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【所縁の史跡】八所神社(愛知県)

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  ■ 八所神社  [地図] 愛知県西春日井郡豊山町豊場木戸に鎮座する、八所神社です。 『延喜式』神名帳の尾張国春部郡にみえる「物部神社」、尾張国内神名帳の春日部郡にみえる「従三位物部天神」を祀る神社と称します。春日井市二子町の白山神社に合祀されたという物部神社と並び、有力な論社といえます。 祭神は宇麻志麻治命。 境内の由緒書きによると、この地域はおよそ千五百年前頃から物部氏一族により開拓されたので、物部氏の氏神である大和の石上神宮から分神を勧請し、斎き祀ったことに始まるといいます。 また、『愛知県神社名鑑』によると、創建は和銅二(709)年で、熱田八剣宮を勧請し祀ったと伝えられるとのこと。 かつては物部神社、物部八所大明神とも呼ばれましたが、明治初年ころに八所神社が正式な社号として定められました。 社家は代々、松浦家が務めてきました。 境内末社には、神明社(天照皇大神)、源大夫社(乎止与命)、八幡社(誉田別命)、須佐之男社(須佐之男命)、愛宕社(火具都知神)、御田社(御食津神)、稲荷社(倉稲魂命)、多度社(一目連命)、白山社(菊理姫命)、富士社(木花開哉姫命)が並びます。 ほか、近隣諸集落で奉祀されていた小社(熊野社・諏訪社など)を大正年間に合祀したという、寄せ宮もあります。 狛犬には町の文化財に指定されているものもあります。普段は一般には公開されていないようです。 室町時代の特徴を示すといいます。 『尾張名所図会』より「常安寺・物部神社」。 右下の部分が物部神社=八所神社です。社殿配置が現在とほとんど変わっていないことがわかります。 左上の歌は「国のうちの郡の数も宮の名も やつの所と神やさだめし(正忠)」とあって、尾張国の八郡(智多・愛智・春部・丹羽・葉栗・中島・海部・山田)と八所の社名をかけたものでしょうか。 テキストには、神木に松の古木があったが、今は朽ち倒れ、そのまま境内に残されていたことなどが書かれています。 ■ 青塚  [地図] 愛知県西春日井郡豊山町豊場冨士に所在する青塚です。 八所神社から南南東に約1kmの位置にあります。 冨士神社が鎮座しています。 青塚の名称は、大塚の訛ったもののようです。 八所神社の祭神の墳墓と伝えられる古墳です。 地籍図から

【所縁の史跡】小坂駒形古墳(静岡県)

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■ 小坂駒形古墳  [地図] 静岡県伊豆の国市小坂にある、駒形古墳です。 狩野川の左岸、葛城山の北東に位置します。 墳丘が残っているのはこの古墳だけですが、他に5基が確認され、未確認や消滅したものも合わせて、群を形成していたようです。 現状では直径27m程度の円墳のように見えますが、明治5年に前方部を切り崩された前方後円墳ともいわれます。 そのとき人物埴輪が出土したといい、前方後円墳とすれば伊豆で唯一の例になります。 築造時期は、古墳時代後期と推定されるようです。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 小坂駒形古墳

【所縁の史跡】難波奥谷古墳(愛媛県)

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  ■ 難波奥谷古墳   [地図] 愛媛県松山市(旧北条市)庄の、難波奥の谷古墳です。国津比古命神社からは、北東に1kmほどの場所にあります。南東に開口する横穴式石室を主体部として持ちます。 現地案内板によると、石室の全長は12m、玄室の長さ6m、玄室の幅2.1m。 奥壁や天井に大型の石材が使われていました。墳形は不明ですが、円墳と推測されているようです。     ■ 鎌大師古墳   [地図] 松山市下難波甲の鎌大師古墳です。 大師堂の敷地内にあり、上写真のようにブロック塀ギリギリに石室が開口します。 十八人塚とも呼ばれるようで、南北朝時代に恵良山に拠った赤橋重時主従が、自刃して葬られたという伝説を持つらしいです。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 難波奥谷古墳

【所縁の史跡】 北江間横穴墓群(静岡県)

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■ 北江間横穴墓群  大師山支群  [地図] 静岡県伊豆の国市北江間にある北江間横穴墓群。 その大師山支群です。 1号墓には、くり抜き式の家型石棺があります。 かなり大きな横穴です。 石棺の内部。 ↓2号墓には、奥壁と平行するように、作りつけの石棺があります。 身は作りつけですが、蓋はもちろん別パーツです。近世のものらしい文字が彫られています。 10基から成る横穴墓群ですが、埋まっているのかよくわからないものもあります。 7世紀中頃から8世紀中頃にかけて造られた、当地の有力者の奥津城と見られています。 8号墓。 左右の側壁に沿うように、ふたつの作りつけ石棺があります。 ■ 北江間横穴墓群  大北支群   [地図] 同じく北江間横穴群から、大北支群です。 40数基から成り、下写真のような小さなものは、火葬骨を納めるためのもののようです。 「若舎人」と彫られた石櫃で有名です。 ここが舎人として上番した豪族の墓域であったことを示すと見られています。 静岡県最古の金石文でもあるそうです。 現地の石櫃は、他には五個くらい適当に横穴中に詰めて転がしてあったりしたので、これらはレプリカでしょうか。 天璽瑞宝トップ   >  所縁の史跡   > 北江間横穴墓群

【所縁の史跡】 柏谷百穴(静岡県)

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■ 柏谷百穴  [地図] 静岡県田方郡函南町柏谷にある、柏谷横穴墓群です。柏谷百穴とも呼ばれています。 きれいに公園化され、見学しやすくなっています。 全体で300基以上の横穴墓が、東西600m、南北250mの範囲にわたって造られた、規模の大きな横穴墓群。 6世紀末ころから造墓がはじまり、追葬も含めて8世紀末ころまで使用されたらしいです。 カマボコ形に穿たれたものが多かったように思います。 龕状の掘り込みのあるものには、仏教との関係を想定する見方もあるようです。 120号墓・122号墓からは、閉塞石が確認されています。 隣りの125号墓・127号墓が、横穴群中で最も古く、6世紀代のものとみられているそうです。 天璽瑞宝トップ > 所縁の史跡 > 柏谷百穴