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【所縁の史跡】物部神社(兵庫県神戸市)

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  ■ 可美真手命神社   [地図] 兵庫県神戸市西区押部谷町細田に鎮座する、可美真手命神社です。 『延喜式』神名帳の播磨国明石郡に見える、「物部神社」の論社といわれます。 元住吉山の雑木林の中の小さなお社。祭神は可美真手命です。 可美真手命神社のお祀りは、県道83号線と明石川を挟んだところにある、住吉神社によって行われています。 この住吉神社は社伝には、摂津の住吉大社から、天平勝宝六(754)年に、津守氏によって勧請したのが創まりといいます。 可美真手命神社のある元住吉山に、かつては住吉神社があったといい、永禄二(1559)年に楯神社・鉾神社とともに現在地へ移遷したと伝えます。 住吉神社本殿の右側にある、楯神社です。祭神は豊磐間戸命。 本殿左側の鉾神社です。 祭神は櫛磐間戸命。豊磐間戸命とともに、『古語拾遺』にみえる殿門を守る神です。 明石川の川辺から雄岡山をのぞみます。左が住吉神社の杜です。 当地「押部谷」は、忍海部に由来する地名です。明石川の上流には、弘計億計伝説に登場する忍海部造細目の邸宅伝承地なるものもあります。生澤英太郎氏は「古代播磨における物部氏と鍛冶・製鉄技術者について」の中で、この地域への物部氏の展開や、鍛冶製鉄技術者としての忍海漢人との関係を述べています。 ■ 惣社   [地図] 兵庫県神戸市西区伊川谷町上脇に鎮座する、惣社(惣社神社)です。 こちらも、播磨国明石郡の式内物部神社の論社です。 阪神淡路大震災により被害を受けた社殿の、再建改修と境内の整備工事は、八年の歳月を要し、平成十六年に完成しました。 祭神は、大己貴尊、素盞嗚尊、経津主尊、武甕槌尊です。 延久三(1071)年に再建したと伝えます。 播磨国の国府は飾磨郡にあり、一般的な意味での惣社(総社)には、同郡の射楯兵主神社をあてるのが普通です。 当社の社名については、ある時期に「物部」を「物心」と記し、誤って「惣」としたという説がありますが、はっきりしません。 本殿の両側に境内社が並んでいます。 左から、山神社、歳徳社、稲荷社… 同じく左から、稲荷社、八幡社、荒神社、猿田彦社です。 この一帯は、明石川流域では最も古墳が多かった地域です。 神社の東側に隣接する丘には宮ノ谷古墳群が、西側には伊川谷中学校を挟

【所縁の史跡】物部神社と味美古墳群(愛知県)

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  ■ 白山神社  [地図] 愛知県春日井市二子町2丁目の白山神社です。 名鉄小牧線の味鋺駅から北に400メートル程のところに鎮座します。 『延喜式』神名帳の尾張国春部郡に、「物部神社」がみえ、ここに合祀されているとされます。 白山神社は、万治2年にもともとの鎮座地だった名古屋市楠町の白山藪(味鋺神社の近隣)から当地に遷座し、二子山古墳にあった物部神社を合祀して建立されたといいます。 祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命、可美真手命、菊理比売命、天児屋根命です。 このうち、物部氏の祖・可美真手命が現在の物部神社の祭神です。 尾張国内神名帳にも、「従三位 物部天神」が見えます。 社殿は、5世紀後半頃の築造と見られる白山神社古墳の墳丘上に建ちます。 墳丘全長86m、前方部幅48m、後円部径49mの前方後円墳です。 境内社には、津島社や秋葉社などがあります。 本宮内の末社には、南社に神明社と御鍬社、北社に国府宮社と熱田社、金刀比羅社があるそうです。 ■ 味美二子山古墳  [地図] 味美二子山古墳です。 全長95m、後円部径48m。前方部を北西に向ける前方後円墳で、築造は五世紀末~六世紀初頭ころと見られています。 築造時期・墳丘形状が名古屋市熱田区の断夫山古墳に近いことが指摘されています。 二子山古墳は、合祀される前の物部神社の旧社地といわれています。 御旅所古墳とともに、公園内に整備されています。 かつて周辺には多数の小古墳が点在していましたが、市街地化で姿を消しました。 ■ 御旅所古墳  [地図] 御旅所古墳です。 五世紀末ころに築かれたらしい円墳です。 直径は35mあります。 スロープ状のゆるい階段を登って、墳丘上に上がることができます。  白山神社の御旅所、相宮と呼ばれる祠があります。   ■ 春日山古墳  [地図] 中新町2丁目の春日山古墳です。TKJ城北線の味美駅前に、春日山公園として残っています。 白山神社や二子山公園とは、県道102号線をはさんで西側の位置にあります。 全長74m、後円部径38m、前方部幅50mの前方後円墳です。 築造は6世紀中葉と見られています。 その名のとおり、かつては墳丘上に春日神社が鎮座していましたが、大正七年

