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【所縁の史跡】鯨山古墳(愛媛県)

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  ■ 鯨山古墳   [地図] 愛媛県今治市馬越町2丁目の鯨山古墳です。県の史跡に指定されています。 現状は、平地の中の丘陵に見えます。 丘陵上には安養寺と三島神社が建てられ、大きく削平されているようです。周囲は石垣で囲まれています。 墳形は不明。前方後円墳と見るのが一般的でしたが、現在は円墳説のほうが有力のようです。 築造時期は古墳時代後期のようですが、はっきりしません。 丘陵全体を墳丘とする前方後円墳と見た場合、全長は約152mとなり、相の谷1号墳(約81m)を抜いて県下最大の古墳ということになります。円墳だとしても、直径66m程となり、かなりの規模です。 上の写真は墳頂(?)、左は鞍部(?)。 後円部と見られていたところには、かつて若干の石材が見られ、円筒埴輪や須恵器の破片が採集されたそうです。 応神朝に小千国造に任じられたという乎到命の墳墓と伝えられます。 天正七年三月の三島大祝越智安任の手記に、「小千御子の御墓は馬越邑にあり」とあることがその根拠です。 これだけだと、国造本紀にある大新川命の孫・小到命か、天孫本紀にある大新河命の子・大小市連か、あるいは孝霊天皇の孫と伝えられる越智皇子なのか、誰の墓と見られていたのかよくわかりません…。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 鯨山古墳

【所縁の史跡】大山積神社(愛媛県)

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  ■ 大山積神社   [地図] 愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座する、大山祇神社です。 大三島へは、今治市街からバスで行くことができます。 『延喜式』神名帳の伊予国越智郡に、名神大社「大山積神社」がみえます。 境内の中央にそびえる「小千命御手植の楠」です。 祭神を大三島に勧請したと伝えられる、小千命によって植えられたものといい、その時代は神武東征以前に遡るそうです。 このほか、境内の楠木群は国の天然記念物に指定されています。 祭神は大山積神です。 『釈日本紀』の引く『伊予国風土記』逸文に、「御島にいらっしゃる神の御名は大山積神、またの名は和多志の大神である。この神は仁徳天皇の御世に顕現された。この神は百済の国から渡っておいでになり、摂津国の御島においでになった」という記述があります。 和多志(わたし)=渡海の神としての性格を持っていたことがわかります。 本殿(右)と下津社(左)。奥には上津社があって、 丹塗屋根檜皮葺の美しい社殿が並んでいます。 創建には諸説ありますが、初め推古二年に大三島の南東の逈戸浜に社殿が造営され、その後現在地に遷座、十六年の歳月を要して社殿を完成させ、養老三年に遷宮の儀が執り行われたといいます。 現在の本殿は、天授四年建立され、改修・修理を経たものと伝えられます。 「安産祈願」ののぼりが立つ姫子邑神社です。 本社の真後ろに位置します。大山積神の子神である木花開耶姫命と、その子神二柱を祀ります。 手前から石神社、稲荷神社、地神社、院内荒神社。 十七神社です。 諸山積神社や大気神社、千島神社などに二十一座を祀ります。社殿は県の重要文化財、神像のうち十七体は国指定重要文化財です。 葛城神社・祓殿神社・伊予国総社です。 合祀されてひとつの社殿に祀られているそうです。 御鉾神社です。 大山積神の荒魂が姿を取った「天逆鉾」を祀ります。神体は穂先の両側に小鈎がついた剣といいます。 御棧敷殿。 河野氏に出自を持つ、時宗の開祖・一遍上人が奉納したという宝篋印塔です。 隣接の国宝館・紫陽殿は刀剣や甲冑を中心に、多数の美術品を展示しています。 国宝の斉明天皇奉納という禽獣葡萄鏡や源義経奉納という赤絲威鎧大袖付などが有名です。河野氏ゆかりの品々も多くありました。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 大山積神社

【所縁の史跡】相の谷古墳と大浜八幡神社(愛媛県)

