【所縁の史跡】国津比古命神社と櫛玉比売命神社(愛媛県)

 

■ 国津比古命神社 [地図]

愛媛県松山市八反地に鎮座する、国津比古命神社です。
『延喜式』神名帳の伊予国風早郡に、「国津比古命神社」があります。

八脚門は県指定有形文化財で、もと阿沼美神社にあったものを、元禄年間に移築したと伝えられます。

祭神は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別命が配祀されています。

火事祭りとも呼ばれる秋祭りは、石段の上から神輿を落とす「あばれ神輿」で有名です。

国造本紀に、風速国造は応神朝に伊香色男命の四世孫の阿佐利を任じたといい、『続日本後紀』承和六年十一月癸未条には、善友朝臣の姓を賜った伊予国人の風早直豊宗らは天神饒速日命の後裔であるとされています。
当地の国造が、物部氏族を称していたことがわかります。
国津比古命神社は、この国造一族によって奉斎されたものでしょう。

末社の金比羅宮の前に、真名井の井戸があります。

阿佐利命が国造に任ぜられて、祖神の饒速日尊と宇麻志麻治命を祀ったことに始まり、古くは櫛玉饒速日命神社と称したと伝えます。
中古、阿佐利命を合祀して国津比古命神社に改称。のち、応神天皇を合祀して頭日八幡宮とも称しました。


櫛玉比売命神社 [地図]

松山市高田の櫛玉比売命神社です。国津比古命神社と向かい合う形で境内を接しています。
ひとつの境内に複数の神社が並祀されているといったほうがいいかもしれません。

『延喜式』神名帳の伊予国風早郡に、「櫛玉比売命神社」があります。

祭神は、天道姫命。御炊屋姫命を配祀します。
『旧事本紀』によれば、どちらも“櫛玉”饒速日尊=天火明尊の妃神です。

『文徳実録』斉衡元年三月壬辰条に、伊予国の櫛玉姫神が従五位下の神階に叙せられたことがみえます。

社殿は古墳を一部削平して建っています。
墳丘全長75メートル、後円部径42メートル、前方部幅39メートルの前方後円墳です。
社殿建立の際、後円部から勾玉と竪穴式石槨が発見されたといわれています。

上写真は、くびれ部付近から前方部東側の様子です。削られつつも、細く残っています。
下写真は、後円部です。拝殿の向かい側になります。

拝殿の西側(右側)にある、素鵞社。
素盞嗚命を祀ります。

参道の途中左側(古墳の後円部の北側)にある、和霊神社です。


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