【所縁の史跡】気都和既神社(奈良県)
■ 気都倭既神社 [地図]
奈良県高市郡明日香村上(かむら)に鎮座する、気都倭既(けつわき)神社です。
石舞台古墳から、県道155号線を東へ二kmほどのところにあります。
『延喜式』神名帳の大和国高市郡に、「気都和既神社」がみえます。
冬野川の流れる谷あいに位置します。
冬野川は、『万葉集』が引く「柿本朝臣人麿之歌集」に
「ふさ手折り多武の山霧しげみかも
細川の瀬に波の騒ける」
と歌われた細川です。
談山神社とは峠をはさんで一.三kmほど、飛鳥から多武峰へ向かう途中に位置することになります。
「もうこんの森(茂古の杜)」の通称があります。
中臣鎌足が蘇我入鹿を倒したとき、入鹿の首が追いかけてきたので、鎌足は板蓋宮から当地まで逃げて、「もう追いかけては来まい」といったことに由来する、という伝説があるそうです。
鎌足を祀る談山神社との関わりが考えられそうです。
祭神は、気津別命(けつわけのみこと)。
気津別命は、社号の「気都和既」との類似により比定されたものでしょうか。摂社の春日神社は天津児屋根命を祀るようです。
『姓氏録』左京神別の真神田曽祢連条に、
「神饒速日命の六世孫、伊香我色乎命の男、気津別命の後なり」
とみえます。気津別命が物部氏の人物であることがわかります。
真神田曽祢氏は、『万葉集』に「明日香の真神原」などとみえる真神原に本拠を置いたもので、飛鳥の豪族と考えられるでしょう。
『五郡神社記』は、「久迷郷畝傍村平森に在り」として、当社の式内社への比定に異論を述べています。
祭神は天つ神で、高天原から伊都知和岐(いつのちわき)て天降ったため、気都和既の社号になったのだろうといいます。
或説に猿田彦大神が祭神であるというようですが、明確な根拠は無いようです。
県道の上からは、葛城山・金剛山方面をよく望めます。