【所縁の史跡】石上市神社(奈良県)

 

■ 石上市神社 [地図]

奈良県天理市石上町に鎮座する、石上市神社です。
石上集落の中、国道169号線の西側に位置します。

『延喜式』神名帳の大和国山辺郡に、「石上市神社」が見えます。

祭神は少彦名命。
牛頭天王、大市姫命、市辺押磐皇子などの説もあるようです。

一帯は、高瀬川沿いに東西にはしる都祁道(竜田道)と、南北にはしる長谷道(上ツ道)が交差する「衢(チマタ)」です。定期的に市が立ち、賑わった地域と見られます。
石上廃寺もこの近くです。

『続日本紀』延暦八年十月十七日条に載る高倉副信の薨伝に、副信が子供のころ、伯父に連れられて上京したとき、友人らと夕暮れ時に石上のチマタへ出かけ、遊びで相撲をとったことが記されています。

『日本書紀』は、身分を隠して播磨国にいた億計王(顕宗天皇)がその正体を明かすときに歌ったとして、次のような歌を載せます。

「石の上(いそのかみ)(ふる)の神榲 本伐り 末截ひ 市辺宮に 天下治しし 天万国万押磐尊の御裔 僕らま」

履中天皇の子で雄略天皇によって殺されたという、「市辺押磐皇子」の「市辺」とは、石上の市の近くに住居を構えていたことによる名と見ることができます。


■ 姫丸稲荷神社 [地図]

天理市石上町の姫丸稲荷神社(平尾山稲荷神社)です。
石上市神社の境外末社で、東に700mほど離れた丘陵の中にあります。

祭神は、宇賀御魂神。

この丘陵一帯に石上・豊田古墳群があります。
ほとんどは小さな円墳ですが、石上大塚古墳、ウワナリ塚古墳、別所大塚古墳といった全長100mを越える前方後円墳もみられます。
6世紀の物部氏に関係する墳墓と見られています。

仁賢天皇の皇居、石上広高宮の伝承地碑が建っています。
『帝王編年記』などをもとに、考察されたものです。

石上広高宮、および仁賢天皇の父、市辺押磐皇子の宮の所在地にあてられています。

ここから400mほど東のあたりが、平尾山遺跡です。
安康天皇や仁賢天皇の皇居の位置を説明するため『帝王編年記』に登場する「石上左大臣家」、左大臣石上麻呂の邸宅に関係するとの説もある遺跡です。

稲荷神社から少し東に歩いたところにある、石上銅鐸出土地の碑です。

明治十七年に、流水文の銅鐸がここで発見されました。

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