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【所縁の史跡】 忍山神社(三重県)

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  ■ 忍山神社  [地図] 三重県亀山市野村に鎮座する、忍山神社です。 『延喜式』神名帳の伊勢国鈴鹿郡に、「忍山神社」が見えます。 主祭神は猿田比古命。 ほか、饒速日命、大水口宿禰命、忍山宿禰命、伊香我色雄命をはじめ、旧村内合祀の祭神を併せて二十四柱を祀ります。 数度にわたって兵火に遭い、中世荒廃しましたが、近世には復興、享保十八(1733)年に亀山城主板倉勝澄によって社殿の修復がなされたと伝えます。 境内の案内板には、「弟橘媛命生誕地」ともありました。 日本武尊の妃・弟橘媛の父は、穂積氏の祖・忍山宿禰ですから、社名との関係からそのような話が生まれたのかもしれません。 当地は、伊勢大神の遷幸伝承地のひとつです。 『倭姫命世記』には「味酒鈴鹿国奈具波志忍山」とあり、『皇大神宮儀式帳』にある「鈴鹿小山宮」の旧跡とする説もあるようです。 ■ 布気皇館太神社  [地図] 三重県亀山市布気町に鎮座する、布気皇館太神社(ふけこうたつたいじんじゃ)です。 『延喜式』神名帳の鈴鹿郡に、「布気神社」が見えます。 祭神は、天照大御神、豊受大神、伊吹戸主神に、明治四十年に合祀された安閑天皇など計二十四柱です。 この神社も「忍山神社」の論社です。 一帯はかつての鈴鹿郡神戸郷で、川俣県造の祖・大比古の献上とする伝承を、当地の伊勢神宮の神戸は持ちます。 当社には、皇館・神館・神戸神社・神明社など神宮の神領と関係するらしい通称がありました。 神戸の税の徴収や、その他の事務を執るセンターが置かれたことを思わせます。 「布気」の社名・地名について志賀剛氏は、フク(吹く)→フキ→フケの転音を想定し、祭神に伊吹戸主神があることや当地の地形から、「風」の意味と解釈します。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 忍山神社

【所縁の史跡】穂積神社(三重県)

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  ■ 穂積神社  [地図] 三重県四日市市広永町に鎮座する穂積神社です。 『延喜式』神名帳の朝明郡に、「穂積神社」があります。 主祭神は、饒速日命。 社名の「穂積」と物部氏族・穂積臣との関係が考えられたようです。 配祀神に、伊迦賀色許男命、菅原道真公を祀り、天児屋根命、市杵嶋姫命、大山祇神を合祀しています。 江戸時代には「団子の宮」と通称されていたそうです。 ↓境内には「力石」がありました。中央のは146キロもの重さがあるとか。 昭和初期まで、村民の若者たちが力比べに使っていたもの。 目の前が伊勢湾岸自動車道・みえ朝日インターチェンジです。 ■ 福王神社  [地図] 三重県三重郡菰野町田口、福王山の中腹に鎮座する福王神社です。 ここにも、式内「穂積神社」のもう一つの論社である、大正六年に合祀された穂積神社があります。 穂積神社の祭神は、天火明饒速日命と天照大御神。 田口御厨の神明社ともされ、近世には穂積姓鈴木氏により奉祀されていました。 長い階段を汗しながら、ひたすら登り続けなければ社殿のある場所へはたどり着けません。 ↓登りきった正面にあるのが、この毘沙門堂です。 ↓毘沙門堂の右隣りにある太子堂です。 境内案内板によると、「大和の信貴山と並ぶ、太子崇敬の霊場」とされていました。 福王神社の創祀は、聖徳太子が毘沙門天像を当地に安置したことによるといいます。 全山、かなり雑多な(盛りだくさんな)印象を受けました。 福王の社名は、毘沙門天を七福神の王とすることによるそうです。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 穂積神社

【所縁の史跡】猪名部神社(三重県)

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  ■ 猪名部神社  [地図] 三重県員弁郡東員町北大社に鎮座する、猪名部神社です。 『延喜式』神名帳の伊勢国員弁郡に、「猪名部神社」が見えます。 「員弁(いなべ)」郡は、古代の猪名部が設置されたことにちなむ地名です。 当地の有力豪族と見られるのが、猪名部造です。 『新撰姓氏録』左京神別に所載の猪名部造は、伊香我色男命の後裔であるといい、これを根拠に当地の猪名部氏も物部氏族であるとする見方が有力です。 祭神は、伊香我色男命。 天照大御神、建速素盞嗚命が配祀されています。 社殿は前方後円墳の上に建つともいわれます。 本社の隣りに並ぶ瑞穂神社。 春澄善縄卿、建御賀豆知神、天児屋根神、速秋津日子神、速秋津比売神、伊波比主神、比売神、大国主神、事代主神、大山咋神、大山津見神を祀るようです。 春澄朝臣善縄は、藤原良房政権のブレーンとして、また、『続日本後紀』を編纂した平安前期を代表する歴史学者として、その名を知られる人物です。 北大社地区は集落のほとんどが丘の上に乗っていますが、この一帯には古墳が群を成していたそうです。 現存は境内に残る円墳のみで、石垣により六角形に成形されています。 「高塚大神」の碑が建てられています。 四月の第一土曜・日曜に行われる大社祭は、上げ馬神事や流鏑馬神事で有名です。 ↓薬師堂(写真左)と閻魔堂(右)などもありました。 ■ 猪名部神社  [地図] 三重県いなべ市藤原町長尾に鎮座する、猪名部神社です。 こちらも、式内「猪名部神社」の論社です。 主祭神は伊香我色男命。春澄善縄公が配祀されます。 『布留屋草紙』は饒速日命を、『伊勢式内神躰考』は天津赤星命を祭神にあてています。 近くの東泉寺一帯が伽藍遺跡「長尾廃寺」で、猪名部氏の関与が考えられています。延暦年間の創建という伝説を持つ寺院だそうです。 春澄善縄はもと伊勢国員弁郡の人で、本姓を猪名部造といい、天長五年に春澄宿禰の氏姓を賜ったといいます。 『文徳実録』仁寿三年十月条には、朝臣の姓を賜ったことが見えます。 貞観十二年二月十九日に薨じたときには、参議従三位でした。 『三代実録』の貞観八年閏三月条には、伊勢国の正五位下員弁神が従四位下に叙せられたことが見え、十五年九月条には、掌

【所縁の史跡】物部神社(三重県松阪市)

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  ■ 伊勢寺神社  [地図] 三重県松阪市伊勢寺町に鎮座する、伊勢寺神社です。 相田の高福神社が、近隣の二十一の神社を合祀してできた神社です。 合祀されたうちの一社が、『延喜式』神名帳の伊勢国飯高郡に見える「物部神社」であるといわれています。 式内社では、ほかに、「大神神社」「堀坂神社」も祀るといいます。 物部神社の祭神は、天火明命。 『旧事本紀』が成立して以降、物部氏祖神の饒速日命と同一視されることの多い神です。 『特選神名牒』は明証なしとしながらも、近接する地名「荒井」について、「天孫本紀に物部建彦連公 伊勢荒比田連等之祖とあるに伊勢寺村社の坤方に荒井と号する田あり、荒比田の訛ならむ」という説を載せます。 この神社の周囲、半径2キロメートルほどの範囲内には、瑞巌寺古墳群、上文殊・下文殊古墳群、平林古墳群、五輪山古墳群、八重田古墳群などの群集墳が多くあり、早くから開けた地域だったことがわかります。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 物部神社