【所縁の史跡】夜刀の神の社(茨城県)

 

■ 愛宕神社と「椎井」 [地図]

茨城県行方市玉造甲の泉地区に鎮座する、愛宕神社です。
夜刀神社はここに合祀されています。

鳥居と社殿の間の谷地に、「天龍の御手洗」といわれる清水があります。
『常陸国風土記』行方郡に見える、「椎井」に比定されています。

継体天皇の時代、箭括氏の麻多智という人が郡役所の西側の谷を開墾したとき、体は蛇で頭にツノのある「夜刀の神」が群れをなしてやってきて、田をつくることを妨害した。
そのため、麻多智は怒り、甲冑で身を固め、矛を手にとって、打ち殺して追い払った。
そして、山の入り口に境界となる標の杖を立てて神の土地と人の土地を分け、自身は夜刀の神の祭祀者となって、はじめて社をつくって祀った。

また、孝徳天皇の時代、壬生連麿が谷にあった池に堤を築いていたとき、やはり夜刀の神が群がりきて、椎の木にのぼって居座った。
そこで、麿は大声で怒鳴り、「この池を修復させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。大君の教化に従おうとしないのは、いったいどこの神なのか」といい、使役の農民たちに、「目に見えるものは魚でも虫でも、恐れたりせずにことごとく打ち殺せ」と命じた。
すると、夜刀の神は恐れ、逃げ去っていった。

この池が、椎井の池と名づけられた、といいます。

以上のようなことが、『風土記』にあります。

小さな麻多智の像が、池のほとりにありました。

箭括氏については他に見えませんが、矢作連や矢集連と同じく、物部氏の配下にあった氏ではないかとする説があります。

境内に、「夜刀神」の碑があります。

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