【所縁の史跡】磐船神社(大阪府)

 

■ 磐船神社 [地図]

大阪府交野市私市に鎮座する、磐船神社です。
淀川の支流・天野川の作る峡谷に位置します。“磐船街道”の要衝にあり、600メートルも南へ行けば、奈良県に入ろうかという場所です。

祭神は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
磐船に乗って天降ったという神話を持つ、物部氏族の祖神です。

『日本書紀』は、神武東征にあたって塩土老翁の言として、「東に美き地あり。青山四周れり。その中にまた、天磐船に乗りて飛び降る者あり」とし、長髄彦が神武天皇に使者を遣わした際、「むかし、天神の子ましまして、天磐船に乗りて、天より降り止でませり。号けて櫛玉饒速日命と曰す」と述べた、としています。

また、「饒速日命、天磐船に乗りて、大虚(おほぞら)を翔行きて、この郷を睨りて降りたまふに及至りて、故、因りて目けて“虚空見つ日本の国”と曰ふ」と「日本(やまと)」の国号が、この神に由来するとしています。

物部氏族の人物の撰と見られる、『旧事本紀』天神本紀の記述はさらに詳細で、「饒速日尊、天神の御祖の詔を禀けて、河内国河上の哮峯に天降り坐し、すなはち大倭国鳥見の白庭山に遷り坐す」とします。

当地は大阪平野から淀川、天野川をさかのぼり、生駒山系の北嶺へ至ろうかという場所にあり、まさに「河内国河上」ということになります。

神社は拝殿のみで本殿を持たず、巨大な船形の岩がご神体になっています。
高さ、幅ともに12メートルほどあるそうです。
これが磐船の神話に付会されたのでしょう。

河内国交野郡は、饒速日尊が天降る際に付き従ったことが天神本紀に見える、肩野物部の住地でした。
この部の管理にあたったと考えられる肩野氏も『姓氏録』、『三代実録』、『旧事本紀』天孫本紀に確認でき、それぞれ饒速日尊の末裔とされています。
船形の巨岩が神聖視され、磐座になっていった過程には、これらの氏の存在も無視できません。

平成四年に交野市が建てたらしい碑がありました。

上部は日本書紀からの引用で「虚空見つ日本の國」云々の文。
下部には、「磐船神社は天野川の上流、磐船峡谷(府指定名勝)に在り、御神体は『旧事本紀』や『日本書紀』に伝説のある饒速日命ゆかりの船形の巨岩です。元禄二年に当地を訪れた貝原益軒の『南遊紀行』をはじめ、古に思いを馳せる神秘なる景勝地として、そして今は私市ハイキングコースとして親しまれています。」とありました。

一帯は、金剛生駒国定公園に含まれます。

磐船の神体岩は川に覆いかぶさるようにありました。周囲には大きな石がゴロゴロとしています。
独特の雰囲気が素敵です。

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