【所縁の史跡】物部神社(三重県松阪市)

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  ■ 伊勢寺神社  [地図] 三重県松阪市伊勢寺町に鎮座する、伊勢寺神社です。 相田の高福神社が、近隣の二十一の神社を合祀してできた神社です。 合祀されたうちの一社が、『延喜式』神名帳の伊勢国飯高郡に見える「物部神社」であるといわれています。 式内社では、ほかに、「大神神社」「堀坂神社」も祀るといいます。 物部神社の祭神は、天火明命。 『旧事本紀』が成立して以降、物部氏祖神の饒速日命と同一視されることの多い神です。 『特選神名牒』は明証なしとしながらも、近接する地名「荒井」について、「天孫本紀に物部建彦連公 伊勢荒比田連等之祖とあるに伊勢寺村社の坤方に荒井と号する田あり、荒比田の訛ならむ」という説を載せます。 この神社の周囲、半径2キロメートルほどの範囲内には、瑞巌寺古墳群、上文殊・下文殊古墳群、平林古墳群、五輪山古墳群、八重田古墳群などの群集墳が多くあり、早くから開けた地域だったことがわかります。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 物部神社

【所縁の史跡】物部神社(三重県津市)

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  ■ 物部神社  [地図] 三重県津市新家町に鎮座する、物部神社です。 『延喜式』神名帳の伊勢国壱志郡に、「物部神社」が見えます。 雲出川の流域に位置します。 雲出川は雄略紀にある「廬城河」のことと見られ、廬城部連武彦 (いおきべのむらじたけひこ) ゆかりの白山町の「家城 (いえき) 」は、この上流にあたります。 主祭神は、宇麻志摩遅命。 このほか、建速須佐之男命、五男三女神、応神天皇、弥都波能売神、大己貴命、崇徳天皇、菅原神、仁徳天皇を祀ることが拝殿に表示されていました。 鎮座地名「新家」は、物部氏族・新家連に関係するという説が有力です。 新家氏は、『旧事本紀』天孫本紀によると物部目大連の弟・竺志連を祖とし、畿内における本拠地は、『和名抄』に見える河内国志紀郡「新家郷」にあったと考えられる氏です。 宣化紀には、新家連が物部麁鹿火大連の指揮のもと、新家屯倉の穀を筑紫へ運んだ記事が見えます。 この屯倉の管理を職掌としていたものでしょうか。 『皇太神宮儀式帳』や『太神宮諸雑事記』からは、渡会郡の郡領を出したこともあったことがわかります。 鎌田純一氏は、『先代旧事本紀の研究』の中で、 「この地は伊勢平野の中にあり、遠望のきく野中の小丘形の森林であり、また古墳と言われているがその点なお未解決である」 としています。 現在は、古墳らしい痕跡は残っていないようです。 ↓「山辺の仮宮」の碑。 天平十二年、聖武天皇の伊勢行幸のときの頓宮がここにあったと伝えます。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 物部神社