【所縁の史跡】二つの「鳥見」3(奈良県)
【 鳥見:桜井市外山付近 】
桜井市の三輪山南方一帯です。
「外山(とび)」の地名があります。
『日本書紀』の神武四年三月条にある、神々の祀りの場を設けた鳥見山の伝承地がここです。
また、天武八年八月条に、天武天皇が泊瀬への行幸から戻った後、群卿がそろえた良馬を「迹見の馬屋」で見たとあり、その「迹見」はここといわれています。
『日本書紀』で神武天皇が兄磯城を攻めるためにとった進軍経路を見ると、「忍坂の道」「墨坂」「宇陀川」などの地名が出てきて、それに続いて金鵄の話や「鳥見」という地名が出てきます。
饒速日命は、この鵄の話や「鳥見」の地名の話のすぐ後で長髄彦を殺して、神武天皇に帰順しています。
これを見ると、饒速日命は桜井市の鳥見山付近にいたほうが自然なようです。
奈良交通外山バス停すぐの宗像神社。
『延喜式』神名帳の大和国城上郡に、「宗像神社」がみえます。
「登美山鎮座」の社号標がありました。
高階真人の氏神的存在だったといいます。
高階氏の祖は天武天皇の子、高市皇子で、その母は胸形徳善の娘・尼子娘です。
■ 等弥神社 [地図]
奈良県桜井市桜井に鎮座する、等弥神社です。
『延喜式』神名帳の大和国城上郡に、「等弥神社」がみえます。
上ツ尾社の大日孁貴尊を主祭神とします。
下ツ尾社には、春日神・八幡神が祀られています。
『特撰神名牒』など、饒速日命を祭神にあてる説もあります。
境内に「鳥見山霊畤」の碑が建っています。
神社の東に広がる山塊が鳥見山です。
山中には、庭殿、白庭山、霊畤といった斎場があるそうです。
周辺一帯は古代の遺跡地で、弥生~飛鳥時代の遺物が多数出土しています。
■ 神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑 [地図]
神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑です。
等弥神社の南側にあります。
紀元二千六百年奉祝事業として、神武東征にゆかりの各地に建てられた碑のひとつです。
神武紀の四年春二月二十三日条に、天皇が天下平定を皇祖の霊に感謝し、霊畤を鳥見山の中に立てて、皇祖天神を祀ったことがみえます。
■ 桜井茶臼山古墳 [地図]
桜井市外山にある、桜井茶臼山古墳です。
全長約207メートル、後円部の直径約110メートル。前方部が開かない柄鏡型の前方後円墳です。
古墳時代前期に築かれたものとされます。
玉杖などの碧玉製品や鏡、玉、鉄剣の破片が出土しています。
特に鏡は多く、2009年の調査で、細かな破片として81枚以上あったことが明らかにされました。
主体部は大型の竪穴式石室で、全体に水銀朱が塗られていました。
↑西側のくびれ部付近。
栗田寛「物部氏纂記」に、本居宣長の説を引くとして、 「大和国人のいはく、城上郡外山村に輿塚と云有り。上は円にて内なる石構少し発(あらはれ)て見ゆる。其の嶺(いただき)へは人登ることなし。南方へ差し出たる尾有りて、御陵の状也と云り。思ふに是れもしは饒速日命の御墓には有じかと疑ひおけり」 と、饒速日命の墳墓であることが疑われています。 江戸後期においても、南方に前方部を向ける前方後円墳と認識され、後円部に石室材が一部露出していたことなどがわかります。
↑墳丘上から鳥見山方面を見ました。
安本美典氏は、阿部氏系の人物(建沼河別命や御間城姫命)と並んで、物部氏系の人物(伊香色雄命、伊香色謎命、武諸隅命ら)を、桜井茶臼山古墳の被葬者候補に挙げうるとしています。
参考
栗田寛「物部氏纂記」 『続日本古典全集 栗里先生雑著 二』
安本美典『巨大古墳の被葬者は誰か』
安本美典「『先代旧事本紀』の真実」 『季刊邪馬台国58号』