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  ■ 相の谷1号墳   [地図] 愛媛県今治市湊町2丁目にある「相の谷1号墳」です。左写真の丘の頂上に位置します。 南方には今治平野を望み、眼前に来島海峡を見おろします。現在、海上保安庁の海上交通センター(写真右側の建物)が置かれている当地は、古代においても瀬戸内海上交通の要所だったと考えられます。 前方部を北に向けた前方後円墳で、全長80.78m、後円部径50.28m、前方部幅44m。愛媛県下最大の古墳です。築造は四世紀後半ころと見られています。 墳頂には窪みがみられますが、発掘後に埋め戻されたはずの竪穴式石室と関係するのでしょうか。 銅鏡が二面出土していて、一面はだりゅう鏡、もう一面は「作竟真大」の文字がある三角縁の画像鏡。 県内最古といわれる埴輪は、壺形と円筒埴輪が出土しており、円筒埴輪の上に壺を乗せていた可能性があるとのこと。吉備の特殊器台の上に特殊壺を乗せる例との関係が気になるところです。 写真は東側から墳丘を見たところです。   ■ 大浜八幡神社   [地図] 今治市大浜町3丁目に鎮座する大浜八幡神社です。 『日本三代実録』仁和元年二月十日条に、正六位上から従五位下の神階に叙せられたと見える「門嶋神」が、この神社に祀られる神ともいわれます。 目の前に本州と四国を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋、そして美しい瀬戸内の海と島々を望む位置にあります。 主祭神は、国造本紀に「軽嶋豊明朝の御世に、物部連の同祖大新川命の孫小到命を国造に定賜ふ」とある、小市国造の祖・乎到命(小到命)です。孝霊天皇の皇子彦狭島命の子とする説もあって、ややこしいですが。 応神朝に国造に任じられた乎到命は当地に上陸し、館を造り、東予地方の開拓にあたったと伝えます。 海沿いの道に、「越智氏族発祥之地」との案内が出ています。 相殿神に、饒速日命と天道日女命。 ほかに貞観元年に宇佐八幡宮より勧請したという八幡神など(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰)が祀られています。 創建は乎到命の九代の後裔、乎到足尼高縄によるといいます。 相の谷1号墳からは、平安時代の皿が大量に出土しています。なんらかの祭祀が行われていたようです。わずか1kmほどの位置関係にある古墳と神社、もしかしたら、相の谷古墳は祭神・乎到命の墓所と考えられていたのかもしれません。 境内の中央には、乎到命の立派な像があります。

【所縁の史跡】国津比古命神社と櫛玉比売命神社(愛媛県)

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  ■ 国津比古命神社  [地図] 愛媛県松山市八反地に鎮座する、国津比古命神社です。 『延喜式』神名帳の伊予国風早郡に、「国津比古命神社」があります。 八脚門は県指定有形文化財で、もと阿沼美神社にあったものを、元禄年間に移築したと伝えられます。 祭神は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。 宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別命が配祀されています。 火事祭りとも呼ばれる秋祭りは、石段の上から神輿を落とす「あばれ神輿」で有名です。 国造本紀に、風速国造は応神朝に伊香色男命の四世孫の阿佐利を任じたといい、『続日本後紀』承和六年十一月癸未条には、善友朝臣の姓を賜った伊予国人の風早直豊宗らは天神饒速日命の後裔であるとされています。 当地の国造が、物部氏族を称していたことがわかります。 国津比古命神社は、この国造一族によって奉斎されたものでしょう。 末社の金比羅宮の前に、真名井の井戸があります。 阿佐利命が国造に任ぜられて、祖神の饒速日尊と宇麻志麻治命を祀ったことに始まり、古くは櫛玉饒速日命神社と称したと伝えます。 中古、阿佐利命を合祀して国津比古命神社に改称。のち、応神天皇を合祀して頭日八幡宮とも称しました。 ■ 櫛玉比売命神社   [地図] 松山市高田の櫛玉比売命神社です。国津比古命神社と向かい合う形で境内を接しています。 ひとつの境内に複数の神社が並祀されているといったほうがいいかもしれません。 『延喜式』神名帳の伊予国風早郡に、「櫛玉比売命神社」があります。 祭神は、天道姫命。御炊屋姫命を配祀します。 『旧事本紀』によれば、どちらも“櫛玉”饒速日尊=天火明尊の妃神です。 『文徳実録』斉衡元年三月壬辰条に、伊予国の櫛玉姫神が従五位下の神階に叙せられたことがみえます。 社殿は古墳を一部削平して建っています。 墳丘全長75メートル、後円部径42メートル、前方部幅39メートルの前方後円墳です。 社殿建立の際、後円部から勾玉と竪穴式石槨が発見されたといわれています。 上写真は、くびれ部付近から前方部東側の様子です。削られつつも、細く残っています。 下写真は、後円部です。拝殿の向かい側になります。 拝殿の西側(右側)にある、素鵞社。 素盞嗚命を祀ります。 参道の途中左側(古墳の後円部の北側)