【所縁の史跡】田坐神社(大阪府)

 

■ 田坐神社 [地図]

大阪府松原市田井城5丁目に鎮座する、田坐(たざ)神社です。
『延喜式』神名帳の河内国丹比郡に、「田坐神社」がみえます。

明治四十一年に、柴籬神社の境内社になるため移転しましたが、大正十四年に復社しています。

近世以前は八幡社とされていたようです。

祭神は、境内由緒書によると、依羅宿祢、呉服漢織の女神、豊宇気毘売神。

『三代実録』貞観四年四月二十六日条に、河内国の無位「田坐神」が従五位下に叙されたことがみえ、同年五月十七日条には官社に列したことがみえます。 田坐は、「たい(たゐ)」と読むのが一般的なようです。類社として、伊勢国や美濃国の多為神社が挙げられています。
また、田坐神で「田に坐す神」とも訓めます。
その場合は、ありふれた田の神のうち、なぜここだけが式内社になるまで特別視されたか考える必要がありそうです。

『万葉集』巻十の以下の二首にみえる「田井」「田居」も、当地にあてる見方があります。

「鶴が音の聞ゆる田井に廬して われ旅にありと妹に告げこそ」(2249)
「春霞たなびく田居に廬つきて秋田刈るまで思はしむらく」(2250)

 

■ 柴籬神社 [地図]

大阪府松原市上田7丁目に鎮座する、柴籬神社です。

祭神は、瑞歯別天皇、菅原道真公、依羅宿祢。

仁賢天皇の勅によって創建したと称されます。

東へ五〇〇メートルほどには、全国第五位の墳丘全長を誇る巨大古墳、河内大塚山古墳があります。
祭神菅原道真公は、この古墳の後円部にあった菅原神社を合祀したことによるようです。

反正(瑞歯別)天皇の皇居、柴籬宮の址であると伝えられます。
昭和十九年建立の碑があります。

依羅宿祢は、『姓氏録』摂津国皇別に日下部宿祢と同祖で彦坐命の後裔とあります。
依羅氏には、左京神別・右京神別と河内国神別に物部氏族の依羅連もあり、西に隣接する依羅の豪族との関係が考えられたようです。 天皇が祭神にあることから、社紋には菊が使われています。

本社の左側にあるのが田坐神社。

『旧事本紀』天孫本紀に、物部金弓連公、物部目古連公、物部小事連公の後裔として、田井連がみえます。
あるいは田坐神社の地に縁のある氏でしょうか。
『和名抄』によると、河内国には志紀郡に田井郷(八尾市田井中付近)があり、そちらが本拠地でしょうか。

反正天皇は、古事記によると「御歯の長さ一寸広さ二分、上下等しく斉ひ、すでに珠に貫けるが如し」、日本書紀にも「生れましながら歯、一骨の如し」とあって、立派で美しい歯の持ち主だったとされています。

境内末社には歯神社があって、歯の健康を祈念するための歯磨き面なるものもあります。

そのほか、境内社には、大歳社、稲荷社、住吉社(歯神社と社殿共用)があります。

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