【所縁の史跡】売布神社(兵庫県)

 

■ 売布神社 [地図]

兵庫県宝塚市売布山手町に鎮座する、売布神社です。
阪急宝塚線に売布神社駅があり、約300mの近さにあります。

『延喜式』神名帳の摂津国河辺郡に、「売布神社」がみえます。

当地は旧米谷(まいたに)村。
売布谷(めふたに)が訛って生じた地名と考えられています。

近世まで貴船神社(貴布祢大明神)と称されていましたが、式内売布神社にあてられ現在に至ります。
『式内社調査報告』は、武庫川との地理的関わりを、貴船社として信仰された要因に見ています。

社伝には、推古天皇十八(610)年の創建とされるようです。

祭神は、高比売神(下照姫神)、天稚彦神。
出雲国譲神話に登場する、大国主神の娘と、高天原からの使者として天降ったその夫神です。

祭神については、大咩布命(おおめふのみこと)をあてる説も有力でした。伴信友『神名帳考證』や、『宝塚市史』などがこの立場にあります。

大咩布命は、『旧事本紀』天孫本紀に宇摩志麻治命の七世孫、十市根命らの末弟としてみえ、若湯坐連などの祖とされます。
『高橋氏文』には、物部意富売布連(もののべのおおめふのむらじ)の表記で景行天皇の側近として現れ、やはり若湯坐連らの始祖であるといいます。
ほか、『姓氏録』和泉国神別の志貴県主条に大売布、山城国神別の真髪部造に大売大布乃命がみえます。

『姓氏録』には、摂津国神別に物部氏族の若湯坐連氏もみえます。
『三代実録』貞観五年八月八日条に、摂津国河辺郡の若湯坐連宮足・若湯坐連仁高ら三人の本居を右京へ改めたという記述があるのは、この物部氏同族に関係するのでしょう。

社号と若湯坐氏の祖の名が一致することを、偶然で片づけるわけにはいかないようです。

ただし、「めふ」を社号に含む式内社は、全国に七社あります。

藤原茂樹氏は、「賣布神考」のなかでこれらの神社の立地に注目し、「めふ」を水辺の土地を指す語と推測しています。
水辺に鎮まる女神が本来の祭神であり、大咩布命はその奉斎者と見るのですが、すべての売布(売夫)神社に若湯坐氏の関与が指摘できない以上、有益な考察だと思います。

拝殿の前に、「賣布社」の社号標があります。
江戸時代中期の元文元(1736)年に、並河誠所が式内社比定を行った際に建てたものです。
花崗岩製で、宝塚市指定の文化財になっています。

社叢も市指定の天然記念物になっています。
アカマツ主体の林だったのが、境内地として保護されるうちシイが増え、自然林に近い状態に成長したそうです。

境内社には、豊玉神社や厳島神社があります。

参考:藤原茂樹「賣布神考」 『山手国文論攷 第6号』

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