【所縁の史跡】可児の古墳3/3(岐阜県)

 

高倉山古墳 [地図]

岐阜県可児郡御嵩町伏見の伏見高倉山古墳です。国道21号線沿いの高台にあります。
美濃最古の古墳のひとつとして知られる前方後方墳です。前方部がかなり小さく低く、これぞ前期古墳、といった特徴が見られます。

墳丘全長41メートル、後方部辺24.5メートル、前方部幅13メートル。

↓「金山城、武田久隆公」?
墳丘上にありました。戦国時代に森氏の居城になった金山城跡からは1.8kmほどの距離です。

 


東寺山古墳 [地図]

可児郡御嵩町伏見の東寺山2号墳です。伏見寺山西塚古墳ともいうようです。
高倉山古墳、東寺山1号墳とあわせて伏見古墳群を成す前方後方墳です。

後方部の上は平らに均されていて、稲荷祠があります。

墳丘全長58メートル、後方部辺32メートル、復元推定される前方部幅は18メートルになります。
現状では確認できませんが、もとは周濠もあったそうです。

↓南側からくびれ部付近です。

↓東寺山1号墳です。2号墳の東隣りにあります。
前方部は消失、後方部もかなり削平を受けていて、古墳だと気づかずに通り過ぎそうになりました…

全長およそ41メートルの前方後方墳だったと見られています。

 

宝塚古墳 [地図]

可児郡御嵩町中の宝塚古墳です。

直径43メートル。円墳としては当地域最大の規模です。
二段に築成されてる様子が見て取れます。

墳頂も平らで広々です。
4世紀後半から5世紀初頭ころの築造と見られています。


中切古墳 [地図]

岐阜県可児御嵩町中切の中切古墳です。
美濃最東端の前方後円墳として知られています。

墳丘全長42メートル、後円部径28.5メートル、前方部幅28メートル。
南側に片袖式横穴式石室が開口しています。

石室の全長は10.6メートル、玄室奥行7.3メートル、幅2.15メートル。

6世紀前半ころの築造です。

石室の奥壁は崩れています。

可児郡、土岐郡、恵奈郡の一帯をその領域としたと推定できる「三野後国」。
長塚古墳の後に途絶した当地域での前方後円墳の造営は、この中切古墳で再開します。

中切古墳→狐塚古墳(大正時代に消滅した前方後円墳)→次郎兵衛塚古墳へと有力な首長墳が続くことから、可児市・御嵩町が三野後国の中心地と見ることができそうです。
被葬者は三野後国造にあてられるのではないでしょうか。

↓前方部上から後円部方向を見た様子です。

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