【物部八十氏】は行

《物部氏族事典目次にもどる》
 
 は 

(はた)

忌寸姓。ウヂ名は、機織に関する職掌によるか、渡来系氏族の秦氏族から冒名冒蔭の盛行する八世紀を経て物部氏族化したものか。

神饒速日命の後裔。(「録」山城国神別)

[←先頭へ]
羽束物部 (はつかしのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の羽束は、摂津国有馬郡羽束郷、または山城国乙訓郡羽束郷の地名にもとづく。

[←先頭へ]
長谷置始 (はつせのおきそめ)

連姓。長谷は大和国城上郡の地名で、置始は置染ともいう。染色関係に従事した部の伴造氏。

神饒速日命の七世孫・大新河命の後裔。(「録」右京神別上)

[←先頭へ]
長谷山 (はつせのやま)

直姓。ウヂ名の長谷は、万葉集に「隠口能 泊瀬山」(巻三428)などとみえ、延喜式神名帳の大和国城上郡に長谷山口坐神社がみえる地にちなむ。
もと山部の伴造氏、もしくは部民のうちカバネを賜ったもので、延暦四年五月に桓武天皇の諱(山部)を避けて長谷山部氏から長谷山氏へ改めたものか。

石上朝臣に同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色男命の後裔。(「録」大和国神別)

[←先頭へ]
長谷部 (はつせべ)

造姓。泊瀬朝倉宮に都したと伝える雄略天皇(大長谷若建命)の名代部の管掌にあたった氏。

神饒速日命の十二世孫・千速見命の後裔。(「録」大和国神別)

[←先頭へ]
(はら)

造姓。姓氏録摂津国諸蕃の原首氏と同じく、摂津国島上郡の原村を本拠としたものか。

神饒速日命が天降ったときの従者・天物部の嶋度造の後裔。(「録」未定雑姓)

[←先頭へ]
播磨物部 (はりまのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
播磨国を本拠としたもので、延喜式神名帳の播磨国明石郡物部神社はこの氏の奉斎によるか。

[←先頭へ]
春澄 (はるずみ)

宿祢姓から仁寿三年十月に朝臣姓を賜る。伊勢国員弁郡の猪名部造氏の後裔。三代実録貞観十二年二月の春澄善繩薨伝に、天長五年に善繩と兄弟姉妹五人が春澄宿祢の姓を賜ったことがみえる。
氏人には、善繩の子の具胆、魚水、高子(洽子)らがいる。三代実録貞観十五年九月に「掌侍従五位上春澄朝臣高子奉幣氏神。向伊勢国。」とみえ、延喜式神名帳の伊勢国員弁郡にみえる猪名部神社は、この氏が氏神としていたと見られる。

猪名部

[←先頭へ]
春道 (はるみち)

宿祢姓。続後紀承和元年十二月に、川上造吉備成が春道宿祢の姓を賜ったことがみえる。「伊香我色雄之後也」という。また三代実録貞観六年五月に、右京の人・物部門起が春道宿祢の姓を賜ったという。
吉備成は続日本後紀承和三年閏五月に河内国から右京七条三坊へ改貫したことがみえ、ほかに知乗船事として承和の遣唐使の一員となった春道宿祢永蔵が氏人として知られる。

川上

[←先頭へ]
春世 (はるよ)

宿祢姓。続日本後紀承和十二年二月に、和泉国日根郡の人・春世宿祢嶋公、春世宿祢嶋人、春世宿祢嶋長らが榎井朝臣の姓を賜り、右京二条一坊に改貫したことがみえる。
旧姓を榎井部といい、姓氏録和泉国神別は饒速日命四世孫の大矢口根大臣命の後裔という。

[←先頭へ]
(ひ)

連姓。天武十三年十二月以降は宿祢姓も出る。氷室を管理し、伴御の氷を掌った氷部の伴造氏。延喜主水式に、河内国讃良郡讃良氷室がみえる河内国、もしくは大和国山辺郡都介氷室がみえる大和国を本拠地としたものか。
氏人に、氷連老人(孝徳紀白雉四年五月など)、氷宿祢継麻呂(続後紀承和十二年正月など)らが知られる。

石上朝臣に同祖。神饒速日命の後裔。(「録」左京神別上)
石上朝臣に同祖。神饒速日命の十一世孫・伊己灯宿祢の後裔。(「録」河内国神別)

宇摩志麻治命の十一世孫・物部大前宿祢連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

[←先頭へ]
疋田物部 (ひきたのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の疋田は、延喜式神名帳の大和国城上郡にみえる曳田神社の鎮座地、もしくは大和国添下郡疋田郷、葛下郡疋田郷の地名にちなむ。また、筑前国鞍手郡新分郷、讃岐国大内郡疋田郷もこの氏に縁故があるか。

