【先代旧事本紀】天神本紀
■ 天神本紀と饒速日尊について
巻第三「天神本紀」は、物部氏祖神の饒速日尊の天降り記事の載ることで著名です。『旧事本紀』全体の中でも、よく読まれている箇所なのではないでしょうか。
ここでの饒速日尊は、天押穂耳尊の子で、瓊々杵尊の兄という位置づけで登場します。
『古事記』は天照大御神が天忍穂耳命に葦原中国の統治を命じるものの、準備する間に忍穂耳命には子の迩迩芸命が生まれ、天降りの主体が迩迩芸命へ変更になったとします。『旧事本紀』では、これがそのまま迩迩芸命から饒速日尊へ置き換えられ、瓊々杵尊は饒速日尊の死後に天降るという筋書きへ改変されます。
饒速日命の系譜的位置は、『記』『紀』では明らかにされていません。
瓊々杵尊の兄という位置づけは、天火明命と同一神とすることで実現されたものです。天火明命は、『記』および、『紀』の第九段一書第六・一書第八に見える瓊々杵尊の兄で、尾張氏の祖とされる神です。
同一神化については、六世紀(継体欽明朝)の物部氏と尾張氏の政治的連携を背景として成立したものとする、吉井巌氏の説があります。
しかし、『旧事本紀』は『記』『紀』に見える天押穂耳尊の妃(瓊々杵尊の母)、「万幡豊秋津師比売命」「万幡豊秋津姫命」「万幡姫」「栲幡千千姫」「栲幡千千姫万幡姫命」などを一元化するために、「万幡豊秋津師姫栲幡千々姫命」という名称を新たに作り出しています。これは、尾張氏の祖「天照国照彦天火明命」と、物部氏の祖「櫛玉饒速日命」とを合体させ「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」としたのと同様の手法であり、同時期に同一人物によって行われた操作と見るのが妥当です。
『旧事本紀』には、『日本書紀』を読むだけでは不詳・不明になる点を、明確化しようとしている箇所が散見します。
饒速日命の明確化もその一例といえますが、物部氏族に出自を持つと推定される編纂者にとって、饒速日命に天照大神の孫という位置を与え、自氏の尊貴性を主張することは、『旧事本紀』の編纂の重要な目的のひとつだったと考えられます。
『記』『紀』で系譜的位置の不明瞭な氏の始祖は、物部氏と饒速日命に限りません。
たとえば、大伴氏の祖・天忍日命でもこれは同様ですが、『新撰姓氏録』では高皇産霊尊の系統として明確化しています。また、磯城県主の祖・弟磯城(黒速)についても『記』『紀』は語りませんが、『姓氏録』の磯城県主は物部氏の同族という位置を得ています。
饒速日命の天火明命との同一神化も、このような動きを受けたものと見られますが、『姓氏録』は両神を、それぞれ神別の天神部と天孫部に分類し、別神であるとしました。
「饒速日=天火明」説は、『旧事本紀』や『姓氏録』が編まれた平安時代前期の当時、公的な承認の得られない、あまり有力ではない言説だったといえます。