【先代旧事本紀】神代本紀

巻第一は神代本紀と陰陽本紀から成ります。このうち神代本紀は、『記』『紀』における、いわゆる天地開闢と神代七代の部分に相当します。

『古事記』で最初に生まれる神は天之御中主神、『日本書紀』では国常立尊とされていますが、ここでは天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊とされます。他の書には見られない、独自の記述です。
とはいえ、天御中主尊と国常立尊も存在を否定されるわけではなく、続いて誕生した神々の中に名前が見えます。つまり、『記』『紀』それぞれの元初の神よりも、さらに前段階を設けることによって、網羅と一元化が図られているといえます。

天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊には、「天祖」であるとの表記がありますが、陰陽本紀で伊弉諾尊と伊弉冉尊に豊葦原の地を修めるよう命じるのも、「天祖」とされています。

ところで、『旧事本紀』の神代に関する記述には、日本紀講筵で議論になったような不審点を解消しようとする方向で、アレンジされている場合が多数見られます。
津田博幸氏が指摘した神代本紀の冒頭部分では、元になった『日本書紀』とは、次のような違いがあるといいます。

・ 「鶏子」が「鶏卵子」に改められている。
→雛の意に誤読するのを回避し、卵であることを明瞭にする。

・ 「清陽者薄靡而為天」が「清気漸登薄靡為天」に改められている。
→「清陽がたなびいて天となる」よりも、「清気がたち登ってからたなびいて天となる」のほうがイメージしやすい。

・ 「洲壤浮漂」が「州壤浮漂」に改められている。
→「洲」の字義は「水中地=中洲」が本来であり、「くに」と訓むことに疑問が持たれたが、「州」とすることで解消できる。

以上の三例は、現存の日本書紀私記(承平私記や釈日本紀所引私記)に議論が記されている論点でもありました。日本紀講筵を頂点とする平安時代前期の学界と、『旧事本紀』との関係を考える上での好例といえるでしょう。


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『先代旧事本紀』現代語訳神代本紀

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