姫はこれを待ち受けて、母乳の汁を塗ったところ、立派な男子となって出て行かれた。

ところが事八十神はまた、大己貴神をあざむいて山に連れ込み、大木を切り倒し、楔をその木に打って、その割れ目に入らせるやいなや、楔を引き抜いて打ち殺してしまった。
そこでまた、御親神が泣きながら大己貴神を捜したところ、見つけ出すことができて、ただちにその木を折って取り出して復活させた。

御親神は、その子である大己貴神に告げて仰せになった。
「あなたはここにいたら、ついには八十神によって滅ぼされてしまう」
そこで、すぐに紀国の大屋彦神おおやひこのかみのもとにお遣わしになった。
ところが、八十神は捜し求めて追いかけて来て、矢で射て大己貴神を殺そうとしたので、木の股をくぐって逃れた。

御親神は、子神に告げて仰せられた。
速素戔烏尊はやすさのおのみことのいらっしゃる、根の堅州国かたすくにへ行きなさい。きっとその大神がよいように図ってくださるでしょう」

そこで、その仰せに従って、素戔烏尊のもとにやって来ると、その娘の須勢理姫命すせりひめのみことが出て、大己貴神とお互いに目を見かわし結婚なさって、御殿の中に戻って、その父神に、申しあげた。
「とても素敵な神がおいでになりました」
そこで大神は出て、大己貴神を見て仰せられた。
「この者は、葦原色許男あしはらのしこおという神だ」
そうして呼び入れて、蛇のいる室に寝させた。

このとき、その妻の須勢理姫命は、蛇の比礼を夫に授けていった。
「蛇が噛みつこうとしたら、この比礼を三度振って、打ちはらってください」
そこで、教えられたとおりにしたところ、蛇は自然と鎮まったので、やすらかに眠ってその室を出ることができた。

また、翌日の夜は、蜈蚣と蜂のいる室にお入れになった。
今度も蜈蚣と蜂の比礼を授けて、前のようにした。そのため、無事に出られた。

また、鏑矢を広い野の中に射込んで、その矢を拾わせた。
そこでその野に入ったとき、ただちに火を放ってその野を周りから焼いた。出る所がわからず困っていると、鼠がやって来て、
「内は広く、外はすぼまってます」
と、このようにいった。
そこで、そこを踏んだところ、下に落ち込んで、穴に隠れ入っている間に、火は上を焼け過ぎていった。
そしてその鼠は、その鏑矢をくわえて出てきて大己貴神に献じた。その矢は鼠の子どもが皆食いちぎっていた。

須勢理姫命は、葬式の道具を持って泣きながら来て、父の大神は大己貴神がすでに死んだと思って、その野に出で立たれた。
ところがこうして、大己貴神は矢を持って大神に奉ったので、家の中に連れて入って、広い大室に呼び入れて、その頭の虱を取らせた。
そこでその頭を見ると、蜈蚣がたくさんいた。このとき妻の須勢理姫命は、椋の実と赤土を取ってその夫に与えた。
そこで、その木の実を食い割って、赤土を口に含んで唾をはき出されると、素戔烏の大神は蜈蚣を噛み砕いて、吐き出しているのだとお思いになって、心の中でかわいい奴だと思って、眠ってしまわれた。

このとき大己貴神は、素戔烏尊の髪をつかんで、室の垂木ごとに結びつけて、五百引の大岩をその室の戸口に据えて塞いでしまった。そしてその妻の須勢理姫命を背負い、ただちに大神の権威の象徴である生大刀いくたちと生弓矢、および天の詔琴を持って逃げ出されるとき、その天の詔琴が樹に触れて、大地が鳴り動くような音がした。
そのため、眠っておられた大神が、この音を聞いて驚き目を覚まし、その室を引き倒してしまわれた。けれども、垂木に結びつけた髪を解いておられる間に、大己貴神は遠くへ逃れて行った。

そこで、素戔烏尊は黄泉平坂よもつひらさかまで追いかけて来て、はるか遠くに大己貴神と娘の姿を望み見て、大声で呼びかけて仰せられた。
「お前が持っているその生大刀・生弓矢で、お前の腹違いの兄を坂のすそに追い伏せ、また川の瀬に追い払え。お前が大国主おおくにぬしの神となり、また顕見国主うつしくにぬしの神となって、その私の娘・須勢理姫を正妻として、宇迦の山のふもとに太い宮柱を深く掘り立て、空高く千木をそびやかした宮殿に住め。こやつめ」
そこで、その大刀と弓でもって、八十神を追いやられるとき、坂のすそごとに追い伏せ、川の瀬ごとに追い払って、国つくりを始められた。

八上姫は大己貴神のもとへ連れて来られたけれども、その本妻の須勢理姫を恐れて、生んだ子は木の股にさし挟んで帰られた。
それでその子を名づけて木俣神きまたのかみといい、またの名を御井神みいのかみという。

