【所縁の史跡】漆部神社(愛知県)

 

■ 漆部神社 [地図]

愛知県あま市甚目寺東門前に鎮座する、漆部神社です。
『延喜式』神明帳の尾張国海部郡に、「漆部神社」がみえ、尾張国内神名帳には、「従三位 漆部天神」としてみえます。

昭和三十二年までは八大神社でしたが、式内漆部神社に比定され、現社号へ改めています。

北側に名鉄津島線が通りますが、そこに「漆塚」というところがあったそうです。
旧社地ではないかともいわれます。

『明治神社誌料 府県郷社』では、古老の口碑として「元と本村を距る西三町の地にあり、今其跡と称するもの田中にありて袴塚と称す。康安年中今の地に奉遷したる」といいます。

祭神は、三見宿祢命。
木花咲耶姫命、八大明神が配祀されています。

三見宿祢命は、『旧事本紀』天孫本紀によると、宇摩志麻治命の四世孫で、出雲醜大臣命の子です。
孝安天皇に仕えたとされています。
漆部連の祖ともあり、これが祭神にあてられる根拠です。

東隣りには、鎮座地名にもなっている甚目寺があります。

『式内社調査報告』が引く神社の由緒書は、
「当社に隣接する甚目寺を創設した甚目連公というのも、その一族である。漆部神社はその氏神、甚目寺はその氏寺とされ、共にその氏人氏子によって崇敬されたのである。甚目寺御本尊の御前立である十一面観世音菩薩像が尾張国唯一の乾漆像であることは、この寺が漆部の神と深い関係にあることを示す有力な証拠とされる」
としています。

甚目連は、『三代実録』貞観六年八月八日条にみえます。
尾張国海部郡の人で治部少録の甚目連公宗氏が、一族の十六人とともに高尾張宿祢の氏姓を賜ったというものです。これにより、当地を本拠にした甚目氏の存在は明らかです。

「天孫火明命之後也」ともあるので、尾張連と同族であることはわかりますが、三見宿祢命の後裔である物部氏族漆部連との関わりは不明です。
『旧事本紀』などの、「天火明命=饒速日命」説が、式社や祭神の比定考察にも影響しているのでしょうか。

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