【所縁の史跡】梵天山古墳群(茨城県)
■ 梵天山古墳群 [地図]
稲村神社からは2kmほど南、茨城県常陸太田市島町の台地上に位置する梵天山古墳群です。
主墳の梵天山古墳は唯一の前方後円墳で、お寺の裏手にあります。赤い鳥居が目印になりました。
全長151m、後円部径約90m、前方部幅57m。
↑後円部の上から前方部を見たところ。
↑前方部の上から後円部方向を見たところ。
古くから、久自(久慈)国造の墓とする伝承があったそうです。
前後両丘の高低差は5mあり、後円部径より前方部幅が30m以上狭く、比較的前方部が未発達なことがわかります。
築造は5世紀前半と見られています。
久自国造について、『旧事本紀』国造本紀は「志賀高穴穂朝の御代に、物部連の祖伊香色男命の三世の孫、船瀬足尼を国造に定め賜ふ」として、物部氏の一族がその地位にあったとします。
全体が杉の木立で覆われ、森厳な雰囲気がただよう姿は、久慈川流域を治めた首長の墳墓に相応しいおもむきです。
後円部の上には祠が並んでいます。
梵天山古墳のほかに、十三の円墳が存在します。
下写真は阿弥陀塚古墳(梵天山二号墳)。
横穴墓群もあり、「島の百穴」と呼ばれています。
この横穴墓は、7世紀に造られたものと見られています。
現在60数基が確認されているそうです。