【物部八十氏】さ行

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 さ 

佐為 (さい)

連姓。天武十三年十二月以降は宿祢姓がある。狭井とも表記される。
「記」神武段に狭井河、延喜式神名帳の大和国城上郡に狭井坐大神荒魂神社とみえる地が本拠地。
氏人には、斉明朝に百済救援軍の将のひとりとなった狭井連檳榔(天智即位前紀)、大宝律令選定の功により録を賜った狭井宿祢尺麻呂(続紀文武四年六月)らがいる。
延喜本系中臣氏系図には、狭井連麻呂の娘・米頭羅古娘が可多能祜に嫁し糠手子を生んだとして、中臣氏との通婚があったことがみえる。

速日命の六世孫・伊香我色乎命の後裔。(「録」左京神別上)
宇治宿祢に同じく、饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。
饒速日命の八世孫・物部牟伎利足尼の後裔。(「録」山城国神別)
石上朝臣に同祖。神饒速日命の十七世孫・伊己止足尼の後裔。(「録」大和国神別)

宇摩志麻治命の十世孫・物部石持連公、同十一世孫・物部御辞連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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坂戸 (さかと)

造姓。「旧」天神本紀に五部造のひとつとしてみえ、饒速日命の天降りに際しては伴領となって天物部を率い供奉したという。
ウヂ名の坂戸は、河内国古市郡尺度郷の地名にちなむ。また、大和国平群郡坂門郷、摂津国東成郡酒人郷も縁故の地か。
坂戸物部を管掌する伴造と見られる。

『万葉集』巻一(54)の坂門人足、巻十六(3821)左注の「時有娘子。姓尺度氏也。」が氏人か。

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坂戸物部 (さかとのもののべ)

無姓。河内国古市郡尺度郷が本拠地と見られ、摂津国東成郡酒人郷、大和国平群郡坂門郷も縁故の地とする説がある。
「旧」天神本紀に二十五部のひとつとして酒人物部(須尺物部とするは誤り)がみえ、下記の姓氏録と同様に饒速日命に供奉して天降ったとする伝承を持つ。また同本紀にある坂戸造はその伴造か。

神饒速日命が天降ったときの従者・坂戸天物部の後裔。(「録」未定雑姓)

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桜島 (さくらしま)

連姓。神護景雲三年、大和国添上郡の人・正八位下横度春山に桜島連の姓を賜ったという。

横広

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狭竹物部 (さたけのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の狭竹は、大和国城下郡の狭竹、もしくは筑前国鞍手郡粥田郷小竹の地名にちなんだものか。常陸国久慈郡佐竹郷もこの氏の展開による地名とする説がある。

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讃岐三野物部 (さぬきのみののもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の讃岐三野は、讃岐国三野郡の地名にもとづく。また、河内国若江郡三野、筑前国宗像郡蓑生郷も縁故の地か。

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佐比 (さひ)

連姓。鋤などの製作にあたる鍛冶的職業部の佐比部の伴造氏。三代実録貞観十三年閏八月に下佐比里・上佐比里のみえる山城国紀伊郡の佐比、もしくは河内国石川郡佐備郷が本拠と見られる。

宇摩志麻治命の八世孫・物部金弓連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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佐比佐 (さひさ)

連姓。佐比佐のうち一字は衍で佐比に同氏か。不詳。

宇摩志麻治命の十世孫・物部牧古連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

佐比

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佐夜 (さや)

畿内における本拠地は摂津国西成郡讃楊郷。ほか遠江国佐野(佐益・さや)郡にも縁故ありと見られる。

宇摩志麻治命の八世孫・物部印岐美連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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佐夜部 (さやべ)

首姓、直姓。刀剣を収める鞘の製造にあたる佐夜部の伴造氏で、本拠地は摂津国西成郡讃楊郷。
同地は孝徳紀大化二年正月に、難波狭屋部邑とあり、子代屯倉があったという。これには物部木蓮子大連の娘で安閑妃の宅媛の子代とする創建伝承(安閑紀元年十月十五日条)があったと見られ、佐夜部氏をその管掌者にあてる説がある。
氏人に承和六年十月に善友朝臣の姓を賜った佐夜部首穎主がいる。

物部韓国連に同じく、伊香我色雄命の後裔。(「録」摂津国神別)

宇摩志麻治命の八世孫・物部大小木連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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志貴 (しき)

もと県主で、天武十二年十月に連姓を賜った。。
神武紀に倭国磯城邑、崇神紀に磯城瑞垣宮などとみえる、大和国城上・城下郡を本拠地とする。神武紀は磯城県主を弟磯城(黒速)の後裔とするが、その系譜的位置づけは明らかではない。平安時代に入ってから冒名して物部氏同族となったものか。
県主時代の人物として、磯城県主葉江(安寧紀三年正月など)、磯城県主猪手(懿徳紀二年二月)、磯城県主太真稚彦(懿徳紀二年二月)、磯城県主大目(孝元即位前紀)がいて、川派媛、川津媛、飯日媛、泉媛、渟名城津媛、長媛、細媛といった欠史八代の天皇妃を多数数輩出したことで知られる。
連姓時代になってからの氏人には、志貴連広田(続紀天平七年九月)、志紀連大道(藤氏家伝下)らがいる。

神饒速日命の孫・日子湯支命の後裔。(「録」大和国神別)
饒速日命の七世孫・大売布の後裔。(「録」和泉国神別)

宇摩志麻治命の七世孫・建新川命の後裔。(「旧」天孫本紀)

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志紀 (しき)

県主。遠江国山名郡信芸郷、もしくは同国の敷地川流域付近に置かれた県を管掌した。
遠江国造、久努直、佐夜直らと祖を同じくする。

宇摩志麻治命の八世孫・物部印岐美連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

遠江久努佐夜

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城蘊 (しきのかづら)

