【所縁の史跡】野洲川流域の神々2/2(滋賀県)

 

勝部神社 [地図]

滋賀県守山市勝部に鎮座する、勝部神社です。
JR守山駅の西四〇〇メートルほどのところに位置します。

『三代実録』元慶六年十月九日条に、近江国の正六位上物部布津神が従五位下へ昇叙したことがみえます。
勝部神社の祭神が、これにあてられます。

物部神社、勝部大明神とも称されていましたが、明治になってから現在の社号が正式名称に定められたといいます。

社伝には、大化五年に当地を領していた物部宿祢広国が、その祖神である物部経津主神を祀ったのが創建であるといいます。

道鏡の腹心として法参議に昇り、 物部浄之(物部浄志)朝臣の氏姓を賜った僧基真もこの地域の出身の可能性が高そうです。

一月八日に行われる、火まつりでも有名です。

当地一帯が、『和名抄』の近江国栗本郡(栗太郡)の物部郷にあてられます。

神社から一キロメートルほど西へ行ったところで、物部小学校を見かけました。


大宝神社 [地図]

滋賀県栗東市綣に鎮座する、大宝神社です。

旧称を大宝天王宮といい、祭神は牛頭天王=素盞鳴尊です。

社伝によると、大宝元年に疫病が流行した際、小平井村信濃堂に降臨し、東へ移って既にあった追来神社の境内に鎮座。
これにより疫病が鎮まったといいます。

疫病を祓う神として崇敬されてきました。

鎮座地名の「綣(へそ)」を、物部氏の祖の大綜杵命(おおへそきのみこと)に縁故ありとする見方があります。

大綜杵命は、『日本書紀』に崇神天皇の母・伊香色謎の父で、物部氏の祖としてみえる人物です。
『姓氏録』の左京神別や右京神別にもその名がみえ、大宅首の始祖・建新川命の祖父であるといいます。
『旧事本紀』天孫本紀には、宇摩志麻治命の五世孫で、開化朝の大臣。高屋阿波良姫との間に伊香色謎命や伊香色雄命を儲けたとされます。

境内社の追来神社は、『延喜式』神名帳の近江国栗太郡にみえる、「意布伎神社」の論社になっています。

社殿は鎌倉時代に造営されたもので、国指定の重要文化財になっています。

祭神の多々美彦命は、雨を呼ぶ水の神であり、地主神でもあるとされています。
湖北の伊吹山に坐す神で、強い風をおこす鍛治の神ともいわれます。


水口神社 [地図]

滋賀県甲賀市水口町宮ノ前に鎮座する水口神社です。

『延喜式』神名帳の近江国甲賀郡に、「水口神社」がみえます。

『三代実録』によると、貞観元年正月二十七日に、近江国の従五位下水口神が従五位上へ叙されています。

祭神は、大水口宿祢命。
『日本書紀』崇神七年八月七日条に、穂積臣の祖としてその名がみえます。
国内に疫病が流行し多くの犠牲者が出たとき、大水口宿祢は、倭迹速神浅茅原目妙姫や伊勢麻積君と同じ夢をみて、一人の貴人から大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市を倭大国魂神を祀る祭主とすれば天下泰平となるだろうといわれ、それを天皇に奏上したところ、大変喜ばれたといいます。

また、垂仁二十五年三月十日条にも、これの異伝が記されています。
倭大国魂神が大水口宿祢にのりうつって神託を述べたというものです。

『旧事本紀』天孫本紀に、大水口宿祢命は出石心大臣命と新川小楯姫との間に生まれた子で、穂積臣や釆女臣の祖であるといいます。
同文献には、祖父彦湯支命の妻妾に淡海川枯姫がみえます。

甲賀郡の式内社には川枯神社があるため、祖母の縁によって当地に居住し、開拓の祖となったと理解されているようです。

四月二十日の例祭に行われる曳山巡行が有名で、曳山と囃子は県の無形文化財になっています。


川田神社 [地図]

滋賀県甲賀市水口町北内貴に鎮座する、川田神社です。

『延喜式』神名帳の近江国甲賀郡に「川田神社」がみえ、その論社になっています。
『延喜式』では、臨時祭名神祭条にもその名がみえます。

『三代実録』貞観元年正月二十七日条には、近江国の従五位下川田神が従五位上へ叙されたことがみえます。

社伝には、垂仁朝の創建を称しているようです。

祭神は、天湯川桁命・天川田奈命。
『姓氏録』右京神別、山城国神別、河内国神別、和泉国神別に、角凝魂命の三世孫・天湯河桁命が鳥取氏の祖とされます。

垂仁紀二十三年九月二日条の鳥取部・鳥養部・誉津部の設置伝承には、天湯河板挙とみえます。
言葉が不自由な誉津別皇子を癒すため、白鳥を追い求め、出雲でそれを捕らえた功を賞せられたという物語です。

鳥取造は鳥取部(捕鳥部)を管掌する伴造氏であり、天湯川桁命は、彼らの伝承してきた祖と見られます。
物部守屋の近侍として活躍した、捕鳥部万も和泉国神別に「天湯河桁命之後也」と記される集団の出と考えられます。

また、『旧事本紀』天孫本紀に物部三楯連公の後裔に鳥部連がみえ、職掌を通じて深いつながりがあったようです。
物部大連家滅亡以前の捕鳥部は、物部氏によって統括される部分があったのかもしれません。


八坂神社 [地図]

滋賀県甲賀市水口町嶬峨に鎮座する、八坂神社です。
嵯峨大宮の通称を持ちます。

天平二十一年に、左大臣橘諸兄が千光寺伽藍創立の際、仏法擁護のため社殿を造営し素盞鳴命を主神としたと伝えます。

祭神は、素盞鳴命、聖武天皇、神武天皇です。

本殿は、一間社流造で檜皮葺。
県の重要文化財です。

境内社に、川枯社があります。
『延喜式』神名帳の近江国甲賀郡に、「川枯神社」がみえます。

『三代実録』によると、貞観三年四月八日に近江国の従五位下川枯神は正五位下に叙されたといいます。

社号から、川枯氏によって奉斎されたという見方が可能になります。
『姓氏禄』和泉神別に川枯首がみえ、「阿目加伎表命の四世孫、阿目夷沙比止命の後なり」とあります。

『旧事本紀』天孫本紀に、淡海川枯姫がみえます。
物部連の祖・宇摩志麻治命の子である彦湯支命の妻妾のうちのひとりです。
一男を生んだとされます。
「淡海」とあえて称されていることから、当地に関わりのある伝承なのは間違いないでしょう。

『因幡国伊福部臣古志』では、「近江国の河枯の伊波比長彦の女、白媛」が内色雄命の母で出雲色雄命の妻だったといいます。

 

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