大己貴命が、高志国の沼河姫ぬなかわひめに求婚しようとして、お出かけになったとき、その沼河姫の家に着いて、云々とそのように歌われた。
杯をかわして、お互いに首の手をかけあって、現在に至るまで鎮座しておられる。これを神語かむがたりという。




素戔烏尊すさのおのみこと
この尊が天照大神あまてらすおおみかみと共に誓約うけいして、そのために生まれた三柱の娘は、「あなたの子にしなさい」と天照大神が仰せになった。

名は田心姫命たごりひめのみこと。またの名を奥津嶋姫命おきつしまひめのみこと、または瀛津嶋姫命おきつしまひめのみことで、宗像むなかたの奥津宮に鎮座されている。これが遠い沖の島にいらっしゃる神である。
次に、市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと。または佐依姫命さよりひめのみこと、または中津嶋姫命なかつしまひめのみことといい、宗像の中津宮に鎮座されている。これが中間の島にいらっしゃる神である。
次に、湍津嶋姫命たぎつしまひめのみこと。またの名を多岐都姫命たぎつひめのみこと、またの名を辺津嶋姫命へつしまひめのみことといい、宗像の辺都宮へつみやに鎮座されている。これが海浜にいらっしゃる神である。

以上の三神は、天照大神がお生みになった三柱の女神で、
「これはあなたの子だ」
とされたため、素戔烏尊に授けて、葦原の中国に天降らせた。
筑紫国の宇佐嶋うさのしまに降られて、北の海の道中にあって、その名は道中貴みちなかむちという。
それでこの神に教えて仰せられた。
「天孫をお助けして、天孫のために祀られなさい」
すなわち、宗像君がお祀りしているところである。また、水沼君みぬまのきみも同じくこの三神をお祀りするという。
宗像君の斎き祀る三前みさきの大神である。

素戔烏尊の子の次は、五十猛神いたけるのかみである。[または大屋彦神おおやひこのかみという]
次に、大屋姫神おおやひめのかみ
次に、抓津姫神つまつひめのかみ
以上の三柱の神は、紀伊国に鎮座されている。すなわち、紀伊国造が斎き祀る神である。

次に、事八十神ことやそのかみ
次に、大己貴神おおなむちのかみ。倭国城上郡の大三輪神社に鎮座されている。
次に、須勢理姫神すせりひめのかみ[大三輪大神の嫡后である]。
次に、大年神おおどしのかみ
次に、稲倉魂神いねくらのみたまのかみ[または宇迦能御玉神うがのみたまのかみという]。
次に、葛木一言主神かずらきのひとことぬしのかみ[倭国葛木上郡に鎮座されている]。

素戔烏尊の子、大己貴神。
またの名を、大国主神おおくにぬしのかみ、または大物主神おおものぬしのかみという。
または、国造大穴牟遅命くにつくりしおおなむぢのみことという。
または、大国玉神おおくにたまのかみという。または、顕見国玉神うつしみくにたまのかみという。
または、葦原醜雄命あしはらのしこおのみことという。または、八千矛神やちほこのかみという。
これら八つの名がある。

その大己貴神の子は、合わせて百八十一柱の神がいらっしゃる。
まず、宗像の奥都嶋にいらっしゃる神の田心姫命を娶って、一男一女をお生みになった。
子の味鉏高彦根神あじすきたかひこねのかみは、倭国葛木郡の高鴨社に鎮座されている。捨篠社すてすすのやしろともいう。
味鉏高彦根神の妹は下照姫命。倭国葛木郡の雲櫛社に鎮座されている。

次に、辺都宮にいらっしゃる高津姫神たかつひめのかみを娶って、一男一女をお生みになった。
子の都味歯八重事代主神つみはやえことしろぬしのかみは、倭国高市郡の高市社たけちのやしろに鎮座されている。または甘南備飛鳥社かんなびのあすかのやしろという。
都味歯八重事代主神の妹は高照光姫大神命たかてるひめのおおかみのみこと。倭国葛木郡の御歳みとし神社に鎮座されている。

次に、稲羽の八上姫やがみひめを娶って、一人の子をお生みになった。
子の御井神みいのかみ。またの名を木俣神こまたのかみ

次に、高志こし沼河姫ぬなかわひめを娶って、一男をお生みになった。
子の建御名方神たけみなかたのかみは、信濃国諏方郡の諏方すわ神社に鎮座されている。

素戔烏尊の孫、都味歯八重事代主神。
大きな熊鰐となって、三嶋溝杭みしまのみぞくいの娘・活玉依姫いくたまよりひめのもとへ通い、一男一女をお生みになった。
子の天日方奇日方命あまひかたくしひかたのみこと
この命は、神武朝の御世に詔を受けて、政事を行う大夫となり、お仕え申しあげた。
天日方奇日方命の妹の姫鞴五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと
この命は、神武朝に皇后となり、二人の子をお生みになった。すなわち、神渟河耳天皇かむぬなかわみみのすめらみこと(綏靖天皇)と、次に彦八井耳命ひこやいみみのみことがこれである。
次の妹の五十鈴依姫命いすずよりひめのみこと
この命は、綏靖朝に皇后となり、一人の子をお生みになった。すなわち、磯城津彦玉手看天皇しきつひこたまてみのすめらみこと(安寧天皇)である。

