【所縁の史跡】矢田坐久志玉比古神社(奈良県)

 

■ 矢田坐久志玉比古神社 [地図]

奈良県大和郡山市矢田町に鎮座する、矢田坐久志玉比古神社です。
アジサイで有名な矢田寺からは、東へ1.5kmほどでしょうか。

『延喜式』神名帳の大和国添下郡に、「矢田坐久志比古神社二座」が見えます。

祭神は、櫛玉饒速日命とその妃神の御炊屋姫命です。

『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日条に、大和国の矢田久志玉比古神が従五位下から従五位上へ神階を進めたことがみえます。

通称を、「矢落明神」ともいいます。

祭神饒速日命の天磐船による降臨とのつながりから、飛行の神としても崇敬されています。
楼門には、飛行機のプロペラも掲げられていました。

添下郡矢田郷は、物部氏族「矢田部氏」の住地でした。この氏が奉斎していた神と思われます。

本殿は、一間社春日造、檜皮葺で、室町時代の建立と推定されています。
国指定の重要文化財です。

饒速日命の伝承が残っています。
天磐船に乗って降臨したとき、三本の矢を射て落ちたところを住まいと定めたといいます。二の矢が落ちたのが当社と伝えられます。

これが境内の「二之矢塚」。

鳥越憲三郎氏は、『大いなる邪馬台国』(1975年)や『女王卑弥呼の国』(2002年)などで、隣接する丘陵地帯「向山」こそ、『旧事本紀』に記される白庭山であるという説を展開されています。
物部氏の起源は弥生時代までさかのぼり、当地はその一大拠点であったとする説です。


■ 「邪馬台国想定地」碑 [地図]

矢田坐久志玉比古神社から北西に600mほどのところにある、「邪馬台国想定地」の碑です。
北矢田スポーツ会館が目印になります。
大和郡山市でつくったもののようです。

饒速日命が、天から携えてきた天の羽々矢を射て、その落ちたところを住処にしようとしたという伝説があるそうです。
ここは第三の矢が落ちたとされる、三之矢塚。
土地のひとびとによって「みやどこ(宮所)」と呼ばれるといいます。

鳥越憲三郎氏の邪馬台国物部王朝説によって、当地は邪馬台国の都に、ここは卑弥呼の宮殿跡にあてられます。
まちおこしに利用され、このような碑が立てられただけでなく、観光協会によって毎年「女王卑弥呼」ミス・コンテストが行われています。
近年は邪馬台国畿内説といえば纒向遺跡(桜井市)がすっかり主流で、他地域は盛り上がりに欠けますね。

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