【所縁の史跡】曳田神社(奈良県)

 

■ 乘田神社 [地図]

奈良県桜井市白河に鎮座する、乘田(ひきた)神社です。
巻向山の南東麓に位置します。

『延喜式』神名帳の大和国城上郡にみえる、「曳田神社」にあてられています。かつては白山神社だったようです。

祭神は、大己貴命、高龗神、豊受比売命。
大己貴命は大国主命であり、大物主神と同一視される神で、三輪氏の祖です。
三輪君氏の同族に、引田君氏があり、主祭神の比定に影響したと見られます。

長谷の一帯は、『古事記』にみえる大長谷若建命(雄略天皇)と引田部赤猪子の伝説の舞台でもあります。
三輪川のほとりで天皇に出会った美しい乙女は、近いうちに召すからという言葉を信じて八十年間待ち続け、むなしく過ぎ去った時間を悲しみつつも、せめてそのことだけは伝えようと参内し、「志都歌」を交わしあったという物語です。

赤猪子の属する引田部は、引田君氏の領する部で、曳田神社の周辺に住んだと見られています。

引田部に関しては、疋田物部と同一視する、谷川健一氏の見解があります。

『白鳥伝説』で、物部氏と阿倍氏の関係を論じる中に、
「大和国の東南部の引田物部に属する赤猪子が「日下の入江の蓮」をうたったのは、一見奇妙である。しかし、ニギハヤヒの降臨したところが生駒山麓であり、ニギハヤヒが降臨したとき、二十五部の人が従者として、兵仗をおびて供奉したと、『旧事本紀』の「天神本紀」は伝えるが、その中に疋田物部の名が見える」
としています。

疋田物部は、鎌田純一氏の校訂による『旧事本紀』では足田物部とされており、慎重な扱いが求められます。
しかし、『姓氏録』大和国神別には長谷部造氏と長谷山直、右京神別には長谷置始連という物部氏同族がみえ、雄略朝以降、この付近に物部氏族が展開した可能性は高いと思われます。

曳田神社を奉斎した集団についても、なお検討の余地がありそうです。

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