【先代旧事本紀】天皇本紀・神皇本紀・帝皇本紀


■ 天皇本紀〜帝皇本紀について

巻七、巻八、巻九が、天皇本紀、神皇本紀、帝皇本紀で、神武天皇から推古天皇までの事績が記されています。
大半は、『日本書紀』からの抄略により成っていますが、神武天皇の即位に関する部分には、『古語拾遺』が利用されたことが見て取れます。
これらの中に、宇摩志麻治命を起源とする鎮魂祭の由来や、その他物部氏の人物の官職的地位への補任記事が配され、代々の物部氏が重要な位置にあったことが主張されます。

『日本書紀』からの抄出は、天皇の名・出自・特徴、即位と経緯、立太子・立后・立皇太后、皇妃・皇子女、天皇崩御・御陵、が主なもので、いわゆる帝紀的記事に偏っています。
これ以外のエピソードは大胆に捨てられることが多く、物部氏関連の記事(物部目の朝日郎征伐、磐井の乱と物部麁鹿火、物部守屋の滅亡など)であっても例外ではありません。
一方で、日本書紀ではワニ氏の出自を持つ応神妃・宮主宅媛を、神皇本紀は物部多遅麻大連の娘・香室媛へ改変しています。これは妃所生の矢田皇女の子代部とされる、矢田部の伴造に、物部氏族矢田部造(のちに連)のあることと関係するでしょう。
帝皇本紀推古段にみえる、遣隋使・矢田部造御嬬の記事と合わせて、矢田部氏の伝承に取材したものと見られます。

帝皇本紀は、推古天皇の治世二十九年二月、聖徳太子の死の記事で、その叙述を終えます。『日本書紀』によれば、推古朝は三十六年まで続いたとあり、『旧事本紀』が聖徳太子の撰と偽って成立したことを、顕著に示す部分といえます。


『先代旧事本紀』現代語訳天皇本紀

『先代旧事本紀』現代語訳神皇本紀

『先代旧事本紀』現代語訳帝皇本紀

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