【所縁の史跡】高屋神社と安閑天皇陵古墳(大阪府)

 

■ 高屋神社 [地図]

大阪府羽曳野市古市6丁目に鎮座する、高屋神社です。近鉄古市駅からは南へ800メートルほどのところです。
『延喜式』神名帳の河内国古市郡に、「高屋神社」がみえます。

明治の神社合祀令のころ、古市の白鳥神社に移されましたが、戦後にふたたびこの地域にもどりました。
「高屋神社址」の碑が今も境内にあります。

祭神は、饒速日命と、広国押武金日尊(安閑天皇)です。

『新撰姓氏禄』河内国神別に、高屋連は
「同じき神(饒速日命)の十世孫、伊己止足尼大連の後なり」
とみえ、物部氏族であることがわかります。高屋神社はこの氏の奉斎したとみられます。

安閑天皇は近くに御陵があるという縁で祀られたものでしょう。

『続日本紀』慶雲元年六月十一日条には三つ子を産んだ高屋連薬女に物を賜ったことがみえますが、「河内国古市郡人」とあり、この一帯が、高屋連の居住地と思われます。

ほか、高屋氏の氏人には、淡路に幽閉されていた淳仁廃帝が脱走しようとしたときに掾としてこれを捕らえた高屋連並木などが知られます。


■ 安閑天皇陵古墳 [地図]

羽曳野市古市5丁目にある、高屋築山古墳です。
高屋神社からは、北に300メートルほどのところです

中世には城の一郭として使われたため、高屋城山古墳とも呼ばれます。
現在、安閑天皇陵「古市高屋丘陵」として管理されているものです。

墳丘長122メートル、後円部径78メートル、前方部幅100メートルで、くびれがほとんど無い形です。
ここから出土したと伝えられる玉碗が、東京国立博物館に所蔵されています。

築造は6世紀中葉と見られるので、安閑天皇の御陵としては妥当なところでしょうか。


■ 春日山田皇后陵古墳 [地図]

安閑天皇の皇后で、仁賢天皇の皇女、春日山田皇女の御陵「古市高屋陵」に治定されている、高屋八幡山古墳です。
安閑天皇陵古墳からは南に200メートルほどの近さにあります。

現在、方形に残る墳丘は、付近の発掘調査で、もと前方後円墳だったということがわかっています。築造時期は安閑陵古墳より早く、6世紀初頭ころかと推定されます。
墳丘長85メートル、後円部径50メートル、前方部幅60メートルほど、くびれ幅は約40メートルとみられています。

明治八年、宮内省によってこの場所に定められました。

ただし、『日本書紀』には、春日山田皇女は安閑天皇の御陵に合葬されたことが記されていて、『延喜式』がどうして別に御陵を載せたのか疑問が残るところです。

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