【所縁の史跡】浅間古墳・琴平古墳(静岡県)

■ 浅間古墳 [地図]

静岡県富士市増川にある、浅間古墳です。増川I古墳群1号墳ともいうようです。
墳丘上に、名称の由来である浅間神社が建ちます。

愛鷹山の南西麓の高台から、南の平野と駿河湾を見おろすような立地にあります。

前方後方墳で、墳長103m、後方部幅61m、前方部幅40mの規模。
周濠の痕跡があり、葺石・円筒埴輪の存在が認められるそうです。

前方部は比較的未発達で、前期形式の墳丘。
4世紀後半ころに築かれたと見られます。

原秀三郎氏は、「浅間古墳は珠流河国造初代の物部片堅石連公の墳墓とみるべきと考える」として、「旧事本紀」の天孫本紀に駿河国造の祖としてみえる物部片堅石連公、国造本紀に珠流河国造の祖としてみえる片堅石命を、この古墳の被葬者に想定しています。


■ 琴平古墳 [地図]

富士市中里にある琴平古墳です。浅間古墳からは、北西に1kmほどのところにあります。
ここも南方に駿河湾を望む斜面に立地するのですが、振り返ると富士山も奇麗に見えます。

訪ねた当時の現地案内板によると、直径31mの円墳とされていました。
その後、平成31年に発掘調査が行われ、直径は29.7m。幅8.7mの周溝を持つことが明らかにされました。

墳丘上には、名称の由来となった琴平社があります。

また、かつては5世紀中葉ころに築かれたと見られていましたが、調査により周溝の最下層から富士山の火山活動で噴出した「大淵スリコア」が確認され、6世紀代に降る時期が確実になりました。近隣の他の古墳との比較で古墳時代後期の中ごろが考えられています。

参考
原秀三郎『地域と王権の古代史学』
静岡県編『静岡県史 資料編2 考古二』
辰巳和弘『日本の古代遺跡 1静岡』
石野博信『全国古墳編年集成』
近藤義郎編『前方後円墳集成 中部編』
富士市教育委員会『富士市埋蔵文化財調査報告第67集 富士市内遺跡発掘調査報告書平成30年度』

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