【所縁の史跡】矢田神社(京都府)

 

矢田神社 [地図]

京都府京丹後市峰山町矢田に鎮座する、矢田神社です。
『延喜式』神名帳の丹後国丹波郡に、「矢田神社」があります。

社名と地名の「矢田」について、『丹後国風土記』逸文に見える比治の天女との関連を考える説があります。天女が養父の家を追われたことにちなんで、「屋退」→「矢田」とするものです。

祭神は、伊加賀色許命(伊香色雄命)。
物部氏族矢田部氏の祖です。

明治二年以前には、天酒大明神・豊宇賀能売命を祭神が祭神とされた時期もあったようです。

入母屋造の本殿は、覆屋の中にあります。

本社から右手に行くと、境内社の大川神社があります。


矢田八幡神社 [地図]

京都府京丹後市久美浜町佐野に鎮座する、矢田八幡神社です。
『延喜式』神名帳の丹後国熊野郡にある、「矢田神社」の論社のひとつです。

崇神朝四道将軍のひとり、丹波道主王が、当地一帯の平定祈願を矢田部の部民に命じ、矢田部氏祖神を祀らせたことに始まるといいます。

祭神は、応神天皇、神功皇后、武諸隅命。
孝元天皇と欝色謎命を配祀します。

武諸隅命は、崇神紀の六十年秋七月に矢田部造の祖として見え、天孫本紀にも宇摩志麻治命八世孫に同様の記述がある、物部氏族矢田部氏の祖です。
欝色謎命は、穂積氏の祖・欝色雄命の妹で、孝元天皇の皇后とされる人物です。

応神天皇と神功皇后を祀り、八幡神社を称すること、奈良時代に宇佐八幡宮を勧請したとする社伝があります。
また、山城国の石清水八幡宮の別宮とも称した時期があったともいいます。

境内の若宮社。あまり大きくない石が祀られています。

長くて急な階段が印象的な神社でした…


矢田神社 [地図]

京都府京丹後市久美浜町海士に鎮座する、矢田神社です。
こちらも、『延喜式』神名帳の丹後国熊野郡に見える「矢田神社」の論社です。

祭神は、建田背命。
和田津見命と武諸隅命が配祀されています。

建田背命(建田勢命)と、その子とされる武諸隅命は、海部氏勘注系図などに見える海部直の祖です。

境内には、ゲートボールができるほどの広いスペースが設けてあります。

六角形のお洒落な手水鉢がありました。

『特選神名牒』は祭神について、「疑らくは矢田部姓の祖神ならん」とし、物部氏と鴨氏に矢田部氏があり、いづれか定めがたいが鴨氏の祖を祀ったものかとしています。

『式内社調査報告』はこれを受けつつ、「建田背命も、武諸隅命も物部氏族の祖であり、当地方に繁栄した物部氏の末裔がその祖神を祭祀したものと見るべき」とします。
『旧事本紀』の立場を踏襲し、物部氏と尾張氏・海部氏を同族と見る解釈でしょうか。

創建は、社伝によると垂仁朝に河上摩須が勧請したことに始まると称します。

鎮座地名「海士」は「あま」と読みます。
海部氏の居住地と考えられることも、祭神の比定の根拠になっているようです。

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