【所縁の史跡】鹿島神宮と宮中野古墳群(茨城県)

 

■ 鹿島神宮 [地図]

茨城県鹿嶋市宮中に鎮座する、常陸国一ノ宮です。
『延喜式』神名帳の常陸国鹿嶋郡に、「鹿嶋神宮」が見えます。

神武天皇の治世元年の創祀と称します。

『常陸国風土記』には崇神朝のこととして、大和の大阪山に白い衣で白い杖をもった姿の神が現れ、自分を祀れば大国小国いずれも統治できるようにしよう、と託宣をくだしたとあります。
そしてこの神が香島(鹿島)の神であることを明らかにしたのが、鹿島中臣氏の祖の大中臣神聞勝命であるといいます。

同じく『常陸国風土記』によると、社殿の造営がはじめてされたのは天智朝のことといいます。

現在の本殿・拝殿・石間は、ともに徳川秀忠の奉納によるものです。

↓仮殿。
本殿を修理するときなどに、一時的に神様を遷すための社殿です。1618年建立の重要文化財です。

摂社の沼尾神社(経津主神)と坂戸神社(天児屋根命)の遥拝所。

↓摂社・高房神社。
建葉槌命を祀ります。

末社・熱田神社。
素盞嗚尊と稲田姫命を祀ります。

摂社・奥宮。
武甕槌神の荒御魂を祀ります。社殿は1605年建立、徳川家康の奉納によるものです。

↓要石。
磐座とも、心の御柱的な存在とも見られている石です。

地震押さえの伝説で有名ですが、思っていたよりも小さくて驚きました。

↓御手洗池。
参拝者の潔斎の池として用いられてきたといいます。

大きな椎の木が池面に幹をのばしています。

鹿園の鹿。
ちょうど食事中でした。

767年、春日大社の創建に際しては、分霊を鹿の背に乗せ、一年がかりで奈良まで行ったと伝えられています。


■ 宮中野古墳群 [地図]

宮中野古墳群は、鹿島神宮から北に2kmほど行ったところにある、総数115基を数える古墳群です。
5世紀末から8世紀初頭にかけて築かれたと見られています。

写真は「夫婦塚古墳」。下は後円部の上から前方部を見たところです。

夫婦塚古墳は、墳丘全長107.5mの前方後円墳。下写真は前方部上から後円部を見たところです。
墳頂の平坦面はほとんど無く、後円部は円錐形をしています。

後円部径は47.5m、前方部幅は34m。
築造時期は、6世紀中葉~後葉ころと考えられています。

↓同じく夫婦塚古墳。
後円部を墳丘の裾から見たところです。

↓夫婦塚古墳の東側に近接してある円墳です。
現地案内板では陪塚とされていました。

これは2基あるうちの北側のもので、直径17.5m、高さ1.25mを計るそうです。

↓こちらが南側の「陪塚」。

直径15m、高さ1mあります。

↓鹿島浄水場正門前にある古墳です。たぶん、宮中野81号墳だと思います。
道路が避けて通るために、ここだけ曲がっています。

↓宮中野102号墳。
北北西方向に前方部を向ける前方後円墳らしいのですが、墳丘はほとんど失われてしまっています。

↓大塚古墳(宮中野114号墳)。
1981~1983年に発掘調査がされていて、造出し部に横穴式石棺が確認されたそうです。出土遺物から、七世紀前半ころの築造が考えられています。

宮中野115号墳。
浄水場の東側に位置します。

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