【所縁の史跡】天神山古墳群と捕鳥部万(大阪府)

■ 大山大塚古墳 [地図]

岸和田市天神山町の大山大塚古墳です。天神山二号墳とも呼ばれます。
天神山古墳群を構成する古墳のひとつで、群にはもと八基の後期古墳が確認されていましたが、多くは破壊されてしまいました。

墳頂に、「捕鳥部萬墓」の墓碑が建っています。
古墳は市の指定史跡になっており、遺跡公園のなかにあります。

直径20メートル強、高さ3メートルほどの円墳で、かつて銀環が出土したと伝えられています。

『日本書紀』によると、捕鳥部万は、物部守屋の近侍で、百人を率いて難波にある守屋の別邸を守っていましたが、守屋が滅んだことを聞き、夜にまぎれて馬に乗って逃れ、茅渟県有真香邑に向かい、妻に会った後、山に隠れました。
朝廷は万に反逆の心があるとして、この一族を滅ぼそうとしました。万は単身、計略をめぐらせて、数百の討伐軍を苦しめ、勇猛に戦い、殺した兵は三十人以上にものぼりましたが、ついに追いつめられて自殺しました。

「万は天皇の楯として、其の勇を効さむとすれども、推問ひたまはず。翻りて此の窮に逼迫めらるることを到しつ。共に語るべき者来れ。願はくは殺し虜ふることの際を聞かむ。」
と、悲痛な叫びをあげたといいます。彼のやりきれない想いが伝わってくるようです。

墓碑の東隣りに、顕彰碑があります。

この古墳が捕鳥部万の墓かどうかは知るすべはありませんが、「物部勢力の古墳である可能性はたかい」(森浩一氏)ともいわれます。

■ 義犬塚古墳 [地図]

大山大塚古墳の北、約200メートルのところにある、義犬塚古墳(天神山一号墳)です。
直径20メートルほどの円墳です。

墳頂は削平され、「萬家犬塚」の墓碑が立ちます。
和泉志の泉南郡阿間河荘の条には、「捕鳥部万墓、在八田村。狗墓、在万墓北」とあります。

どなたかが、丁寧に祀っているようでした。

『日本書紀』には、捕鳥部万の飼っていた白い犬の話が記されています。

朝廷は、万の死体を八つ裂きにして、諸国にさらそうとしていましたが、そのとき雷鳴がとどろき、大雨が降ってきました。
万の愛犬がいて、死体の側を吠えてまわり、万の頭をくわえて持ち去り、古い塚に納めて、これを守り、ついに飢え死にしたといいます。
河内国司がこのことを報告すると、朝廷は哀れんで、万の一族に二つの墓を造ることを許し、万と犬は有真香邑に葬られたとされます。


参考:森浩一「武器・武具に古代の戦闘をさぐる (1)弥生から古墳前期の戦いと武器」 岸俊男編『日本の古代6 王権をめぐる戦い』

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