【所縁の史跡】石園坐多久虫玉神社(奈良県)

 

■ 石園座多久虫玉神社 [地図]

奈良県大和高田市片塩町に鎮座する、石園座多久虫神社です。
近鉄高田市駅からすぐのところにあります。

『延喜式』神名帳の大和国葛下郡に、「石園坐多久虫玉神社」がみえます。

祭神は、建玉依彦命と建玉依姫命。

『三代実録』貞観元年正月二十七日条に、大和国の従五位下石園多久虫玉神が従五位上へ叙されたことがみえます。

安寧天皇の宮殿、片塩浮孔宮の伝承地でもあります。
『日本書紀』には「都を片塩に遷す。是を浮孔宮と謂ふ」、『古事記』には「片塩の浮穴宮に坐して、天の下治らしめしき」とみえます。

比定地としては、河内国大県郡をあてる説もありますが、『大和志』をはじめ、当地をあてる説のほうが有力です。

十四世紀の成立で、宮都については八世紀後半の原資料をもとにしている『帝王編年記』は、高市郡の畝火山の北にあてています。

『姓氏録』左京神別中の爪工連条に、「神魂命の子、多久都玉命の三世孫、天仁木命の後なり」とあることから、社号の「多久虫玉神」を「多久豆玉神」と改める刊本もありますが、別神の可能性もあり、疑問が持たれます。

配祀神に、豊玉比古命と豊玉比売命があり、近世以降は「龍王宮」とも称されてきました。
戦後に改修工事が行われるまでは、高田川が神社のすぐ西側を流れていたそうで、水神的な要素が強いようです。

社号の「石園」は地名で、いまも西側の一帯が「磯野」と呼ばれます。
他の表記では、『新抄格勅符抄』のなかに「射園神一戸美乃」があることが注目されます。

『続日本紀』神亀元年五月十三日条に、正六位上物部用善が物部射園連の氏姓を賜ったことがみえます。
また、天応元年六月九日には、正六位上の物部射園連老が外従五位下へ叙されたことがみえます。

当地は、この物部射園氏の本拠地だった可能性がありそうです。

一帯は、源義経の妻妾として名高い白拍子、静御前にゆかりの地とされています。
母親の磯野禅尼が当地の人と称されることから、いくつかの伝承地が付近に散在するようです。

現地案内板によると、心疲れて病気になった「静御前自ら病気平癒を祈った“笠神の杜”の明神さんは、現在この境内に移され祀られ」ているとのことです。

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