【所縁の史跡】相の谷古墳と大浜八幡神社(愛媛県)

 

相の谷1号墳 [地図]

愛媛県今治市湊町2丁目にある「相の谷1号墳」です。左写真の丘の頂上に位置します。
南方には今治平野を望み、眼前に来島海峡を見おろします。現在、海上保安庁の海上交通センター(写真右側の建物)が置かれている当地は、古代においても瀬戸内海上交通の要所だったと考えられます。

前方部を北に向けた前方後円墳で、全長80.78m、後円部径50.28m、前方部幅44m。愛媛県下最大の古墳です。築造は四世紀後半ころと見られています。

墳頂には窪みがみられますが、発掘後に埋め戻されたはずの竪穴式石室と関係するのでしょうか。

銅鏡が二面出土していて、一面はだりゅう鏡、もう一面は「作竟真大」の文字がある三角縁の画像鏡。
県内最古といわれる埴輪は、壺形と円筒埴輪が出土しており、円筒埴輪の上に壺を乗せていた可能性があるとのこと。吉備の特殊器台の上に特殊壺を乗せる例との関係が気になるところです。

写真は東側から墳丘を見たところです。

 

大浜八幡神社 [地図]

今治市大浜町3丁目に鎮座する大浜八幡神社です。
『日本三代実録』仁和元年二月十日条に、正六位上から従五位下の神階に叙せられたと見える「門嶋神」が、この神社に祀られる神ともいわれます。
目の前に本州と四国を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋、そして美しい瀬戸内の海と島々を望む位置にあります。

主祭神は、国造本紀に「軽嶋豊明朝の御世に、物部連の同祖大新川命の孫小到命を国造に定賜ふ」とある、小市国造の祖・乎到命(小到命)です。孝霊天皇の皇子彦狭島命の子とする説もあって、ややこしいですが。

応神朝に国造に任じられた乎到命は当地に上陸し、館を造り、東予地方の開拓にあたったと伝えます。

海沿いの道に、「越智氏族発祥之地」との案内が出ています。

相殿神に、饒速日命と天道日女命。

ほかに貞観元年に宇佐八幡宮より勧請したという八幡神など(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰)が祀られています。
創建は乎到命の九代の後裔、乎到足尼高縄によるといいます。

相の谷1号墳からは、平安時代の皿が大量に出土しています。なんらかの祭祀が行われていたようです。わずか1kmほどの位置関係にある古墳と神社、もしかしたら、相の谷古墳は祭神・乎到命の墓所と考えられていたのかもしれません。

境内の中央には、乎到命の立派な像があります。
建立は平成十九年四月。私が参拝したのもこの年の四月末…新品だけに、日の光を浴びて白く輝いていました。

「越智氏族発祥之地」の碑は、境内の裏手にあります。

昭和十五年に建てられたもので、銘文に「乎到命神裔同族会総裁男爵伊藤文吉撰」とありました。
初代首相・伊藤博文もこの一族の出なんですね。


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