【所縁の史跡】平群石床神社(奈良県)

 

■ 平群石床神社 [地図]

奈良県生駒郡平群町越木塚に鎮座する、平群石床神社です。
甑明神とも呼ばれていたようです。

『延喜式』神名帳の大和国平群郡に「平群石床神社」がみえます。

祭神は、饒速日命とも剣刃石床別命ともいわれます。

『三代実録』貞観元年正月二十七日条には、大和国の従五位下平群石床神が従五位上の神階へ昇叙したことがみえます。

本殿は三社が並ぶ形式で、中央が石床神社、右に太玉命、左に素盞嗚命を祀ります。

↓消渇神社。

立派な石垣の上にあります。
境内案内板によると、室町時代に旅の僧・信海が腰の病を治してもらってから下半身の病気にご利益ありとして村人に信仰されるようになり、近世には社名から性病に効果があるとして、京都祇園からの参拝者もあり、賑わったとのこと。
願掛けには、土の団子を十二個つくって供え祈願し、願いが叶ったら米の団子をお供えしてお礼します。
特に女性の信仰が厚いようです。

↓七社神社。

消渇神社のさらに上段に位置します。
志賀剛『式内社の研究』には、村の神名帳に七神社があったといい、消渇神社の一段上には五社明神があるとされます。


■ 平群石床神社旧社地 [地図]

平群石床神社の旧社地です。
現社地から南へ250mほどのところに位置します。
朱色の鳥居が設けられています。

台地と田畑の広がる平地の境界に、大きな岩が横たわっています。

大正十三年に、ここから境外摂社素盞嗚社のあった現社地へ遷座しました。

『大和名所図会』には、「巌上祠(いわがみのやしろ)[越本塚村にあり 神名帳出]」とあって、近世にも石神として信仰されていたことがわかります。

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