足田物部と読む場合は、延喜式諸陵寮に片岡葦田墓がみえる大和国葛下郡の葦田に関係するか。

[←先頭へ]
比尼蘊 (ひねのかづら)

連姓。ウヂ名の比尼は、和泉国日根郡の地名にもとづく。蘊は不詳だが、真折鬘など植物製の飾りを製作して祭祀に供奉したものか。

宇摩志麻治命の九世孫・物部椋垣連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

[←先頭へ]
尋来津 (ひろきつ)

首姓。雄略紀七年是歳条にみえる「倭国吾砺広津(比廬岐頭)邑」があった河内国渋川郡跡部郷を本拠地とする。
延喜本系中臣氏系図には、物部尋来津首橘の娘・宇那古娘が常磐の妻になり、可多能祜(鎌足の祖父)を生んだことがみえる。

神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」未定雑姓)

[←先頭へ]
尋津物部 (ひろきつのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の尋津は、雄略紀七年是歳条にみえる「倭国吾砺広津(比廬岐頭)邑」があった河内国渋川郡跡部郷の地名にもとづく。尋来津首はこの伴造か。

尋来津

[←先頭へ]
広澄 (ひろずみ)

宿祢姓。後紀弘仁四年正月に、大和国の人・物部福麻呂が広澄宿祢の姓を賜ったことがみえる。

[←先頭へ]
藤原恒見 (ふじはらのつねみ)

君姓。ウヂ名の藤原は大和国高市郡の地名「藤井が原」「藤原」にちなむか。恒見は不詳。豊前国企救郡に恒見浦の地名がある。

宇摩志麻治命の九世孫・物部竹古連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

[←先頭へ]
二田 (ふたた)

造姓。物部二田ともいう。ウヂ名の二田は、和泉国内神名帳に二田国津社がみえる和泉国和泉郡上泉郷二田、筑前国鞍手郡二田郷、筑後国竹野郡二田郷、同国浮羽郡二田郷のいずれかにちなむ。
「旧」天神本紀に五部造のひとつとして饒速日命の天降りに供奉したことがみえる。二田物部の伴造氏か。
氏人には、「紀」大化五年三月条に蘇我倉山田麻呂の首を斬ったことみえる物部二田造塩がいる。

[←先頭へ]
二田物部 (ふたたのもののべ)

無姓。ウヂ名の二田は、和泉国和泉郡上泉郷の地名二田、もしくは筑前国鞍手郡二田郷の地名にもとづく。
「旧」天神本紀には、下記の姓氏録未定雑姓と同様に、饒速日命に供奉して天降ったという伝承がみえる。
二田造氏はこの氏の伴造だったものか。

神饒速日命が天降ったときの従者・二田天物部の後裔。(「録」未定雑姓)

[←先頭へ]
布都留物部 (ふつるのもののべ)

無姓。「旧」天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことがみえる。
ウヂ名の布都留については不詳。美濃国内神名帳の石津郡に物部補剣(ふつるぎ)明神があるように、布都神の奉斎に関与したものか。

[←先頭へ]
文島 (ふみしま)

連姓。宇摩志麻治命の十一世孫・物部真椋連公の後裔。(「旧」天孫本紀)

[←先頭へ]
穂積 (ほづみ)

臣姓、天武十三年十一月以降は朝臣姓も出る。
万葉集(巻十三)の、
「帛叫 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念」
の歌などで知られる大和国山辺郡穂積郷を本拠地とする。また同国十市郡保津に縁故ありとする説がある。
古事記は宇摩志麻遅命の後裔として物部連・采女臣と並んで穂積臣を挙げ、物部氏族の代表的なものとして知られていたことがわかる。崇神紀は大水口宿祢を「穂積臣遠祖」とする。
ほか和名抄には、摂津国島下郡、尾張国丹羽郡、美濃国本巣郡、播磨国賀茂郡に穂積郷が見え、また延喜式神名帳の伊勢国朝明郡には穂積神社が見える。播磨国風土記の賀毛郡穂積里の伝承(今号穂積者、穂積臣等族居於此村。故号穂積。)に象徴されるように、地方に展開する穂積氏に縁故のものであろう。
氏人には、継体朝の穂積臣押山、欽明朝の穂積磐弓臣、孝徳朝の穂積咋臣、壬申の乱に参戦した穂積臣百足・五百枝、天武朝の穂積朝臣虫麻呂、持統朝の穂積朝臣山守、文武~聖武朝の穂積朝臣老などがいる。
日本武尊の妃として穂積氏忍山宿祢の女・弟橘媛の伝承があることでも知られる。

石上朝臣に同祖。神饒速日命の五世孫、伊香色雄命の後裔。
伊香賀色雄の男子・大水口宿祢の後裔。
(「録」左京神別上)

宇摩志麻治命の四世孫・大水口宿祢の後裔。(「旧」天孫本紀)

[←先頭へ]
《物部氏族事典目次にもどる》