【所縁の史跡】阿比太神社(大阪府)

 

■ 阿比太神社 [地図]

大阪府箕面市桜ケ丘一丁目に鎮座する、阿比太神社です。
『延喜式』神名帳の摂津国豊嶋郡に、「阿比太神社」がみえます。

祭神は、素盞鳴尊です。
江戸期には牛頭天王社とされており、式内社に比定された後も、その影響が残ったようです。
『摂津名所図会』も、桜村鎮座の牛頭天王をあて、桜村と稲村・半町村の生土神であったとしています。

また、当初から素盞鳴尊を祀っていたため、牛頭天王の名で称されるようになり、本来の社号が廃れていた時期もあったとの解釈も存在するようです。

『続日本後紀』嘉祥三年正月二十二日条に、摂津国豊嶋郡の阿比太神が従五位下の神階に叙されたとの記事があります。

社号の「阿比太」について定説はありませんが、『姓氏録』左京神別の大貞連条に、
「速日命の十五世孫、弥加利大連の後なり。上宮太子、摂政の年に、大椋官に任けられぬ。時に家の辺に大俣の楊の樹あり。太子、巻向宮に巡行せる時に、親ら樹を指して問ひたまひて、すなわち阿比太連に詔して、大俣連を賜ひき」
とみえ、この聖徳太子の時代の人物、阿比太連に関連づける説があります。

『姓氏録』にみえる「弥加利大連」は、『旧事本紀』天孫本紀には物部尾輿大連の長子、物部大市御狩連公として現れます。阿比太連は、その子か孫でしょうか。
阿比連を正しいと考え、誤記とする場合もあるようですが、欽明紀には「斯那奴(科野・信濃)阿比多」もみえることから、人名として不自然ではないようです。

志賀剛氏は『式内社の研究』のなかで、阿比太は阿湯田であり、清泉にうるおされる湧水の田であるとします。

社伝には、応神天皇二年の創建と称されるようです。
平尾の東南部の小丘・阿比太の森が旧社地であるともいいます。
現在の社地は、野球のホームベースみたいな形をしています。

下写真は境内末社の大杉稲荷社です。
京都伏見稲荷大社の大杉社からの分霊だそうです。

桜ケ丘三丁目、神社から南西四〇〇mほどのところに、中尾塚古墳があります。
住宅地の民家の敷地内に、道路に面して石室材の一部分が残されています。両袖式の横穴式石室で、古墳時代後期のものです。

大半が消滅したものの、かつては群を成して一帯に古墳が存在していました。
阿比太神社の奉斎集団と関係するのでしょうか。

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