連姓。大和国城上・城下郡を本拠地としたとみられる。

宇摩志麻治命の九世孫・物部椋垣連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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信太 (しだ)

連姓。ウヂ名は常陸国信太郡の地名による。「旧」天孫本紀に、宇摩志麻治命の十二世孫・物部小事連公の後裔とされる志陀連も同氏か。
続紀養老七年三月に、常陸国信太郡の人・物部国依が信太連の姓を賜ったことがみえる。常陸国風土記に物部河内・物部会津により信太郡の建郡申請がなされたことに象徴されるように、信太郡の郡領を輩出している。
陸奥国志太郡は常陸国信太郡からの移住者があって建てられた郡であるが、弘仁二年に勇敢を褒められて外正六位下から従五位下に叙せられた志太連宮持も物部氏族信太連の同族であろう。

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柴垣 (しばかき)

連姓。反正天皇の丹比柴籬宮が置かれたとされる河内国丹比郡柴垣の地名によるウヂ名か。

依羅連に同じく、饒速日命の十二世孫・懐大連の後裔。(「録」左京神別)

宇摩志麻治命の十二世孫・物部小事連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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嶋度 (しまと)

造姓。原氏の前身。「録」未定雑姓に、神饒速日命に供奉した天物部としてみえる。嶋戸物部の伴造、もしくは造姓を賜っていたものか。

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嶋戸物部 (しまとのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の嶋戸は、和名抄に嶋門駅がみえる筑前国遠賀郡の地名にちなむか。「録」未定雑姓に原造はもと嶋度造を称していたといい、これが嶋戸物部の伴造か。
延佳本によって鳥戸物部とした場合は山城国愛宕郡の鳥戸(止利倍)郷に縁故ありと考えられ、「旧」天孫本紀に物部三楯連公後裔を称したことがみえる鳥部連が伴造と見られるだろう。

鳥部

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白髪部 (しらかべ)

造姓。のち天武十三年九月以降には連姓も出る。ウヂ名の白髪部は清寧天皇(白髪武広国押稚日本根子天皇)の名代部の伴造だったことにもとづく。延暦四年には先帝光仁天皇の諱(白壁王)を避けて真髪部氏に改めた。
姓氏録山城国神別真髪部造条には大売大布乃命の後裔という。
氏人は不詳だが、「紀」白雉元年是歳条にみえる白髪部連鎧も同族の出か。

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須佐 (すさ)

連姓。ウヂ名の須佐は、紀伊国在田郡もしくは同国名草郡の須佐郷の地名にちなむか。

宇摩志麻治命の十一世孫・物部真椋連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

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住跡物部 (すみとのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の住跡は、物部守屋が擁立したという穴穂部皇子の別名・住迹皇子(欽明紀二年三月条)と同様に地名にもとづくか。比定地は不詳。
また住道の誤記と見る説があり、この場合は延喜式神名帳に須牟地曽祢神社、和名抄などに住道郷がみえる、摂津国住吉郡の地名による。

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珠流河 (するが)

「旧」国造本紀にみえる珠流河国造。駿河国駿河郡を本拠とした。
成務朝に大新川命の子・片堅石命が国造に任じられたことにはじまるという。天孫本紀には物部片堅石連公は十市根命の子といい、駿河国造の祖であるという。
延暦十年四月に駿河国造に任じられた駿河国駿河郡大領の金刺舎人広名は、この同族の人物と見られる。

金刺舎人

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芹田物部 (せりたのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
芹田は大和国城上郡・城下郡・平群郡の芹田、また筑前国鞍手郡の芹田の地名にもとづく。天孫本紀に欝色雄命が活馬長沙彦の妹・芹田真稚姫を妻としたことがみえるが、活馬を生駒と解した場合は平群郡の芹田が妥当か。
和名抄にみえる信濃国水内郡や加賀国石川郡の芹田も、この氏の展開によるものか。

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匝瑳 (そうさ)

連姓。のち承和二年三月以降は宿祢姓も出る。匝蹉、物部匝瑳ともいう。下総国匝瑳郡を本拠地とし、ウヂもこの地名によるが、宿祢姓を賜ったものは同時に京貫している。
物部匝瑳連足継、物部匝瑳連熊猪、匝瑳宿祢末守は鎮守将軍に任じられ、陸奥の経営に深く関与した氏だったことが知られる。
物部小事連の後裔を称し、続後紀承和二年三月条に「昔物部小事大連、錫節天朝、出征坂東、凱歌帰報、藉此功勳、令得於下総国始建匝瑳郡、仍以爲氏、是則熊猪等祖也」との伝承を載せる。

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曽祢 (そね)

連姓。延喜式神名帳の和泉国和泉郡に曽祢神社がみえ、和泉国内神名帳には同郡に曽祢国津社などがみえる。この地が本拠か。ほか、大和国宇陀郡曽爾に縁故とする説がある。
また、和名抄の摂津国武庫郡に曽祢郷がみえ、陽成朝に阿波国那賀郡の人・椋部夏影ら十九人が本姓の曽祢連に復したといい(三代実録元慶五年四月)、淳和朝に因幡国高草郡の人・曽祢連広刀自などが見え(類聚国史五十四天長六年六月)、阿波国や因幡国に住むものもあったことがわかる。
ほか氏人には、曽祢連韓犬(天武紀四年四月など)、曽祢連足人(続紀慶雲元年正月など)、曽祢連五十日虫(続紀天平九年二月)、曽祢連麿(播磨国風土記讃容郡中川里条)が知られる。

石上朝臣と同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)
神饒速日命の六世の後裔。(「録」右京神別上)
采女臣に同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」和泉国神別)

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