三世孫、天日方奇日方命。またの名は阿田都久志尼命あたつくしねのみこと
この命は、日向の賀牟度美良姫ひむかのかむとみらひめを娶って、一男一女をお生みになった。
子は建飯勝命たけいいかちのみこと
建飯勝命の妹の渟中底姫命ぬなそこひめのみこと
この命は、安寧天皇のときに皇后となり、四人の子をお生みになった。すなわち、大日本根子彦耜友天皇おおやまとねこひこすきとものすめらみこと(懿徳天皇)。次に常津彦命とこつひこのみこと。次に磯城津彦命しきつひこのみこと。次に研貴彦友背命たきしひこともせのみこと

四世孫、建飯勝命。
この命は、出雲臣の娘・沙麻奈姫さまなひめを娶り、一男をお生みになった。

五世孫、建甕尻命たけみかじりのみこと。またの名は建甕槌命たけみかつちのみこと、または建甕之尾命(たけみかのおのみこと)。
この命は、伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫がかいろひめを妻として、一男をお生みになった。

六世孫、豊御気主命とよみけぬしのみこと。またの名を建甕依命たけみかよりのみこと
この命は、紀伊の名草姫なくさひめを妻として、一男をお生みになった。

七世孫、大御気主命おおみけぬしのみこと
この命は、大倭国の民磯姫たみいそひめを妻として、二男をお生みになった。

八世孫、阿田賀田須命あたがたすのみこと
和迩君わにのきみたちの祖である。
次に、弟の建飯賀田須命たけいいがたすのみこと
この命は、鴨部かもべ美良姫みらひめを妻として、一男をお生みになった。

九世孫、大田々祢古命おおたたねこのみこと。またの名は大直祢古命おおただねこのみこと
この命は、出雲の神門臣の娘・美気姫みけひめを妻として、一男をお生みになった。

十世孫、大御気持命おおみけもちのみこと
この命は、出雲の鞍山祇姫くらやまつみひめを妻として、三男をお生みになった。

十一世孫、大鴨積命おおかもつみのみこと
この命は、崇神朝の御世に賀茂君かものきみの姓を賜った。
次に、弟の大友主命おおともぬしのみこと
この命は、同じ崇神朝に大神君おおみわのきみの姓を賜った。
次に、田々彦命たたひこのみこと
この命は、同じ崇神朝に神部直かむべのあたい・大神部直の姓を賜った。

素戔烏尊の子の次として、大年神。
この神の御子は、合わせて十六柱の神がいらっしゃる。

まず、須沼比神すぬまひのかみの娘の伊怒姫いぬひめを娶り妻として、五柱の子をお生みになった。
子の大国御魂神おおくにみたまのかみは、大和おおやまとの神である。
次に、韓神からかみ
次に、曽富理神そほりのかみ
次に、白日神しらひのかみ
次に、聖神ひじりのかみ

次に賀用姫がよひめと娶り妻として、二児をお生みになった。
子の大香山戸神おおかやまとのかみ
次に、御年神みとしのかみ

次に天知迦流美豆姫あめのちかるみづひめを娶り妻として、九児をお生みになった。
子の奥津彦神おきつひこのかみ。次に、奥津姫神おきつひめのかみ。この二神は、皆が拝み祀っている竈の神である。
次に、大山咋神おおやまくいのかみ。この神は、近淡海の比叡山に鎮座されている。また、葛野郡の松尾にいらっしゃる、鏑矢を持たれる神である。
次に、庭津日神にわつひのかみ
次に、阿須波神あすはのかみ
次に、波比岐神はひきのかみ
次に、香山戸神かやまとのかみ
次に、羽山戸神はやまとのかみ
次に、庭高津日神にわたかつひのかみ
次に、大土神おおつちのかみ、またの名を土之御祖神つちのみおやのかみ

次に、大年神の子として羽山戸神。
合わせて八柱の御子がいらっしゃる。

大気都姫神おおげつひめのかみを妻として、八柱をお生みになった。
子の若山咋神わかやまくいのかみ
次に、若年神わたとしのかみ
妹の若沙那売神わかさなめのかみ
次に、弥豆麻岐神みづまきのかみ
次に、夏高津日神なつたかつひのかみ、またの名を夏之女神なつのめかみ
次に、秋比女神あきひめのかみ
次に、冬年神ふゆとしのかみ
次に、久久紀若室葛根神くくきわかむろかづらねのかみ