【物部八十氏】わ行

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 わ 

若桜部 (わかさくらべ)

造姓。「わかさべ」とも読む。履中天皇(磐余稚桜宮)の名代部の管掌にあたった氏。
履中紀三年十一月条に、下記姓氏録と同様、物部長真胆連をして季節外れの桜を探させ、それにちなんで稚桜部造に改氏姓した挿話が載る。

神饒速日命の三世孫・出雲色男命の後裔。
履中天皇が磐余市磯池に遊宴したとき、膳臣余磯が献じた酒の盃に桜の花びらが飛び来て浮かんだ。天皇はあやしんで、出雲色男命の四世孫・物部長真胆連に命じて桜を探さしめた。長真胆連は掖上室山に見つけ献上した功により、稚桜部造の姓を賜ったという。(「録」右京神別上)
饒速日命の七世孫・止智尼大連の後裔。履中朝に桜の花を採って献じたことにより、物部連を改めて若桜部造の姓を賜ったという。(「録」和泉国神別)

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若倭部 (わかやまとべ)

無姓。開化天皇(若倭根子日子大毘々命)の名代部か、倭国造の領する部民。もしくはその伴造氏。
若倭部の人物には、右大弁史生だった若倭部常世(三代実録元慶五年六月)、楓朝臣の姓を賜った若桜部氏世・貞氏・貞道(三代実録元慶二年九月)、遠江国麁玉郡の防人・若倭部身麻呂(万葉集二十4322)などがいる。

神饒速日命の十八世孫・子田知の後裔。(「録」左京神別下)

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若湯坐 (わかゆえ)

連姓。のち天武十三年十二月以降は宿祢姓も出る。若湯人ともいい、産児の皇子女に湯をつかわせる若湯坐の伴造氏。若湯坐については、「記」垂仁段が母を亡くした本牟智和気皇子のためにその養育のために初めて設置したという伝説を載せる。
摂津国のものには、三代実録の貞観五年八月に、摂津国河辺郡の人、若湯坐連宮足・若湯坐連仁高ら三人が本居を改めて右京職につけたことがみえる。摂津国河辺郡には延喜式神名帳に高売布神社・売布神社があり、大咩布(意富売布)を祖とする伝承は当地の一族と関係するか。
ほか氏人には、若湯坐連家主(続紀養老三年五月)、若湯坐宿祢小月(続紀神亀五年五月)、若湯坐宿祢継女(続紀天平十七年正月)、若湯坐宿祢子人(続紀天平神護元年正月)、若湯坐宿祢子虫(続紀宝亀三年正月)らがいる。

石上朝臣に同祖。(「録」左京神別上)
石上朝臣に同祖。神饒速日命の六世孫・伊香我色雄命の後裔。(「録」摂津国神別)
胆杵磯丹杵穂命の後裔。(「録」河内国神別)

宇摩志麻治の七世孫・大咩布命の後裔。(「旧」天孫本紀)
物部意富売布連の後裔。(高橋氏文)

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