【所縁の史跡】物部天神社(埼玉県)

 

■ 北野天神社 [地図]

埼玉県所沢市小手指元町3丁目に鎮座する、北野天神社です。

『延喜式』神名帳にある、武蔵国入間郡「物部天神社」「国渭地祇神社」を継承するといわれてます。

日本武尊の創祀と伝えられます。
その後、武蔵国司として赴任した菅原修正(菅原道真の五世の孫)が、長徳元(995)年に京都の北野天満宮から分霊を勧請して合祀したために、現在の総称「北野天神」になったそうです。

祭神は、物部天神社が饒速日命、国渭地祇神社が八千矛命、天満天神社が菅原道真公です。

実際のところは、武蔵国造家の一族らしい、物部直氏が奉斎していた神の祭祀に始まるとみられます。出雲臣氏の氏族を称しています。

続日本紀の神護景雲二(768)年七月には、武蔵国入間郡の人、正六位上・物部広成らが、入間宿禰の姓を賜ったとあります。

物部広成の名は、天平宝字六年九月にもみえます。当時は授刀舎人で、愛発の関に入ろうとする藤原仲麻呂(恵美押勝)の軍を撃退したといいます。

↓尊桜。
日本武尊のお手植えの桜と伝えられます。何度か代替わりしているそうです。

境内の摂社末社も多くありました。

諸神宮は延喜式内総社3132神を祀ります。

文子神社は祭神が多治比文子。養蚕、糸繰、裁縫の神とされます。
天満天神(菅原道真)との関係で祀られているのでしょう。

石宮神社には、水天宮も合祀されているようでした。

小手指神社は、日清戦争以後の地元戦没者の霊を祀ったものです。

ほかに、稲荷神社、八雲社があります。


■ 白旗塚 [地図]

埼玉県所沢市北野2丁目にある、白旗塚です。古墳の可能性が高いことが指摘されています。未調査のため墳形などの詳細は不明です。名称は小手指ヶ原の戦いで新田義貞が源氏の白旗を立てたという伝説によるようです。

北野天神社からは直線で800m〜900mほどの場所にあります。

塚の上にあるのは浅間社の祠で、富士(浅間)信仰の場ともなっていたとか。

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