【所縁の史跡】二つの「鳥見」2(奈良県)
■ 真弓塚 [地図]
生駒市上町の真弓塚です。
同市真弓の水道施設の隣りにあります。
聖武天皇が当地で行う狩猟に従っていた、真弓長弓という人物が不幸にも落命し、葬られた墓と伝えられます。
丘陵上の円墳といった風情で、大きな墳丘での葬送が廃れた奈良時代の墓とは思えません。一方で、人の手が加わっているように見えるものの、『奈良県遺跡地図』等では古墳と認識されていないようです。
近世以降、これを饒速日命の墳墓にあてる説があります。
『旧事本紀』天孫本紀に、饒速日命が亡くなった後、天の羽羽弓などの遺品を納める墓が登美の白庭邑に築かれたとあります。
真弓の名称が、天の羽羽弓に関係すると見られたようです。
真弓塚を饒速日命に関係させる見方を、一躍世に知らしめたのが、谷川健一氏の『白鳥伝説』です。
谷川氏はいいます。
「そこはいま造成された団地の一角にある。石段をのぼっていくと、丘の頂上に出る。そこから見下ろすと近くには矢田丘陵とその背後の生駒山脈がのぞまれ、とおくには葛城の山々がかすんで見える。大和、河内、山城の境目にあり、河内からはじめて大和平野に進出した物部一族がこの真弓塚にのぼって日神ニギハヤヒを祀ったと想像していっこうに差し支えないところである。
いま背後は樹林に蔽われているが、その樹林がないとすれば、三百六十度の視野をもつ円丘が真弓塚である。それはあたかも円墳のごとく、平野の中に孤立した小丘で、高さは二〇〇メートルに足りないが、大和平野を一望のもとに納め得る。
物部一族は、真弓塚の天頂に太陽がかがやくとき、日神ニギハヤヒが彼らの前に現れるような気持ちを抱いたであろう」
長弓寺で管理しているようでした。
■ 長弓寺と伊弉諾神社 [地図]
生駒市上町の真弓山長弓寺です。
聖武天皇の勅願による創建といわれます。
本堂は鎌倉時代のもので、国宝に指定されています。
天皇の狩猟に付き従っていた真弓長弓が事故で命を落とし、それを哀れんだ天皇が行基に命じて堂を建てたのが創建であると称します。
また、光仁朝に内大臣となった藤原良継により興復されたとも伝えます。
『大和志料』は、これらを仏家の牽強付会、信ずべからざるものが多いとして退け、饒速日命と御炊屋姫命の廟社のあった場所にあてます。
本尊十一面観音立像は重要文化財に指定されています。
塔頭寺院として、薬師院、円生院、法華院、宝光院があります。
富雄川の東岸に、鳥居があります。
寺の惣門よりも先に、この鳥居を通らなければなりません。
長弓境内の、伊弉諾神社です。
『延喜式』神名帳の大和国添下郡に、「伊射奈岐神社」がみえます。
伊弉諾尊のほか、素盞嗚尊、大国主命を祭神とします。
素盞嗚尊については、江戸期に牛頭天王社だったことと関係するようです。
『大和志料』は、登美神社の比定において、「窃に案ずるに、北倭村大字上長弓寺元鎮守の牛頭天王なるべし」、伊射奈岐神社について「今北倭村大字上の村祠を以て当社なりとするも拠なし」とします。
■ 登弥神社 [地図]
奈良県奈良市石木町に鎮座する、登弥神社です。
木嶋明神とも通称されるそうです。
『延喜式』神名帳の大和国添下郡に、「登弥神社」がみえます。
『姓氏録』にみえる物部氏族登美連(鳥見連)が祖神を祀ったものといわれます。
社号標は、海軍大将当時の鈴木貫太郎の筆によるもの。
饒速日命のほか、高皇産霊神、誉田別命、神皇産霊神、天児屋命が祭神とされています。
『神名帳考證』は、『姓氏録』から伊香我色乎命を祭神にあてています。
■ 富雄丸山古墳 [地図]
富雄川の西岸、奈良市丸山にある富雄丸山古墳です。
登弥神社からは北西に1.5キロほどの場所です。
隣りは運動公園になっていました。
直径約110メートルの大型円墳で、古墳時代前期に築かれました。
古墳群には属さず、単独で存在します。一帯では以降に首長墳が続きません。
私が訪れた当時は藪に覆われていましたが、今後は整備が進んで見学しやすくなりそうです。
1972年の調査では、円筒埴輪列と葺石があったことが確認されました。
主体部は割竹形木棺。
粘土槨は長さ6.1メートル、幅2.9メートルとかなり大きいです。
京都国立博物館に保管される銅鏡・有鉤銅釧・鍬形石などの出土物でも有名です。
三角縁神獣鏡も出土しています。
これは天理市の天理参考館で展示されていました。
参考
泉森皎『大和古代遺跡案内』