【所縁の史跡】 多太神社(兵庫県)
■ 多太神社 [地図]
兵庫県川西市平野に鎮座する、多太神社です。
『延喜式』神名帳の摂津国河辺郡に、「多太神社」がみえます。
創建年次は不明。
鎮座地名の「平野」により、平野明神の通称が江戸期以前から存在していました。
多田源氏の祖、源満仲が京都の平野神社から勧請したとも伝えられるそうです。
満仲の時代が延喜式よりも後なのは明らかなので、近世の式内社比定以前にさかのぼる伝えでしょうか。
当地は、『和名抄』にみえる河辺郡大神郷に含まれていたと考えられています。
『姓氏録』摂津国神別には大神朝臣氏の同族である神人氏がみえ、
「大国主命の五世孫、大田々根子命の後なり」
とされています。
社伝には、大田々根子命の子孫である神人氏が祖先を祀ったといい、これにより「多太」の社号が称せられるようになったといいます。
実際には、地名が社号になったと思われます。
祭神は、日本武尊、大鷦鷯尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
現在は、大神氏とも平野神社とも、あまり関係のない神様が祀られているようですね。
一間社春日造の本殿は、元禄六(1693)年に造営されたもの。覆屋のなかにあります。
拝殿は欄のついた濡れ縁がめぐっており、上品な印象を受けます。
多田院(今の多田神社)の艮に位置することから、多田源氏守護の神として崇敬されてきたといいます。
『姓氏録』摂津国神別には、田々内臣(たたうちのおみ)氏もみえ、若湯坐宿祢氏と同じく、
「石上朝臣と同じき祖。神饒速日命の六世孫伊香我色雄命の後なり」
とあります。
この物部氏族田々内臣も、当地多田の豪族でしょうか。