【所縁の史跡】北野廃寺(愛知県)

■ 北野廃寺 [地図]

愛知県岡崎市北野町にある伽藍遺跡、「北野廃寺」です。
愛知環状鉄道の北野桝塚駅から南に800mほどのところにあります。
史跡公園として整備されています。

矢作川の右岸に位置します。古代の東海道の渡河地点に有力視されているのが、この北野・大門の一帯です。

礎石に残る心柱の直径などから、塔の高さは30メートルにおよぶと推定されています。

南大門・中門・塔・金堂・講堂・僧房が一直線にならぶ、四天王寺式の伽藍配置をしています。
西側と北側に残っていた土塁は、かつては南北147メートル、東西124メートルにおよぶ範囲を囲っていました。

出土瓦から、7世紀中葉までさかのぼる、三河最古級の寺院として知られています。

国造級豪族による建立との説が有力です。
当地の国造といえば、『旧事本紀』国造本紀に見える物部氏族「参河国造」があてられるでしょう。

 

■ 真福寺 [地図]

北野廃寺から北東へ4キロ程、岡崎市真福寺町にある天台宗の古刹、真福寺です。
推古朝に物部守屋の子・真福が聖徳太子に清泉発見を上奏し、水体薬師を本尊として建立を許されたという縁起をもち、これを北野廃寺の後身とする説もあります。

こういった伝説が生まれた背景にも、参河国造が物部氏同族だったことが影響したのでしょうか。

東隣りの山中にある真福寺東谷遺跡からは、白鳳時代の瓦片が出土しています。
北野廃寺出土の軒丸瓦と同笵と見られるものが含まれます。寺には、同時代の塑造の仏頭が所蔵されています。

境内には八所神社もあり、様々な信仰が重なりあう雑多さが感じられます。中高年向けのテーマパーク的な楽しさがあります。

好大納言真福(まさち)は物部守屋の次男で、参河国二木郷へ流罪になって来たとされますが、他に三男の好村中将真通(まさみち)も平田郷へ左遷、四男の好少納言真隆(まさたか)も志貴庄大河内郷へ配流と、守屋の子が三人も参河へやってきたとされます。

大師堂の本尊、木造慈恵大師坐像は、国の重要文化財に指定されています。
慈恵大師良源は十八世天台座主。十世紀の人物です。
像底の墨書によれば、文永十一(1274)年に比叡山の僧栄盛が発願した三体のうちの一体であることがわかるそうです。

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